5年前の3月ってちょうどコロナがこれからどうなるかって時期で、マスクが不足して手に入らなかった事があったなぁとふと思い出す。あの時、お客さんの工場に営業で行ったらお客さんがガスマスクみたいなのを付けて出てきた時は「こりゃ、大変な世の中になったぞ」と先の不安を感じた事を思い出す。今思えば一体あれはなんだったのだろうと思う時があるが、世の中っていつどうなってしまうか分からないなと考えさせられた時期でもあったなといつも3月になると記憶が蘇る。ちなみに私はまだコロナになった事が一度もない♪
前にも書いたが、競艇の場外馬券場横のコンビニには焼酎の鬼ごろしのパックを握りしめながら飲みほすお爺ちゃん、チキンに食らいつきながら次のレースを新聞を見ながら予想しているお爺ちゃん、あり金をなくしたのか夕陽を眺めながら呆然と立ちつくしてるお爺ちゃんなどコンビニの駐車場周りにはいっぱい男の浪漫が転がっていて好きだ🌇まあ、私は競艇する金があればサウナに注ぎ込んだ方がマシだと思っているが♪
仕事から帰ってきたら嫁さんが「私3月の終わりの方で3日くらい出張があるから、〇〇(子供の名前)は春休みだからばあちゃんの家に泊まるって」と言われ、「あっ、そんなんや」と軽く言ったが、心の中では「久しぶりに夜の弾き語りができるやんけ!」と叫んでいた。あとは年度末の仕事でぼろぼろに疲れない限り、三日月喫茶🌙をやりたいと思います♪
私は弾き語りルームやる時はあまり喋らず黙々と歌っている。昔、ライブハウスのマスターに「けんた、お前は喋るな、歌が入って来なくなる」と言われた事がきっかけで歌う時は喋らないような癖が今でも残っているのではないかと思っている。そして、弾き語りルームでは喋らない代わりに時々雑談だけのルームをやっている。その時はいつも会社の事務所で誰も居なくなった時にただ喋りたい事を喋るだけのルームとして。もともと喋る事は好きなので特に面白い事を喋るわけでもないのだが、マイペースにずっとぺちゃくちゃと喋っている。そして、最近思ったのが時間帯というのもあると思うのだが、弾き語りの時より雑談ルームの時の方がゲストさんが多いような気がしてきたのは気のせいだろうかと…。どちらにせよ有難いお話です♪
先月行けなかった商売繁盛祈願、ようやく行けました♪混んでるなと思ったら今日は大吉日だった。そして50円だった油揚げとろうそくが70円に値上がり…。あっ、今日もおみくじは安定の凶でした。そして久しぶりに川魚定食でマスの塩焼き、鯉の刺身を食べてまた仕事頑張ろうと思います♪
昨日の弾き語りルームで音声が出ないという問題は私が使っている機材の切替スイッチという事が分かった。アイコン横のマイクが点滅してない事に気付き、バグってるのかとルームを終了してまた立ち上げても直らない。機材使わずにやれば良かったものの機材が壊れたのではという事の方が気になって何度もルームを終了しては立ち上げてしまい、原因が分かった時にはあと1回のルーム権利しか残っていなかった。そして「これはもしや30分誰も来なかったら強制終了ではないか?」という文字の不安に怯えてながら一人で寂しく歌っていた。そして25分を経過…。「あー、今日の弾き語りはこれで終わりだな」と思っていたら初めてルームに来て頂いた方が入室してくれた。思わず「おお、ありがとうございます!」と言って今日のこのルームが窮地に立っていた事情を説明して弾き語りがスタート出来た。なにか久しぶりに初心に帰れたようなそんな気持ちで一人でも聴いて頂ける人がいる事の感謝を感じたような気がする♪
今日仕事から帰ってたら嫁さんから子供とCoCo壱食って帰ると連絡が来たので、久しぶりに美味しい中華屋で食べて帰ろうとお店に入ったらちょうど満席になったばかりで「うわ、ついてないなぁ」と待っていたら店員の女性が「座敷の6人テーブルに2人座ってるんですが、相席はどうてすか?」と聞いてきたので、「えっ、どこですか?」と言うとその席まで連れて行ってくれたのだが、明らかに恐い世界のおっちゃん二人があぐらをかいて座っていたので「いえ、カウンターが空くの待ちます」と断った。てか、落ち着いて食えるわけねぇやろ!と店員に言ってやりたかった…。
