いいでしょう。わたしは高校生でありながら心スポマニアなんですね。それではその時の話をしましょう。その場は埼玉県上里町にある「新井さんの家」です。写真の場所ですね。私はここである経験をしましたこの家の敷地内に踏み入った瞬間、猛烈な頭痛と吐き気に寒気と悪寒がしました。これはまずいと思ったつかの間私は気を失っていました。目が覚めた時、昼でした。ですが写真を見てわかる通り、周囲は枯れ木なんですよね。しかし目が覚めた時には辺りは竹林に囲まれていました。何かがおかしいと思い。帰路につこうとしますが、竹林をぬけた先見たことない街並みが見えたんです。明らかに上里町ではありません。私は1度引返します。そういえば、起きた時に新井さんの家を見ていませんでしたから。戻った時、辺りが急に暗くなるのを感じました。一瞬で空が闇に覆われていく。そう思ったつかの間、あのボロボロの新井さんの家の前に私はいました。そしてスマホで時間を確認した時、絶句しました。3日間の時が進んでいるのです。正直、体験した私自身も、嘘か誠か最早わかりません。お馴染みのセリフを言って閉めましょうか...「信じるか信じないかはあなた次第です」
哲学とは違うかもしれませんが少しばかり持論を。愛が欲しいのは煩悩ですか?マイノリティと呼ばれる少数派の人達は呼吸が出来ていますか?私が感銘を受けたボカロ「ノンブレスオブリージュ」から引用させていただきますが、「チェンソーを振り回すまともな人達が怖いよ」まともってほんとになんなのでしょうね?自分の意見を通すことさえ許されない世の中で多数派が優先されるこの世の中で、少数派は関節的な意味で呼吸が出来ますかね?今の世の中で不幸を嘆き、愛が欲しいと言っても多数派の人達は口を揃えて「愛を知らない人なんて沢山いるんですよ。」と人を括ろうとする。だからこそ私は説いたい、「愛が欲しいのは煩悩か?真実を求めるのは罪か?意見を持つのは摂理に反しますか?[なぜ?なに?どうして?ことづては?ソースは?]んなこたぁ知っちゃこったねぇよ。なぁ多数保守派の指示待ち人間共、そんなに思考を常識理念を形成されてきた土台を、変えるのが壊すのが覆されるのが怖いか?はっきり言ってやる。そんなのは人間である必要性がないのと同義だ。」