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震災から14年目ですね。
震災の年に産まれた息子はもう中学生。
本当に試練の年だった。

出産の時に下剤注入されてトイレにこもっていたら震度5強の余震がきて

看護婦さん「地震です!!今すぐ出てください!!」
私「いや出れません!!!」
看護婦さん「駄目です!!出てください!!」
私「いや出れません!!!」

ていうやり取りを何回もしたのを何故かふと思い出した....[冷や汗]



当時の私は津波被害があった隣町に住んでいたので家は無事だったけど、自宅から少し行った先の景色は全てめちゃくちゃになった町並みだった。
ご遺体も目にしました。旦那が着ていた上着を脱いで足元にあった鉄パイプに結びつけ、自衛隊の方に早く見つけてもらえるよう旗のようにして地面に立てました。それ以外どうする事も出来ず手を合わせました。

夜になれば暗く寒い自宅で余震に怯える日々。電気が無いって凄い怖い。お腹が張らないように深呼吸して大丈夫大丈夫と言い聞かせた。

幸いガスが使えたのでガスコンロだった我が家は調理が出来ました。しかし肉や野菜がもうどこにも無く手に入らずでカップラーメンやパンの方が多かった。米は多少ストックはあったものの、先行きが分からず毎日少しずつ食べていました。
隣県のスーパーは食料があると聞いたが、ガソリンが無いため車も出せず諦めた。

そしてなんとか生き延びた1ヶ月後、近所の食堂でトンカツを頂く事が出来たんです。

私、美味しくて美味しくて泣きながら食べました。食べ物が美味しくて泣くなんてもう一生無ないと思います。

当たり前にある暖かい家と美味しいご飯。
美味しい水。
本当に有り難いです。

14年目の今日、今ある生活に感謝して家族みんなで幸せに生きるために仕事ももっと頑張ろうと改めて思いました。

犠牲になった全ての方の
ご冥福をお祈りします。

#東日本大震災から14年
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