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読書

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歴史と言うよりは、その人物の性格や行動に重きを置いているとのことで、とても読みやすく面白かった。


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彼は、神託所を開設し、様々な詐欺的手法を用いて託宣を行い、大勢の人々が駆けつてくるほどの評判だったらしい。
例えば、託宣を受けに来た人が予め考えていた質問に対して、なんの手がかりもなしに、的確に答えたりしたそうだ(無論、これにはトリックがあり、その方法まで書かれている)
著者のルキアノスが、逆に彼をはめて、神託はでたらめであることを実際に確かめているのも面白い。
後の3世紀頃にキリスト教徒が書いた書物には、アレクサンドロスが利用したようなテクニックが暴露されていたり、古代からこのようなペテン師はいたんだなーと(どうやらその本も邦訳されているらしい)


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ほぼ900ページと分厚い。
正直、現代の百科事典だと読む気にならないけど、200年以上前のものなら普通に読みたくなってくる。
百科全書は図版も合わせて合計28冊にもなるが、図版は大阪府立図書館のウェブサイトで、全巻はフランスのウェブサイトでいずれも閲覧できる。


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フランス革命時に25歳で国民公会議員となり、頭角を現すが、クーデターによりわずか26歳でギロチンで処刑される。
その若さや、「死の大天使」とも呼ばれる彼の人間像は、同時代のみならず、後世の人々をも惹きつけてやまないそうだ。



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弁論の中でも、弾劾演説がとても凄い。
言葉遣いは激烈で、相手の性格・外見から行動まで、あらゆる性質に対して辛辣な言葉を浴びせかける。
このような個人攻撃を目的とした中傷演説は当時のローマではそんなに珍しいというわけでもないということで、ローマ人の気性の荒さを物語っている。
(ラテン語がそもそも罵倒に適している言語とのこと)


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カエサルが実権を握り、暗殺されるという歴史が大きく動いた時代、自分はどう行動すべきか、また、迷った挙句に選んだ選択肢を後で後悔するなど、自身も渦中に深く関わっているため、相当苦悩したことが窺える。
友人のアッティクスに「こんな時に君がいたら…」と何回も伝えており、キケローにとって、何でも相談できる相手が心の支えとなっていたようである。


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著者であるディオゲネスが、利用できる様々な資料を用いて、ギリシア哲学者たちの伝記を編纂。
各学派ごとに分けて、それぞれを「創始者からその各弟子たち」という順で書かれている。
伝記的内容だけでなく、学派の教義を解説してくれていたり、当時伝わっていたらしい哲学者たちの遺言状や手紙まで収録してくれている。


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途中から指揮をとったクセノフォン自身が著した書物。
昔は「占い」が大きな影響力を持っており、迷った時や重要な決断の前には、獣を生贄に捧げどうすべきかをその都度、占いで決定していたことが頻繁に出てくる。


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ストア派の創始者とされる「ゼノン」はこれをアテナイの書店で読み、哲学を志すこととなる。
また、ベンジャミン・フランクリンは若かりし頃、この本に感銘を受け、「ソクラテス式問答法」を実践し、論争相手をやり込めていたとか。
内容は、ソクラテスの弁護として書かれたようであるが、対話し、また行動でも示したソクラテス(あるいはクセノフォン)の『人生論』としても読める。


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古代の人たちのエピソードが多数含まれており面白かった。


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他方、自然本来では、自分の力でことを成すことは全く当然だから、そんな力のない弱者は、強者から搾取されるのは自然の理であり、これこそが正しい』
という紀元前からすでに流行していた主張に対し、ソクラテスの口を借りたプラトンがどのように反駁するのか見物です。


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最近の分析では、理解という観点では、紙の方が良かったが、その効果は小さかったとのこと。
過去の研究では、紙より、画面上で文字を読む時のほうが理解がしにくい傾向(screen inferiority effect)が見られた。
今回はタブレット端末が対象だったのだが、『screen inferiority effect』の効果の大きさは、PCよりもタブレット端末の方が小さいらしい。
これについては、タブレット端末は手で持って読書を行うが、これが紙書籍を手に持って読書をする行為に似ているからではないか、とのこと。
つまり、同じ画面上で文字を読むという行為でも、PCだと、本来の読書とは動作がかけ離れているため、よりテキストの理解がしにくいという仮説が考えられる。
なお、今回はスマホについては検討外。

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あと、倒置なのか目的格関係代名詞が省略された主語なのか、パッと見判断出来なくてムズすぎる…
The theory is arbitrary, be it however "objective," and the problems it solves, however precisely it may solve them, are not even simplified theoretical counterparts of the real problems to which it is applied.

