
すずめ
私にとっては、
寂しいをお洗濯する場所。
嬉しいをみんなと分ける場所。
過去の事で傷ついて、今度こそ立ち直れないかと思ってたけど。
いつか私の強さになる。
人に優しくなれる。
現在、多臓器にわたる治療生活を経て東北地方から地元に戻りました。
肝硬変と慢性腎不全を持ちながら寛解状態の維持、筋力低下と低体重改善、生活基盤を整えるため、入院継続中。
入院生活5ヶ月目。
椎名林檎
洋楽
つぶやき
ロック
お酒
宮城
料理
自炊
写真撮影
歌うこと
読書

すずめ

回答数 129>>
男女関係なら尚更です。
いくら好きでも、関係悪化させたくなくても、我慢したり尽くしすぎると都合良く扱われ^_ますよ。

すずめ

回答数 27>>
思いとどまる理由が一個でも見つかれば今の仕事を継続してみるし、一つもなければ実際に辞めるために転職活動しちゃいます。

すずめ

回答数 243>>
が、最近ではあまり珍しくないので、偉いとか可哀想とかそういうのはなんも思いませんね。
ご自身で選んだ道ですから、胸を張ればいいと思います。

すずめ

回答数 77>>
27歳の結婚は理想的な年齢だったかなと自分では思ってます。精神的に未熟だったから、別れてしまったけど。
次があるなら、50歳を迎えるくらいに、成熟した余生を営める相手とパートナーになりたいな。

すずめ
東日本大震災から14年。
ついこの前まで石巻市にいた。
たくさんの人がその日のことを話してくれた、聞かせてくれた。
救助された人、避難先で救護活動を自発的にしていた医療従事者の方、介護職員の方。
一緒に過ごした友人。
よそ者の私をよそ者と言わずに受け入れてくれた土地。
今、復興記念公園になっている辺りに住んでいたという、繊細なあの人のことを忘れない。
繊細で感受性が豊かで、一緒に笑ってたけど。
ある時ぽつっと話してくれた。避難所で受けた悲しい事。
福島浜通りで被災したあの人のことを忘れない。
岩手九戸の人の話も。
私は直接被災した訳ではないけど、復興したその土地に居ると自然と涙が出てしまった。
来年は、石巻に行こう。必ず。





すずめ

回答数 191>>

すずめ

回答数 9181>>
いきなりキレるのはお門違いだと思うので。

すずめ

回答数 8780>>
例えば私は音楽をやるのが好きで、パートナーが釣りが趣味で、私は釣りが合わなかったら。
釣りを楽しんでる事を咎めたりしないし、釣り仲間との繋がりは大切にして欲しい。
私のバンドの練習や個人のボイトレは自由にさせて欲しい。バンドメンバーとの外出も許してほしい。
インテリアの趣味が合わないなら、共用部分は一般的な平凡なインテリアに統一して、寝室や趣味のスペースは確保するとか。
食の趣味が合わないなら、それぞれが好きな物を食べる日として別々に食事をする日を設ける。
干渉しないを徹底して、互いの共通の趣味は二人で楽しみたいです。

すずめ
バニラ、ココナツ、カカオ、ミルク。
ベリーや林檎、様々なフルーツの香り。
溶けていくようにリラックス出来るので、寝室はバニラ系のルームフレグランスにして、眠る前のヨガやストレッチをする時に軽くボディミストをつけてます。

すずめ

回答数 88>>
今日も運動頑張ったね、偉い。
今日も資格の勉強頑張ったね、偉い。
今日もご飯食べたね、偉い。
今日も毎食後の薬飲めたね、偉い。
今日もニコニコしてたね、偉い。
毎日生きてて偉い。
息してるだけで偉いよ。
頑張ってるね。
明日も生きるを頑張ろうね。

すずめ
もう身体の治療は終わって、急性期は抜け出して寛解状態に移行した。
肝硬変という事、慢性腎臓病ということに変わりは無い。膵臓の機能も戻らない。
明日を迎えるのかも怪しい、最悪の状態は抜け出して。変化していく病と一緒に未来に向けて歩く下準備を始めて歩き出した。
まだ本格的に体力が戻らず、就労が厳しいと判断されているから。未就労の状態で実家に留まる事を猛反対する家族もいてくれたので、実家から一番近いであろう在来線の駅で一人暮らしをすることになった。
入院先で家を探し、住所をそこに移して。一人世帯として生活をしていく事になった。
就労支援を受けながら外での生活に身体を慣らして、病状と相談しながら復職を目指すことになった。
以前とは違う身体になった事の不安は少しあるけれど、迷いはいっさいない。
ただ、ふと立ち止まっては泣き出してしまう自分が居る。過去を見るかのように自分の背後を振り返り、涙がポタポタと流れてくる。
これからどこに向かって歩けば良いのか、何がしたいのか。からっぽのような背中を感じて、たらたらと無感情に流れてくる涙の意味がわからなくて、自分が自分では無いような気持ちになる。
何がしたい?
来年の春は、思い出の場所に行きたい。
一人で良い。
菜の花が咲き誇る場所、桜の花びら、少し冷たい風。待ち侘びた春がある場所。
私と私たちだけの秘密の場所に、行きたい。
今年も、あの場所は菜の花のトンネルが広がるのかな。
あの桜は今年も花を絶やさずにいるのかな。
来年は、この目で見たい。
生きて欲しいと、たくさんの人が繋いでくれた命だから。
来年も生きて歩いていたい。そして、一瞬でもいいから帰りたい。



