平野啓一郎の分人主義が好きなのでペルソナなんてその場その場で無数に存在すると感じてるけど、その中でもなるべく嘘はつかないようにしてる。そうする事でどのペルソナにも一貫性、キャラクターがブレずに居れるから居心地の悪さとかは感じにくいかな。鈴木祐氏の真正性ってやつかな
【プルチックの感情の輪】アメリカの心理学者 ロバート・プルチック博士が提唱した概念感情の輪は8つの基本感情(1次感情)とその基本感情の2つが結びついて生まれた混合感情(2次感情)で構成されている。○8つの基本感情喜び/信頼/恐れ/驚き/悲しみ/嫌悪/怒り/期待8つの基本感情はそれぞれ対の存在がある喜び↔︎悲しみ信頼↔︎嫌悪恐れ↔︎怒り驚き↔︎期待(予期)対になっている感情同士は簡単には移行しない傾向がある○混合感情(2次感情)感情の輪の隣り合う基本感情の組み合わせ、1つおきの基本感情の組み合わせ、2つおきの基本感情の組み合わせによって人間特有の高度な感情がある・隣り合う組み合わせ愛=喜び+信頼服従=信頼+恐れ畏怖=恐れ+驚き拒絶=驚き+悲しみ後悔=悲しみ+嫌悪軽蔑=嫌悪+怒り攻撃=怒り+期待楽観=期待+喜び・1つおきの組み合わせ罪悪感=喜び+恐れ好奇心=信頼+驚き絶望=恐れ+悲しみ憤慨=驚き+嫌悪悲憤=悲しみ+怒り皮肉=嫌悪+期待自尊心=怒り+喜び運命=期待+信頼・2つおきの組み合わせ感動=喜び+驚き感傷=信頼+悲しみ恥辱=恐れ+嫌悪憎悪=驚き+怒り悲観=悲しみ+期待不健全=嫌悪+喜び優越=怒り+信頼不安=期待+恐れ喜び・信頼はポジティブな感情、恐れ・悲しみ・嫌悪・怒りはネガティブな感情、驚き・期待はまだどちらでもない感情人間の感情はポジティブよりもネガティブな感情に強く反応しやすい。が!ネガティブこそ生きるためには必要な感情であり、ネガティブな感情を感じた瞬間から自分との対話が始まり、自己理解することでそれをポジティブに変換していくことができると思う。もちろんこの感情の輪が全てではないけど、体系的に捉えるにはいいかもしれないね。
七つの習慣の中でも言われてるまず理解に徹し、理解されるにも通ずるものがあるよね他喜力って本にもあるけどエンタメ心って大切だねだからといってあなたのためを思ってってなっちゃうとまた話が変わってくるのが、この辺りの難しい所でもあり面白い所でもある
めちゃ長いから先に謝っておきます。笑空海が残してくれた意識の進化論『十住心論』より1異生羝羊心(いしょうていようしん)羝羊=牡羊食欲と性欲、物質的な欲望に支配され、哲学的なことは全く興味がない段階。2愚童持斎心(ぐどうじさいしん)愚童、すなわち本質的な理解や認識をするに至っていないが、仏性の種子が目覚めて、精進したり、悪いことをしないでいようという段階3嬰童無畏心(ようどうむいしん)嬰童(=小さい子)が母親の胸で安心して畏れがない状態。何かの宗教や教義に心のやすらぎを見出す心。他の人にぶら下がっている状態4唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)蘊(うん)とは人間を成り立たせる要素であり、この身と心は五蘊(色・受・想・行・識)が内的外的条件によって出来た仮のものである、色んな勉強をしていく過程で、皆が同じことを言っていることに気づく段階5抜業因種心(ばつごういんしゅしん)人は人生の様々な苦をも含めて基本設計図を、自分自身で中間世で描いておりそれを業(カルマ)という。その業とその要因となる因子を認識して取り除こうと努力をしていこうとする段階続く~
今年も最後ですね。今年はGravityでは朗読と音楽を主にしてましたね〜感覚と思考直感と理論科学と宗教その他色々な対極を良い塩梅で混ぜてこれたのは自分の強みかな😎来年も癖強で生きたいものです🫡来年もよろしくお願いします🙏