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ルソー本人が実際にノートルダム寺院に行って原稿を祭壇に置こうとしたり、道端の通行人に書状を手渡したり、見知らぬ人に手紙を書いたりしてまで託そうとしたらしい。
「処分せずに最後まで読み通して欲しい」と書いているほど、誰か、もしくは後世に読んで欲しい気持ちが現れている。
250年程経った今、確かに受け取ったという思いで読み終えた。


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オリジナル研究を追試したけど、同じ結果が得られないことに気づき始め、もしかしたら自分たちは現実に存在しないものを作り出してきたのではないか、という科学者たちの懸念を「再現可能性の危機」と言う。
カーネマンのプライミング、成長マインドセット、ミルグラム、スタンフォード監獄実験、などの有名な研究が、再現できない、真偽が疑わしい、再現できても効果はかなり小さい、などの例として挙げられている。
この本にはないが、ダン・アリエリーの研究データ捏造疑惑や、行動経済学のナッジなど、有名どころでこの手の話はちらほら聞く。
こうなってくると何が再現できていて、他はそうでないのか、素人の自分では全くわからないから、研究がニュースとかになっても「再現性」が頭にちらつくようになってくる…(海外のサイトとかだと心理学の効果別に現時点の再現状態を一覧にしてくれているのでまだ助かる)


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評判が良かったので気になっていた本。
読んだら、この本を書いた作家のおっさんを応援したくなった。


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甲乙つけがたいテーマを選出し、
ディベートのような形で東大生や教授たちが議論を行う、という東大の授業がもととなっている。
自分にとってはむしろ、十数ページの著者による前書きが最も印象的だった。
そこでは「教養とは何か」という、おそらく本を読む人なら一度は考えた事がある疑問について著者の考えが述べられている。
「大人になる」ための条件のうち、「教養」が一つとして挙げられており、では教養人とは具体的にどのような人を指すのか、というのを「リベラルアーツ」、すなわち「解放され自由となるための学芸」という意味から考える。
また、「物知り」と「教養人」の違いについても触れられている。
幅広い知識は「教養人」にとって、必要条件ではあるが十分条件ではない。
教養人は、広範な知識群を体系的に構築している人であるが、体系的に構築するには、専門人になる必要があるとのこと。
分野横断的な知識を、自分の核となるような考え方や価値観、すなわち専門分野をもとにつながりを作り出し、連関のある状態で構築するということであるように思う。
となると、ここで定義されてる「大人」あるいは「教養人」になることはかなりハードルが高い。


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書簡集と一緒に読むのもいい。


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↑
これが俗に言う「馬鹿」ということか。

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何か見ちゃいけないものを見たような気持ちになったなぁ。


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自己啓発や心理学関連はもう読まなくなったので処分する予定。
昔読んでた小説も出てきましたが、これらは残すことにします。


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数学的知識があまりない自分には大半を理解する事はできなかった。また将来の自分に託します。
とりあえず、「二度ある事は三度ある」確率は、ラプラスに従えば75%になるのはわかった。


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買って途中まで読んでからしばらく放置してたが、再読。
ゲティア問題恐るべし…


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という手記がとてつもなく切ない。
「僕は愕然とした。運命の皮肉、今征かんとするとき、永久の謎は解かれた」
お互い、もう一生会えないだろうということは暗に分かっていたからか、相手の姿を脳裏に刻み付けるように最後まで二人はじっと瞳を見つめ合って、惜しむように駅のホームで別れる。
(のちにその大学生は、沖縄にて特攻隊員として戦死する)