すずめ

回答数 160>>
ブログ代わりに心のままつらつらと書ける場所なので、気持ちの整理が出来る。
共感できる人が居るとなんとなく心強い。

すずめ

回答数 2464>>

すずめ

回答数 267>>
でも喜多方ラーメンには勝てないほど、メンマ臭のする喜多方ラーメンが好き。

すずめ

回答数 504>>
酸っぱいのが良い。

すずめ

回答数 5461>>

すずめ

回答数 57>>
あってはならない。

すずめ
なんでだろうな、幸せだった時間の延長線を生きているような夢。
気持ちを交換しあえて日常を一緒に過ごしていた交際期間と、別れてからも友達以上恋人未満みたいな時間を過ごした期間をミックスしたような穏やかな。本当に何気ない、食事や睡眠、出かける相談したりする夢をみて。
起きると、そんな事二度と起きない、二度と話せないのにねって、なぜか笑ってしまう。
前はそんな夢を見ると、起きては泣いて仕方なかったのにね。
写真を眺めては泣いてたし、心がモヤモヤして罪悪感でいっぱいになって、焦っていたのにね。
先日、一昨年盛岡の八幡様で購入した水晶とローズクォーツのブレスレットが切れてしまった。
少し体調が悪くて、久しぶりに右の肝臓部分と膵臓あたりに差し込み痛が走った朝に、突然プツンと切れてしまった。
石が砕けたりはしていなくて、引っかかる感覚もなかったのに糸がプッツリと切れたから。
何か身代わりになってくれたのか、それとも自分の中のわだかまりを連れて行ってくれたのか。
その日から、夢の中で会える日が増えていった。
いつか叶うんだろうか。そんな夢みたいな事。
叶わなくて良い。
単純に、夢で笑うあなたの姿を見れるだけで嬉しい。


すずめ

回答数 82>>
脱水症状起こしたかな?倒れてないかな?とか、ご高齢ならヒートショックとか。とにかく心配です。親御さんがまだ入っていない場合なら、後の人の事を考えろとも思います。
ご家族同居は難しいところですね。

すずめ

回答数 210>>
良い意味で幸せの感度を下げるのも重要かなと笑笑

すずめ

回答数 265>>
気持ち悪いと思うなら、それを回避する、受け流すのもSNSをするには必要な事だと思います。
おじさんおばさんがみんなみんな気持ち悪い訳ではないと思いますが、多いと思うなら、価値観がその人と合わないとと思って受け流しましょう。
私もおばさんだけど。若い方でも同年代でも、年上の方でも、突然恋愛を意識した会話、卑猥な会話をする方は丁重に指摘させていただきます。
気持ちいいと思える方へはきちんと返信をしてます。

