Gravityあるある言いたい〜Gravityあるある今から言うよ〜oh Yeaaaaaaaaah!!!!!!!!Gravityあるある言いたい〜Gravityあるあるすぐに言うのさ〜Gravityあるある言いたい〜あなたに今すぐ言いたい〜so Gooooood!Gravityあるあるつらいと嘆いた時知らんやつから慰められがちやさしいねぇ
フラッシュバックするネガティブシーンを攻略する鍵となるものあのときあんなことしていなければ……と、何年経っても過去のネガティブシーンに今をかき乱されたりしていませんか?ぼくはしょっちゅうありました。そんな悩みを抱えるあなたのために克服法の話をしたい。ネガティブシーンはやたらと彩度を保ちながらぼくたちを苦しめ続けますが、思考をずらすことで対処ができるようになります。言わば考え方のクセを変えることです。ネガティブシーンがフラッシュバックした時、全く別次元の想像をする。これだけです。ネガティブシーンがフラッシュバックした時に「明日美味いもの食いに行こう」など、別の思考を働かせるのです。そうすることによって……フラッシュバック▶︎過剰反応する▶︎メンタルが落ち込むという一連の流れからフラッシュバック▶︎別のこと考える▶︎フラッシュバックシーンが重要では無いと脳が認識して再出現しにくくなるというようにネガティブシーンの攻撃を躱すだけでなく再出現しにくくプログラムし直すことが出来るのです。ぼくたちは過剰反応してしまうがためにネガティブシーンが重要な情報であると脳が学習してしまうのです。それによって何度も何度も痛めつけられる羽目になる。フラッシュバックから抜け出す鍵は「思考ずらし」これに尽きるとぼくは経験から感じました。
ネオ幸福論ぼくたちは「物事由来の幸福」こそ至高で得るべきもので、それがあれば満たされた人生を送ることができると考える。しかし、答えは否。常に上には上がいることを忘れてはならない、物事由来の幸福ばかりに時間を奪われると欲しいものを手に入れても何かを成し遂げても嫉妬心に追いかけ回され、そのまま墓場に足を突っ込むことになる。武道の世界に心·技·体という言葉があるように人間の社会においての幸福は心·技·体のプロセスが必須である。にもかかわらずどうだろう、周りを見渡してみると、見た目の美しさや表面的な恋愛テクニックや話術、学歴など「体・技」を磨くことばかりに熱心になっているではないか。これでは肝心な「心」が疎かである。ぼくたちは起きた出来事に対する心の反応を学ばなければならない。これからは「心」を磨かなければ文字通り生きていけない時代になるだろう。幸福の鍵は足るを知ること。これに尽きるんじゃないのか。さて、本題。どこを見渡しても欲望の渦だ。やれ、かわいい女とヤリたいだ。やれ、金持ちと結婚して専業主婦になりたいだ。やれ、有名人になりたいだ。そうなったらどうなると言うのだ?それこそが至高の幸せだと?甘い、非常に甘い。断食明けに食うミルクチョコレートより甘い、考えが甘すぎる。これらの欲望は全て自己完結出来ないコンフォートゾーンの外側にあり他者依存型なのだ、至高の幸せは外側には存在しない。常に自分の脳みその中にある。様々な微々たる感覚を湛え、理解し、飲み込む。その感覚由来の情緒をかき集める作業こそが幸せそのものなのだ。つまり常に自分との対話をすること。全て自己完結型であることが必要なのだ。
「自発」を促す「驚き」という魔法ついつい我が子には極度に甘やかしたり極度に厳しく指導してしまいがち。これでは人は考えなくなり、目の前にいる大人を満足させるための最適解を探すようになる。これでは「自発」で動き出そうとしても過去の躾が足枷となり身動きが取れなくなる。ぼくの提案は「驚き」を教育に取り入れたらどうかというもの。褒める場合、どうしてその結果に至ったのかを驚きながら聞く「なるほど!それどうやったの?」と。そうすると子供は嬉々として話してくれる、そうするとどうやって次は驚かせてやろうかと新たな発見をどんどん持ってくる、これが正しい自発。子供のことからこの自発が出来る子は自分で考え、自分で動けるようになる。かく言うぼくも中学のころの校長先生が驚くのが上手で、色んな発見をしては話し込んだ。その経験がぼくの考える力を養ってくれていたのだと今になって気づいた。教育に必要なのは放任するでも厳しくするでもなく、子供が自発的に何かをすることにあるのではないでしょうか?
人生を善いものにするヒット・アンド・アウェイ戦法皆さんには実家ってあります?ぼくは無いです(ぴえん)実家があって尚且つ家族関係が良好ならチャレンジ無限連鎖が出来て、願望実現にめちゃくちゃ有利だぜって話です。その名もヒットアンドアウェイ戦法‼️衣食住が満たせる身体的安全拠点があると人間は無双できるわけですよ。何にチャレンジしようが再起可能。残機無限なわけです。勝ち確なわけです。帰る場所があること、これってめちゃくちゃ強みなんですよね。やりたいという「自発」が生じれば、ポンッと足を踏み出せばいい、そこでなんかちゃうなぁと思えば拠点に戻ればいいだけ。これを繰り返していくと、それまで結果が出なかったとしても経験の点がある時、線で繋がるランデブーポイントが出来る。あとは、ただそれを繰り返すだけでいい。自分で生活するためにお金を稼がなければ、と鼻息を荒くする必要も無いから肩の力を抜いて挑める。そして、試行回数が多ければ多いほど経験的観測がクリティカルにできるようになる。言わばこれが経験値の違い。段違いに仕事できるなこいつって人とか達観して物事を捕えることが出来る神様みたいな人はこの試行回数がとってもとっても多い。そういう人は実家に限らず何かしらの精神的、身体的安全拠点を持っている人です、絶対にね、例外はマジでない(僕調べ)こういう人は壁にぶち当たった時の対処法が煩悩の数より多い。同じところで何年も何年もシコシコやってる人はひとつのやり方しか知らない、それどころかこれこそが至高だと頭でっかちになりがち。この場所で何年もやってきた俺こそが正解なのだ、と。他方ヒットアンドアウェイが上手な人は二の手三の手と攻略法がポンポン思いつく。そう、なぜならひとつの手段に執着が無く、これがダメでも俺には私にはあの心理的、身体的拠点があるんだという安心感があるからだ。ヒットアンドアウェイ戦法はある種の人生攻略法とも言えるかもしれない。
正直ね昇進狙ってシコシコ働くよりリゾートバイトで生の英語学んで貯金しつつワーホリビザ取得してオーストラリアで働いて、たんまり溜め込んでから次のステップ行った方が頭も柔軟になるし資金、時間効率が圧倒的にいいと思うんだ。海外で働いたというワンステップは圧倒的な自信にもなる。