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・客観的手法を目指した統計的仮説検定が、データ以外の主観的要素に左右される。
素人の自分からすれば、ベイズや尤度主義の方がいいのではと思った。


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紀元前319年頃執筆と推定される、テオプラストス著の小品。
大昔から面倒くさい奴らはいたんだなぁ、と思いを馳せました。


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自分と同年代の人たちが書いた文章とはとても思えない。
現代を生きる自分がどんなに多くの本を読んで、どんなに多くの経験を積んだとしても、彼らが書いたような文章をかける気がしない。


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なお、誤謬発見によって「論破」するのではなく、「真理追求」が目的である(論破は、いわば、患者を診断して悪い所を指摘はするが、治療はしないのと同じようなものである)
また、軽視されがちな「自説に対する反論への反駁の必要性」も強調されている。
自分の立場を裏付ける事のみに注力し、反証を無視するのは「多数決を取りながら賛成票しか数えない」のと同じであり、これも真理追求の態度とはみなせない。


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中でも「実証主義(positivism)」の歴史が面白かった。実証主義はいわば、目に見えないものについて語るのをやめましょう、という考え方。
確かに目に見えないものの存在まで許容するとすると、その先には疑似科学まで正統な科学として受け入れる事も可能となるかもしれない。
しかし、じゃあ観察できないものを排除していくと(例えば、原子や重力、感情など)、物理学や心理学は一体何をしているんだ?ということにもなりかねない。
実証主義にも程度があるようだが、少なくとも、急進的な実証主義を採用した場合、科学ができる事は少なくなるように思われる。


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この負の気持ちと現実逃避から、ディストピア小説を読みたくなり買ってみたのがこの本。
読みにくかったけど、過去の人たちの思いや偉業を伝達し、それらを未来の人が活用するというのは人類にしか出来ないことだと思う。
いわば本は、「現在」だけでなく、「過去から未来」においても情報共有を可能とする手段なのに、それを破壊するのは愚策だとしか思えない。


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これが本書の主旨。
つまり、「あれ?厳密に考えると正統科学も疑似科学と同じ事してない??」と言えてしまう(有名なポパーの反証主義を用いたとしても…)
客観的だと思われている科学は意外と不確かなところがあるが、それを受入れた上で最善を尽くすのが科学の営みと言える。


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統計学はその最たる例であり、
そんな誤りを知って避けましょうということを教えてくれる本。
特定の遺伝子と特定の病気は関連がない(うつ病とか)、ということは聞いたことがあったが、この本読んで納得した。


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家庭教師アベラールと教え子エロイーズは恋愛関係となり、それがきっかけで不幸を味わった2人の書簡集。
それぞれ別々の修道院に入ることとなるが、エロイーズは肉的快楽を含め最愛の人の事を忘れる事はできず。
修道女ではあるが、こんな不幸を味あわせた神を非難せずにはいられず、そんな神よりも最も好きな人にこそ慰められたい、という率直なエロイーズの心情は心を打たれる。


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以前行った古本市で150円で購入。
現代からすれば荒唐無稽としか思えない言説も見られるが、時代を先取りしている部分もあり、ディドロの先見の明を感じる。
意識を持たない物質から構成されている我々がなぜ意識を持っているのかは謎としか思えない。


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1791〜1796、フランス革命真只中のパリに住む老人が書いた日記。
物価高騰、民衆の暴動、ほぼ毎日広場で行われる処刑、自分の身近な出来事と併せて記録されてる。
多いときは一日に60人以上処刑されていたらしい。国民の敵だと判断されればおしまい。
処刑を免れたとしても飢えが襲う。
「まるでこの世の終わりだ。飢えと寒さと物不足のために皆死に追い詰められるだろう。
なんと情けない共和国だろう!」
まさに地獄。しかし、人類がこの地獄を経験しなければ今はなかったのかと思うと…



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250年前の人たちが、その当時の人々のためのみならず、我々未来の事も考えていたことに感銘を受けざるを得ない。