すずめ

回答数 180>>
シーフードサラダ。
わさびたくさん乗せて、お醤油少し垂らすとさっぱり美味しい。

すずめ
弱い自分に苦しむことが、大事なことなんです。
人間はもともと弱い生き物なんです。それなのに心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする。
強くなるということは、鈍くなることなんです。痛みに鈍感になるということです。
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる。
自分が強いと錯覚した人間は他人に攻撃をする。
痛みに鈍感になり優しさを失う。
いいんですよ弱いままで。自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。
人間は弱いままでいいんです。
いつまでも弱いものが手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい。
昔、聖者の行進というドラマでいかりや長介さんが演じる弁護士の長台詞。
当時小学生だったけれど、ドラマ自体が好きで、再放送も含めると何度も見ていた。
どことなく、今の自分の生き方や、選んでいる仕事に通じる考えを要約してあるような言葉。
実際に人生経験を積んでまた再度噛み締めている。
暴力を振るいたくなる男性の弱さ、片意地を張って粗暴な態度を取る人弱さ、人を見下す事でしか自分をはかれない人の弱さ、弱い人の痛みを攻撃材料にする人の弱さ。
強いと錯覚している人がどれだけいるんだろう。
社会的弱者という仮面を被ったとんでもない魔物や、優しさを失ってモンスターと化してしまう人間も何人も見てきたけど。
そういう人も、実のところ脆く弱いんだと思えるようになってきた。
そういう人こそ、助けてあげないといけないんだとも思えるようになってきた。
介護の仕事をやりたい、福祉の現場が好き。本人の希望を叶えたい。
だけだったけれど、その人らしく生きるにはどうしたらいいんだろうと考えるようになって。
自分の人生経験で辛い時助けられた公的制度、補助、民間での支援や援助を人に伝えることで、個人の希望を総合的に実現する事を自分の専門にしたいと思っている。
忘れてはならない、大切な言葉とまた再開できた。
弱い自分を大事にしてください。弱さはウィークポイントではなく、人の痛みを誰よりも知っているという優しさという強みを持っていると。
自分に誇りを持ってください。
みんなが幸せでありますように。

すずめ

回答数 9447>>
でもすぐに許せる場合と、簡単には許せない場合があるから。
それまでの関係性と原因によっては時間をおいて再度関係修復をはかる場合があります。
友達同士の些細な意見の食い違いならすぐ謝るし、仕事上ならなおさら喧嘩してる時間はありませんし、改善していかなければならない点を話せる関係性にならなければならないのですぐ謝罪はします。
パートナーとの喧嘩になると、そもそも喧嘩しなように務めているつもりなので。よっぽどのことが無い限り許しますし、喧嘩に発展させません。
喧嘩が長引く場合はしばらく時間を空けて過ごして、再度関係を見つめ直して、自分を見つめ直して、関係修復をする努力はします。
関係性や原因によりますね。

すずめ

回答数 47>>
ちなみに、恋愛は宣誓制度は取らない主義なので表面上は平静を装います。

すずめ

すずめ

回答数 62>>

すずめ
どんなに心の中にあいた穴を埋めようとしても、また、埋められたと思っても。
絶対にそれは最初のものの代わりにはなり得ない。
ジークムント・フロイト
昨日出会った、精神科医であり心理学者のフロイトの言葉。
フロイトはエディプスコンプレックスを提唱した事でも有名で、私はなんとなく、親に似た人を好きになるという迷信めいた言葉に通じるものを感じている。
父が亡くなってからというものの、父のように無口で無骨。よく言えば穏やかな性格。
頑固で理屈っぽいところもあるけれど笑うとホッとなるような人。
ただカッとなると手がつけられない。
そんな人を好きになる。
離婚してさまざまな経験をした上で、恋愛をして恋に敗れるたびに、亡くなった父のような人を放っておけないと思ってしまったり、手放した息子を眺めてるような気持ちになり。
最後に好きになった人を、人生で最後に愛した人として終わろうと思っていた矢先に出会った言葉が、フロイトの言葉だった。
最初に失った父、泣きながら手放した息子を追い求めるかのように人を好きになり、幸せを感じていたけれど。
依存傾向が強くなり、共依存的な考えをしては過保護になり、束縛して苦しめてしまった。
その人を見てるようで見ていなかった。
ごめんなさい。
あなたをしっかり見ていなかったのは私の方だった。
あなたには幸せになって欲しい。
私を忘れないで欲しい気持ちは強いけれど、私を忘れて、私が消えるほど幸せになって欲しい。
息子と同じように。
今恋愛中の人も、忘れて欲しくない。
その人を失って次を見つけても。
好きなその人の代わりは誰もいない、どこにも無いこと。
全ての人が、自分らしく。
幸せになって欲しい。

すずめ
ご飯をたくさん食べないといけない、たくさん食べないと太れない、体力も筋肉も戻らないって思うのに。
たくさん食べても食べても一人前にも届かなくて、痩せてく。
太りたいのに、太れないよ。
筋トレもたくさんして、有酸素運動もして。
おなか空いておやつをこまめに食べたり、栄養補う飲料飲んだり。
食べても食べてもガリガリのまんま。
タンパク質も塩分も本当は制限しなくちゃいけないはずなのに、低体重すぎて身体が痛いよ。
他臓器不全だから栄養が吸収しづらいとわかっていても。
食べても痩せてく、食べられない、情け無い。
身長が高いから50kgは欲しいのに、はるか彼方の数字になってく。
骨が当たって痛くて、食べたいのに食べられないのが情け無い、助けて欲しくて泣いてるなんて、私らしくない。
私らしくないや。