仙台2日目本日は仙台の六芒星とか気になる場所をできるだけ巡ってみた・大崎八幡宮・亀岡八幡宮・仙台城址・瑞鳳殿・榴ヶ岡天満宮今回、伊達家を探っていくと色々と見えてくるものもあありました!亀岡八幡宮のところに福岡の高良大社の分社があったり、天満宮は天神様=菅原道真だったり、意外と福岡との共通点もあるなぁと食に関しても焼きトン文化があるらしく、豚バラの他にも豚の細かい部位の串などもあり、食での共通点も見えてきました👀一人呑みで2軒回りましたが、ルームしながら呑みますかね笑
ちょっとした振り返り昨日ははち切れるくらい牛タンを楽しみました・味噌漬け牛タン・牛タンの刺身・牛タンのたたき・牛タンの煮込みそしてせっかく来てくれたから💰はいいよと😭感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思いました🤣
つもりちがい十ヶ条高いつもりで低いのが 教養低いつもりで高いのが 気位深いつもりで浅いのが 知恵浅いつもりで深いのが 欲望厚いつもりで薄いのが 人情薄いつもりで厚いのが 面皮強いつもりで弱いのが 根性弱いつもりで強いのが 自我多いつもりで少ないのが 分別少ないつもりで多いのが 無駄自戒をこめて🙏
【「普通がいい」という病】第5章 精神の成熟段階についてざっくりまとめ 続きから●駱駝・獅子・小児ニーチェの「ツァラトゥストラ」に駱駝・獅子・小児という比喩を使って、人間の変化成熟のプロセスが表されている1.駱駝(らくだ)駱駝は従順さ、忍耐、努力、勤勉さなどの象徴絶対者の象徴でもある龍という存在に対して、色々な重荷を運ぶ駱駝のように跪き、文句も言わずただただ龍に対して盲従する2.獅子ある時、駱駝が自分が窮屈であることに気づき、なぜこんな目に遭わされているのだと怒り、絶対者である龍を倒してしまう。その時に自分の場所や主体性を獲得していく。この時に獅子は「われは欲す」という言葉を使う。「われ」という言葉を出したところからも1人称の自分が誕生する。3.小児このようにして「われ」を獲得した獅子はそこで終わるのではなく、次に小児に変化する。小児が出す言葉は「然り(しかり)」「然り」とは「その通り」「すべてはあるがままに」という意味小児は何をするかというと創造的な”遊び”に没頭する。自由を獲得するために1度獅子になるが、その「われ」は消えて「あるがまま」の小児になり、純粋無垢で無心に創造的な遊びに没入していく。それがニーチェによる人間の究極の姿だということを説いた。精神医療のクライアントは駱駝↔︎獅子を行ったり来たりしており、どの状態であるかを見極めることが必要であり、「怒る」ことが必ずしも悪いことではないことをセラピスト側は理解しておかなければならない。●小さな「怒り」から大きな「怒り」へ大きな「怒り」というのは社会的、歴史的、宗教的、哲学的、芸術的・文学的視点など多角的な視点を生み出し、真の知性を呼び覚ましてくれる。大きな「怒り」というのはそれ自体クリエイティブであり、生きることに新たな指針を与えてくれる。自分というものを超えて、これを果たすために生まれてきたのかという天命のようなもの知らしめてくれる。
これ分かるなぁパートナーシップの関係性って変わっていくからねいつまでも恋人との関係性では居られない持ちつ持たれつ、お互いの役割提供をしていくことでお互いの尊敬が保たれていく一方のおんぶにだっこだと関係性は破綻してしまうよね
昨日は誕生日でした👍✨日中は子どもに動物たちの触れ合いに誘いながら、家族風呂でリフレッシュ職場からいただいたお肉ですき焼きで舌鼓〆は妻手作りのケーキでフィニッシュ!!また新たな1年、自分のペースで成長していきたいと思います🫡✨