私が18歳の頃、まだライブハウスなどで歌い始める前は駅前の路上でよくギター一本とハモニカを首にぶら下げて歌っていた。目の前にはギターケースを置き、聴いてくれた人達がお金を投げ込んでくれてた。いつも夜20時から夜中の2時くらいまで最終電車も終わり人が居なくなっても一人で歌っていた。夜の街に響く声がとても好きでただそれだけの為に歌っていたような気がする。一度夜中にチンピラの兄ちゃんが「おう、拓郎歌えるか?」と聞いてきて、落陽と唇をかみしめてを歌った時はチンピラの兄ちゃんから一万円貰った事もあった。そんなある日、いつものように夜中1時くらいになっても歌っていた時、あぐらをかいてハット帽をかぶり歌っていた私の前に何十人もの足が並んだ。あれ?こんな時間に人がこんなに集まるなんて珍しいなと思った瞬間、目の前のギターケースが私の方へぶっ飛んできてギターにドカンとぶち当たった。私は腹が立ち「なんだこのヤロー!」と叫んで顔を上げると30人くらいの特攻服を着た暴走族に囲まれていた。でも私もギターが傷つけられた事に腹を立てていた為、金属バットでギターケースを叩いた奴の顔を睨みつけた。するとその男が「集会やってんのにお前の声がうるせぇんだよ!」と言ってみんなで去って行った。しばらくしてそのメンバーの中の2人がまた私のところにやってきて「さっきはすみません、一人集会で荒れてたのがいたので、ギター大丈夫でしたか?」と聞かれ「なんとか壊れてはなさそう」というと頭を下げながら去って行った。まだ他にも路上で歌っていて怖い思いをした事もあったが、私の中ではこの件が1番記憶として残っている。まさか、暴走族にうるせぇなんて言われるとは思わなかったって…。
今日の朝のカレンダーが4日に⭕️で囲われていた件、会社に戻ってきて誰が⭕️で囲ったのか聞けていない社員の中にいつもの少し口の悪い後輩がいたので、違うだろうと思いながらも「おい、事務所のカレンダーに⭕️付けたのお前じゃないよな」と聞くと「あー、あれ僕っすよ」と言ったので「なんや、あれお前か!なんだあの⭕️は?」と聞くと「この間カレンダーの前で電話で〇〇さんと話してて持っていく納品日が決まったので⭕️しておきました」と軽く言いやがったので、「せめてちょっと補足で〇〇さん納品日とか書けや、俺一日気になってたやんか!」と言うとはにかみ笑いをしやがったので「はにかむな!」と言ったった。
昨日休みだったので、昼からゆっくりサウナに入ったのだが、サウナ室に20代くらいの若い兄ちゃんが独り言をぶつぶつ言っていて気になって仕方なかったのだが、我慢してサウナを楽しんでいた。5セットサウナを楽しんでる間、私とその兄ちゃんとのサウナに入るタイミングが同じ事もあり、ずっと独り言を聞いていた。そして最後に岩盤浴に入って終わろうと室内に入るとまたその兄ちゃんが寝そべっていて独り言を言っていた。「マジかよ」と思いながらも空いてる場所がその兄ちゃんの横しか空いていないという始末でまた仕方なく横に寝そべった。そして10分くらい経った時、その兄ちゃんがムクッと起き上がり独り言を言いながら立ち上がったのだが、床にオイルでも塗っていたんじゃないかというくらい近年稀に見る滑り方をしてドスっ!という鈍い音がしたので私も起き上がると兄ちゃんが肋骨をおさえて苦しんでいた。「おい、大丈夫か!」と私が言うと「滑ったよ」と言ってきたので、「お、おう、ひどい滑り方やったな、肋骨大丈夫か?」と言うと「痛い」と言って去って行った。そして、私が岩盤浴から出た後はその兄ちゃんの姿は消えていた。あいつ大丈夫やったんかなと少しだけ気になっている。
前に書いた事のある宅急便の石井さんという昔音楽プロデューサーをやっていたおっちゃんの話の中で石井さんがアメリカのミュージシャンのレコーディングに日本からの派遣で参加していた時にかなりショックを受けた話が今でも頭の中に残っている。それはアメリカのミュージシャンはレコーディングの際に完璧な状態でレコーディングに臨んでくるという事。それは当時日本ではなかった事でレコーディングに来てもそれから声出しなどをして何時間後にようやく本番のレコーディングが始まっていたが、アメリカはほぼ一発録りに近いくらい早く終わっていたという話だった。そしてさらにショックを受けたのがアメリカのレコーディングプロデューサーに言われたのは日本人はせっかく母国の音楽があるのに流行っている歌は私達の真似をしているだけだとはっきり言われた事、そして日本に来日するアメリカのミュージシャンは日本でコンサートをする時にアカペラで歌っていると聞かされた時はびっくりした。(今ではどうかは分からないが…)それくらい日本の音楽がなめられていたという話を聞き、私もかなりのショックを受けたのを憶えている。そして、石井さんに「石井さんから見て日本でこの人は凄いなという人は誰ですか?」と聞いた時、「美空ひばり」と言っていた。美空ひばりはレコーディングではいつも一発録りだったらしく参加しているプロデューサーからバンドメンバーまで全てが「この人は一発で仕上げてくる」という緊張感があったらしい。そんな話を聞かせてくれた宅急便のおっちゃんの石井さんには今でも感謝している。