すずめ

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すずめ

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すずめ

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すずめ
地元に戻って三日目、転院先へ入院して二日目。
久しぶりに会った姉の物腰が喧嘩腰で。
まだこっちの病院に来て1時間ほどで、慣れ親しんだ石巻と気候も環境も、生活もガラッと変わってしまい。
友人とも遠く離れてしまって精神的にまだ不安定な私は、姉が出て行った後に思わず怒鳴り声をあげてしまった。
まずは身体を治して欲しいと思ってくれている、生きていくために先を考えて欲しいのは本心なのだろうけど、姉はアウトプットを上手く出来ない人だから。喧嘩腰になってしまったり、矛盾して急かすような言い方になってしまったんだろうと思う。
私は、また福祉の世界に戻りたい。
だから身体をしっかり治すことと同時に体力もつけたい。
少なからず、栄養不足やその他の要因でダメージを受けている脳が正常になって欲しい。回復をしたい。
自宅でどんな話をしているのかはわからないけれど、母を通じて姉の意向を聞いた。
心配をさせてしまうほど、痩せて衰えてしまったんだろう。実際に、見る影もない姿をしているのだから。食べられないのを叱りたくなるんだろう。
本人は受け入れているんだ。自分の出来る限りをしているつもりなんだ。
栄養を摂れるように、少しでも筋力を取り戻すように。自分の言葉で、新しい土地でも積極的に治療をしているつもりなんだ。
加療や仕事先を探す時間があるうちに、福祉心理カウンセラー資格とアドバイザーのダブル取得目指していることを、母を通じて伝えてもらうことにした。
施設に入るより、私は仕事を少しずつ始めたい。
自分にどれだけの時間が残ってるかわからないからこそ、最後まで希望を持って走りたい。
また言い争いになってしまってはお互いのために良く無いから。私は姉の気持ちも受け入れた上で、自分らしく生きていきたい。
そんな背中を押してくれるような、夜明けの月だった。
不安だらけで迎えた今日を踏み締めて生きていけたから。明日も目を覚まして、自分らしい一日を生きよう。
待っててくれる息子や、姉や、母。どこかで待っているまだ見ぬ出会い。再会。
その日まで、この土地で、一歩ずつ生きていこう。


すずめ
馴染みのある地元に戻ってきた。
出発の朝、看護師さんたちや看護助手さん、リハビリの先生が顔を見に来てくれた。
やっぱり離れるのが寂しくて、感謝してもしきれなくて。お世話になったみんなにお礼を言っているうちに、お母さんみたいに可愛がってくれていた看護師さんが先に目をうるませたものだから、私も泣き出してしまった。
友達みうにたくさんお話したリハビリの先生にも、頑張ってねって言えた。
長く入院させてもらって、助からないと思ってた命を繋いでくれた。
また戻ってくる時には、観光客として戻ってこよう。元気に歩いて、笑って、会いに来よう。
大事に大事にしてくれた、家族よりも寄り添ってくれたみんなのために。
もういくばくもない物と思った命の、治った先を大事に生きていきたい。
今度は私が、自分の天命に感じている介護福祉の仕事で、人の役に立ちたい。
ありがとうございました、石巻。
第二の故郷に思い、また来ます。



すずめ
この土地に約1年暮らさせてもらい、2回冬を過ごさせてもらった。
昨日主治医の先生の最後の診察をしたけれど、ここに運ばれてきた時には、先生ももう長く無いと思っていて、家族には余命宣告をしていたそうだ。
最後くらいたくさん食べてという意味もあって、たくさんご飯をを食べさせて、喉が渇くなら水分も制限させなかった。
2ヶ月前の最後のKART療法、アルブミン療法を最後に、腹水も溜まって居なく、痛みもなく過ごしていて。
運動量も体力も筋力も回復している。
先生も不思議な物を見るように、お腹を触っていた。
生きていたく無いと私も思っていたけど。
フラッシュバックしてはパニックを起こす私を支えてくれた看護師さん。生活をと心を支えてくれた看護助手さん。
ずっと一緒に今後のこと、治した先のことを考えてくれたソーシャルワーカーさん。
全身の筋力が衰えて、脳からくる振戦で立ち上がりも困難だった私を立たせて、歩かせてくれた、毎日少しずつ進めてくれたリハビリの先生。
たまに連絡をくれる石巻をはじめ東北で知り合った友人。
最初に発見してくれた近所の方々。
みんなに感謝してます。
3ヶ月も居たから、離れるのは寂しいけど。
地元での生活に向けて、旅立たないと。