【「普通がいい」という病】第5章 精神の成熟過程のざっくりまとめ○感情の井戸というものがある意識:頭 無意識:心 と分かれており、意識によってフタが開閉される心由来の感情は”深い”感情、頭由来の感情は”浅い”感情感情を単純化すると”喜怒哀楽”があるが、著者(精神科医)の経験上、怒り→悲しみ→喜び→楽しみの順で深い。つまり最初に発現、表上に出てくるのは怒りや哀しみなどいわゆる”ネガティブ”な感情である。それが出てこない限り、喜びや楽しみなどの”ポジティブ”な感情に気づくこと(意識)することが難しくなる。全ての”深い”感情はどれも尊重すべき感情であって、ネガティブはなしにしてポジティブだけで生きるというのは、日照りが強くなり過ぎて砂漠になってしまうのと同じであり、雨や曇りなどの天候も必要なのと一緒。○感情には鮮度がある怒りは感情の井戸の一番上にあるために、重要な鍵を握っているが怒りは出すべきではないものと思い込んでいることが多いその要因は怒りというのはほとんどはOldな怒りであり、わずかにFreshな怒りがある程度。Oldな怒りは歴史があり、過去に飲み込んだ怒りが芋蔓式に連なっており、溜め込まれていた分恨みも大きくなっている。Freshな怒りは「今・ここ」にのみ反応し、相手の一つの言動に対してだけ怒りが発動する。怒るというよりも叱るに近い。自己理解を進めていくと必ず最初にOldな怒りが出てくる。この時に出し切ることが大事そして大事なのは…意識から怒りを出す≠口からは怒りを出すという構図口には出さず、ノートに書く、絵やイラストで描くなどで意識化させ自分の中から外に出し、それを眺め、承認することでOldな怒りを成仏させる。(ノートを見せないのが最初は大事)
【「普通がいい」という病】○第4章「コントロールという病」のざっくりまとめ自己コントロールの病「心」=「身体」に対して「頭」が強力にコントロールをかけることによって様々な病的状態が生じる強迫神経症、摂食障害、ひきこもり・不登校・家庭内暴力、難治性うつ病などなど・自己形成に関して塑像的自己形成と彫刻的自己形成「あるべき自己」ということを考えている人は塑像的イメージを持っている→粘土や石膏をくっつけて、ある像を目指して作っていく。足りないところはくっつけていかなければならない。自分は「こうでなけえばならない」という理想的設計図を目標にそこに少しでも自分を近付いていこうと努力する。これが「頭」のコントロールによって行われていく一方で、彫刻的自己形成とはその人の最も中心的な部分、核というものがあり、そこに向かって削り出していく作業を行う。「本当の自分」というものは、どこからか持ってきて身につけるものではなく、あらかじめ自分に内在しているものまだ自分自身が知らない「本当の自分」に対して畏敬の念を抱きながら、自己理解を進めていく心構えが必要になってくる。
【「普通がいい」という病】○第3章のざっくりまとめ・人間の仕組み頭 vs 「心」=「身体」頭は理性を司り、1/0という二進法を基礎に動くmustやshould系列過去を分析し、未来を推測する力があるが故に「後悔」や未来への「不安」が生み出される頭はとにかく何でも「コントロール」したがる心はlikeやwant to〜の系列頭と違い「今・ここ」に対して焦点を当てる喜怒哀楽は「心」から生まれるが、期待を叶わなかった時に起こってくるような感情は「頭」から生まれる身体は心と直結しており密接に連動する欲求や感覚などはこの両者によって生み出される。身体と心は文字通り一心同体なので「心」に元気がなければ「身体」も元気がないということになる。現代では「頭」が独裁者としてふるまいやすく、小さい理性ではなく心=身体という大いなる理性を信じて委ねるのが必要。人間の生き物としてオリジナルな部分は「心」=「身体」であり、人間に内臓された「内なる自然」である自然と繋がっているため、「心」=「身体」とは”自分を形作ってくれはいるが、自分のものではない”という観点が大切期限付きの「自然」からレンタルされているだけに過ぎない第4章へ続く・・・