3.11僕は東京のオフィスにいました。あり得ないぐらい揺れて周りのビルも揺れて土煙がたって・・・出口確保しなくちゃと扉を開いてオフィスを見渡すと僕以外は机の下に隠れてた。僕は、長く揺れるあの時間、隠れずもせず揺れるビル群をただ呆然と外を眺め続けてた。それから電車が止まり帰宅難民に。妻とも連絡が取れず、ネットで情報を集めていた。お腹が減ってコンビニへ行くとカップラーメンなどの保存食がなくなっていた。深夜1時お大江戸線が動いていることを知り帰宅を試みる大江戸線では芸能人に遭遇し携帯の電池がなくなったとぼやいていた。そんな満員電車でいつもの2倍の時間をかけて帰宅。そんな1日でした
お偉いさん方が情熱を失いモチベーションが下がるのは、老化によるものが大きいと思う。だからこそ、効率的に考えてお偉いさんの椅子がベスポジなのだ。変化を恐れ情熱がないからこそそこに座るべきなのだ。と思った。
依心より依所最澄の言葉で、人の心は不安定で変わりやすいから、心のよりどころは、場所。心落ち着く場所にしなさい。という意味です。家以外の心落ち着く場所に会いに行くと良いですよ!場所は変わらずそこで待ってくれているから。
学校は、なぜ存在するのでしょうか?そういうことを一度整理することをオススメします。僕は企業、社会で働く人材育成こそが学校の本質であり目的だと思います。ルールを守り、決まった時間まで遊ばずにやりたくなくとも仕事をしてくれる。また、社会性を持ち常識を共有できる。そういう人材を育成することが目的です。士農工商であった時代では、寺子屋はあっても決められた職業に付くのに全国民が行く学校は必要ありませんでした。必要になったのは、産業革命後。工場で働く人材が必要になってからです。読み書き計算ができて、ルールを守る人材が必要になったので学校ができした。次に、そういう目的で出来た「学校」が、現代においてどのような役割があるのかですが機械化されAIにより自動化される生産業では、かつて必要であった人材は要らなくなりました。とたんに、詰め込み型の教育から、個性や資質中心の教育にシフトしました。現代の学校に求められているのは、能力開花と生き甲斐の構築だと思います。現代が必要としているのは、優秀な人材だけです。だから優秀な人材は、伸ばす。そうでない人材は、企業はいらないので生き甲斐をもって生きてください。というのが今後の学校の目的だと思います。だから学校は社会にとっては必要で個人にとっては、選択できるようなものが良いと思います。長文失礼しました。
PTAの係でLINEグループ上で色々やり取りしてるのに新しい方がLINEを使ってないとのこと。仕方ないからグループにメッセージが来たら自動でその方にメールしたりするのを作ってみた。色々LINEって出来るんだな。悪用出来なくもないなこれ。LINEでAIが自動で返信とかわりとすぐ出来そう。