DEPARTURES

すずめ
ごちそうさまでした。
一人の病院食でも、お箸を両手で持ってご飯に頭を下げる習慣は変わらない。
作ってくれた人、食材を作ってくれた人、お肉お魚野菜に感謝しなさい。
ご飯一粒には7人の神様がいるから、残さず食べなさい。
食べられる事は幸せな事なんだよと教えてくれた祖父母。
実際に畑に連れて行っては種まき苗つけ、草むしり、収穫に保存、漬物まで教えてくれた祖父母に感謝している。
ようやくお腹空いたと感じる事が増えてきて、子供サイズのおかずだけでも完食出来るようになった。
ご飯はいつも半分くらい残してしまうけれど。
胃が小さくて一度にたくさん食べられない、
栄養不足だから、本来ならしなきゃいけない食事制限もできず。
おやつの許可をもらってお煎餅やアイスなどでも補ってはいるけれど。
やっぱり好きな物や白いご飯を、私も食べたい。
もうすぐこの病院から地元の関東の病院に転院するのだけど。自宅に戻る準備のための入院とはいえ、不安です。
先生が変われば、見解も変わる。治療方針も何もかも変わる。知り合いも、馴染んだ看護師さんもリハビリの先生も居ない。
治療方針が合わなかったり、また末期の重篤な症状が出ても対処できなかったら。
また、苦しさに息をつまらせて、ゆっくりじわじわと息が止まるのを待つ日々を送るかもしれないと思うと不安が押し寄せてくる。
でも、食べられていれば、歩く事を忘れなければ、人間は大丈夫なんだと信じてる自分もいる。
明日も目を覚まして、ご飯を食べて、身体を動かして。
息子代わりのプーさんを心の支えに、次の病院でも頑張ろう。





すずめ
友達と呼べる人ともあんまりべったりしない、男友達なんて一人しか居ない。
ほんの年に数回だけど、女の友達とも男性とも基本一対一で遊ぶし、ご飯も行く。
でも、男の人と恋愛に発展することが極端に少ない。
私にとっては好きになるって本当、人間的に好きって意味で。
恋愛になると依存してしまったり、逆に興味が無くて放置しすぎてしまったりしてしまって、うまく距離感が掴めない。
それに、もう完全に忘れろよって周りにも言われてて、連絡すら取れない元恋人のことがまだ頭から離れない。
後悔の波からやっと抜け出して、だいぶ心に余裕ができて。やっと俯瞰して見れるようになってきて初めて気づいた。
何よりも親友で、家族よりも家族で、自分の子どもで自分のお父さんみたいに愛してること。
人生に、いまさらや、もう遅いは無いと思ってる。
振り返る事はしても追い縋るように逆走することはもう無い。
別々の道を歩いているけれど、一人の時間も悪く無いものです。
闘病中だけど、人生で一番綺麗な良い顔してる。
まだガリガリだけど、少しずつ筋トレと有酸素運動のリハビリが効いてきて綺麗な身体つきになってきた。
有り余る時間、勉強していたエステを自分に施術しているから。肌も綺麗になった。
勉強する時間も、適度に仕事の刺激も受けて、少し成長した。
一人の時間で、最高の自分磨きをしておこう。
もう一緒の道は歩けなくても、あの人が振り返って肩を叩かれるくらいには。
素敵な女性になっておこう。自分のために。

すずめ
目を閉じると、また怖い夢を見てしまうような気がして。
心細くて、ずっと自分の今の状態に近い症例が無いか、辿る事になる予後と治療を調べながら。
生きていたい大きな理由の、息子の写真を眺めていた。
3ヶ月前、衰弱して自宅で倒れてしまっていた所を近所の方々に発見されてICUに送られ緊急入院し。
今の病院に正式に入院となった時、以前にも入院した際にお世話になったソーシャルワーカーさんを通じて、絶縁宣言を言い渡された母と家族と再会と復縁を果たした。
昔から水と油の仲の長女が、もう10年も前に両親に向けてプレゼントしたUSBメモリから産まれまれたての息子の写真や、お食い初めの日の写真、日常で撮った写真をデータから引き出してコラージュにして、関東から宮城のこんな港町にまで駆けつけて届けてくれた。
あの子が5歳の時、離婚したんだ。
もう小学校も決めていて友達の多い生活圏から離してまで、経済的にも精神的にも不安定な私と、友達も居ない田舎で暮らして、仕事で毎日家を空けて寂しい思いをさせて、後ろ指を刺されてあの笑顔を暗くさせるよりは。と思い、話し合いの結果手を離した息子の事を、1日たりとも忘れた日は無い。
誰がなんと言おうと、いくつになっても私の息子。
いつか私の最後の時に残せるものは全部渡すつもりでいたから、言われるまま名前も変えなかった。今は納得してる。
そのことで結婚の約束をした人から変な勘違いをされて殴られたこともあった、息子が側に居なくても息子の好きな子供向けの商品を買うことが子供じみてて頭がおかしいと恋人に罵られたりしたこともあった。でも、親になった事がない人にはわからない。この感覚と感情は。
ねぇお姉ちゃん。私はフラフラしているように見えて不安定で、よく心配させては怒らせてるよね。でもこの赤ちゃんの息子を抱いている時からずっと心は変わらないんだよ。
こんな私でも、あなたと変わらないたった一人のあの子の母親なの。
この写真たちを届けてくれて、ありがとう。
誰にも代えられない息子へ。
あなた/宇多田ヒカル
あなたの居ない世界じゃ、どんな願いも叶わないから。
燃え盛る業火の谷間が待っていようと、守りたいのはあなた。
あなた以外なんにもいらない、あなた以外の問題は取るに足らない。
多くは望まない。神様、お願い。代わり映えのない明日をください。


あなた

すずめ
自分の病は完治が無い疾患だから、少しでも長く、うまく付き合っていくためにきちんと学んでおくべきだと思い。
自分がどの段階に居るのかを医師や看護師に確認して、再度勉強してみた。
進行度によって変化する予後。5年生存率、10年生存率を知れば知るほど、自分が一握りの存在になれるかが不安で、生きていたいと願う気持ちが強くなって悲しくなっていく。
見せたい景色があるんだ、また見たい景色を自分の息子や大切な人に見せてあげたい。
また笑う顔を見たい、なんでも無い手料理を頬張る顔を眺めたい人が居るんだ。
奇跡的に今、末期症状が落ち着いているだけかもしれないことに変わりはなく、明日はわからない。
来週は来月は、また末期症状が現れて、生きるか死ぬかの淵をフラフラしているかもしれない。
表層に現れていないだけで、がん化が進行している可能性も捨てきれない。
一昨日くらいから精神的に不安定で、夜に自分の葬儀の夢を見てはパニック発作を起こし、鎮静剤を打ってもらってなんとか寝ている。
家族に相談すると、
あなたは昔から不思議なほど運が良いから大丈夫。神様が守ってるかのように何度も生きて帰って来るから大丈夫だ。と励まされた。
本当に神様がやることがあると言うように、末期症状から医師にもわからない回復を見せたんだ。
今、また腎機能が停止している兆候が出始めて弱気になっているけど。
来年の夏は少し涼しい東北の七夕をまた見に来たい。残暑には冷たい川に足をつけてのんびりしたい。秋は紅葉を眺めたい。雪が降る中を歩きたい。
まだ生きる、また会いたい。
最後に愛した人と、永遠にずっと心の中に居る小さな息子に会いたい。
一握りの存在が居るなら、その一握りになれるように。明日も頑張ろう。










すずめ

回答数 242>>

すずめ
いろいろな要因が重なって、心を壊して醜形恐怖や摂食障害だった私へ。
センシティブな内容だから不快な気持ちにさせたらごめんなさい。
バラエティ番組で、ダイエット検証で有名なチャン・カワイさんの言葉にかなり勇気づけられた。
自分の奥さんや、女性の方で、太る事が怖くて食べる事が怖い人がいるから、諦めない。身体張って、食べても大丈夫だよって伝えたい。
っていう内容のことをおっしゃってて、不覚にも涙が出てきた。
理由が違えど、今も食事制限があって食べられる物の塩分糖質脂質タンパクもしっかり管理して、なおかつ必要栄養は摂らなくてはならない身体になってしまい。
また腹水が溜まって生命の瀬戸際に立たされる事が怖くて、食べることが怖い。
若い頃から精神的に追い詰められると胃痛に襲われて、精神的にも食事が摂れなくなり。
社会人になり経済的に余裕ができるとストレスが重なると、胃袋の限界まで大量に食べては完全に吐く。過食と拒食を繰り返していた。
思えば、肥満児だった幼少期にいじめられてから、食べる事が好きなくせに、食べる事が怖かった。
そんな時に、
食べて良いんだよ、食べても大丈夫なんだよ。と諭してくれる大人は居なくて。
何故食べないのか、何故食べた分を吐くのか、食べろ太れ、痩せろ。
としか言われなかった。
食の障害の事象に焦点を当てて、正常に食べる事が目標になっていたら、食べられなくて当たり前になっていくよね。
食べる事に嫌悪感があって、恐怖を感じる理由、気持ちに寄り添って、大丈夫だよと言ってくれるチャンさんみたいな大人があの時に居てくれたら。
摂食障害に長年悩まされなくて良かったのかもしれない。
理由が違えど今も食事はちょっと怖い。
消化器疾患で多臓器不全だから、塩分糖質脂質タンパク質全部に制限があるから。
また生死の境目に逆戻りするのが怖くて、食べたくない日が続いていて。
食べる事が怖い人がいるから、諦めない。って姿勢に背中押された気がした。
食べて良いんだよ、食べられない自分も、食べてしまう自分も許してあげていいんだよ。
一気には無理でも、少しずつ許してあげよう。
私も少しずつ。
こんな身体になった自分と、不安定な心の自分を許してあげよう。
食べることが怖い気持ちを薄めていこう。

すずめ
察するに、夜間せん妄の患者さんが大変なんだろうけど。
あまりにもうるさくて眠れない。
今日は関東から療養中の宮城県までわざわざ母が面会に来てくれ、痩せてしまったのを心配してたくさんのお土産を買って来てくれた。
体重が一向に増えず、食事量も増えないままだから。身体の負担にならない程度で軽いおやつは許してもらえるようになったから。
お土産に買ってきてくれたおだんご、泣くほど美味しかった。
目で見て一人前あるとそれだけで食欲がなくなってしまうから、あえて通常の半分で提供してもらっている病院食。
見た目だけは普通っぽいけど、幼稚園児の給食みたいな量しかないの。
それでもほとんど手をつけられなくて、最近はお昼に出されるおそうめんか、たまに出してくれるパン、フルーツくらいしかまともに喉を通らない。
美味しいと思って楽しみにしてるのは、ゼリー飲料の栄養補助食品と、夜ご飯についてくる高栄養のポタージュみたいなスープ。
甘くて、幸せな気分になる。
ほんとに自宅に帰って、普通のご飯食べられるのかな。今のところなんの自信も無い。
髪の毛も抜け落ちて落ち武者みたいで。
たまにウィッグをかぶるようにもなっちゃったし。
不安な事だらけだけど、明日も頑張ろう。
とりあえずヘッドフォンをして、絵本の読み聞かせ動画を聴き流して、眠気を待とう。
明日の事は明日考えれば良い。
みんなも良い夢見れますように。
おやすみなさい🌙





すずめ

回答数 175>>
バランスは取れていると思うので、そんな自分は大事にしています。

すずめ

回答数 250>>
秋田犬やハスキー、サモエドのふわふわの大型犬が大好きです❤️

すずめ
今の病院から、退院後に自宅で生活する基盤を作るための入院先が決まり。
実家に身を寄せる準備や、体力をつけるためのリハビリを続けている。
正直、今の主治医も回復の見込みはない、対処療法を続けていくしかないと思っていた。
私もこのままゆっくりじんわりとガン化して、腹水を抜く対処療法を続けて、待つだけだと諦めてた。
何も食べられず、点滴だけでその日まで生かされていくだけだと思ってた。
リハビリの先生も、自力で歩く事は困難に近い、長期的なリハビリが必要になると覚悟していたと。最近になって明かしてくれた。
歩行器や杖をこの若さで一生手放せないと、カンファレンスで判断していた事を症状が落ち着いた今、主治医やいろいろな方から聞かされて驚いている。
年末に最後の腹水穿刺とKART療法、血液製剤のアルブミンの点滴をしてから腹水は溜まらなくなり。
血液検査の結果も良好。肝臓や消化器関連の数値は完全には良くならないものの、機能を停止していた腎臓が正常に動き始め、一時は人工透析が必要と判断された状態からも抜け出した。
貧血も良くなり、自力歩行はもちろん階段歩行での体力作りも始まった。
42Kgで衰弱状態で入院したのに2週間ほどで62Kgまで体重が増えた。全て異常な量の腹水だった。
まだ低血圧や突然の発熱、腹痛で倒れ込む事はあるけれど、転院先では自宅復帰と社会復帰の地盤を作ることになっている。
まだ課題はたくさんある。
体重が増えない事が今の一番の課題。
167cm45kgから一向に増えない。
腹水で圧迫されてしまっていたからか、極端に食べられず。腹水が消えた今でも、食べられる量、物が限られてしまっている。
肝臓や膵臓の損傷、腎臓への負担を考えると、なんでも食べれば良いというものでもなく。
毎日栄養科の先生が工夫をして出してくれる少量のおそうめんと、ゼリー食とゼリー飲料、高栄養のスープが命綱。
退院したら、自宅に戻ったら、医療用の栄養補助は処方薬の甘い物だけになってしまう。
以前仕事上、試飲をしたけれどあれを毎日続けるのは辛い。
とにかく太りたい。
筋肉をつけたい。
私も、普通の食事を食べて見たい。好きな物を食べられる分だけで良いから食べてみたい。
人生で初めて、健康的に太りたいと思いながら、毎日窓越しの空を眺めている。




すずめ
最初に発見された時には肝硬変で重篤な状態だと聞かされた。
実際、痛みと飢餓状態でとてもまともな状態ではなくて、今思えば夢の中と現実の区別もついていなくて、フラッシュバックを起こしてはパニックになって助けを求めてた。
あれからだいぶ身体的症状も精神的症状も落ち着いて、入院中ながらちまちまと簡単な仕事をするようになり、社会生活への第一歩を踏んでる。
せっかく移住した土地だけれど、もうまもなく生まれ故郷に戻ることになる。
水郷と言われる、水が豊かで農耕が盛んで、海のように湖や河川が広がる故郷。
あれだけ何も無い、閉鎖的な土地を嫌っていたけど、今は早く帰りたい。
あちらでもまだ入院生活は続く予定だけれど、家に帰りたい。
昨夜、"愛を乞う人"という映画を見た。
境遇は違えど、私と私の母、母と祖母の確執、巻き込まれた人々を重ねて見ていた。
最後、母から逃げずにしっかりと向き合う娘の姿に感銘を受け。
先日わざわざ関東から東北へ面会に来てくれた母との会話を思い出して泣いていた。
急に手を繋いでくれと母に言われ、痩せこけた手を母が握ると。
涙を流しそうな顔と声で、
あなたはこんな手をしていたっけ?
と呟いていた。
大事そうに手を握る、母の小さな肩を見て少し切ない気持ちになった。
もしも私の息子が知らないうちに病に倒れ、痩せこけて骨と皮だけのような姿になってしまったら。
私のことなど居ないものと思っていた息子が、急に現れたら。
私はどんな感情になるんだろう。
治療の甲斐あって腹水は大幅に減って、そのまま維持をしているけれど。
食欲はなかなか戻らず、痩せていく一方。
歩けるのに、話せるのに、身体がついていかないのがもどかしい。
早く帰りたい、何にも無いけど水が豊かな故郷に帰りたい。



すずめ

回答数 331>>

すずめ
秋の空も風も私の知らない冷たさと空の色で、雪は見たこともないくらい積もってて。
去年も同じように病院に入院してたっけな。
年明けからゆっくりと時計の針がまた動き出して、体調も揺れながらも安定してきた。
おかげさまで腹水やむくみも無く、リハビリの成果で単独歩行の練習が始まった。
治療のおかげで身体が軽い。
ただ、食欲だけは戻らなくて完全に痩せすぎてしまったから今日から食事が通常の半分と栄養補助のデザートやドリンク、スープを食事とは別に三度摂ることになった。
保育園児みたいな可愛いらしい食事と、栄養補助の流動食だけだけれど。
食べ切れると子供みたいに嬉しい。
また写真を撮れるようになるかな?
働けるかな?旅行に行けるかな?
ただ、ご飯を食べられただけなのになんだか未来が明るくなった。
出来るだけ口から食べてほしい、食べることを忘れないでほしい。
と経口摂取にこだわってくれる主治医や、栄養科の先生、いろんな人に感謝。
もう一人で生活していくのは困難だから、実家に戻ることになるけれど。
またここに来る時には、一眼レフ抱えて、復興した街と海、空を撮りに戻ってきたい。







すずめ
いつかの夕景と月が似合う。
必要だからとはいえ、不要な体液を大量に抜き、必要な成分だけを身体に戻すという治療で体力を奪われ。
その後再び身体に水が溜まらないようにと、輸血に近い治療をした。
水分代謝も良くなってきたから、おかげさまで、身体が軽い。
効果があるその分、身体の負担が強くて毎日発熱。
食欲も何も無い。水分と栄養補助のゼリーが頼り。
完全に弱気になって、気を抜くと泣いてしまうけれど。
昨日は私の天使と電話ができて、ぶっきらぼうで、元気がなさそうな声を聞けて。
何がなんでも、カッコ悪くても生き延びる、いつも通りの笑顔で会いに行くんだと希望が見えた。
今、やっと快方に向かいつつあるんだ。今を耐えれば会えるはずなんだ。
手を繋いだり抱きしめたりはもうできない、難しい年頃だけど、諦めずにがんばる。
いつか見た夕景と、自分の足で見に行った夜景と月みたいに。
諦めない、今年もあと1日。
走り抜ける。





すずめ
何故、どうして、こんなはずじゃなかった。
焦り、先の見えない恐怖、社会復帰への渇望。
看護師さん、それぞれ事情が違うの。
若いからなんでも出来るわけでもない。
はっきり言う方だから癪に障るかと思うけど、言い方やそっちの主観で決めつけられると。
ちょっと悲しくなる。
私には私の複雑な人生があるの。
あなたにはあなたの事情があるように。
あぁ、海を眺めに行きたい。


