心にものを隠すべからず(良寛和尚)心に秘密を抱えていると、〈氣を病む〉ことになる「病氣」の二字を見ればわかるように、氣を病むことが、身体の病氣につながります。「怒りや欲を抑え心配ごとを少くして心を安らかにすること」
やっぱり自分をしあわせにするのは自分なのだと思う。助けられるのも救えるのも自分しかいないし、一番頼りになるのも自分しか居ない。一番近くにいるのは自分自身なんだから当たり前だけど、自分らしく生きて居られることを自分なりに始めていけば自分と仲良く一緒に生きれるようになってくる。
メンタルは良くも悪くも「見たもの」「聞いたもの」「感じたもの」の積み重ねで作られます。ポジティブな言葉や美しい景色は心に鮮やかな色を添えてくれるが、逆にネガティブも拾い上げるのも僕たち人間。だからこそ、心が嫌がるような環境や人や言葉や情報からは離れてみてください。選択的であろう🎯
「言葉にする」という行為を通じて、人は自分の考えを深掘りできたり新しい発想と出会うことができる。逆にいうと、考えがまとまらなかったり、行き詰ったりした時は、誰かに話してみたり書き出してみるといい。「考えること」が足りてないんじゃなくて「伝えること」が足りてないんだ。
結局人生は自分が創造しているからどうせなら、おもしろいたのしいうれしいきもちいここちい世界にしたい。最強だからだ。そのために神恩感謝報恩感謝を忘れず、夢中になって熱中して集中して宇宙のように無限な夢をみてゆっくり地球で感謝しながらおかげ樣精神でありがとうばかり言って笑う人生にする
どうせなるようになるからじたばたしなくて良い。じたばたしたところでなるようにしかならないからもはや何もしないでも良い。なにかあってもとりあえず落ち着いて物事の成り行きを見守り収まるところに収まるのをただ、眺めて観察して待つ。必要を感じた時だけ動いたらいい。とてもシンプルなんだよ。
自分の望みを詳しく知ることほど大事なものはないと思う。自分の望みの輪郭をはっきりさせておけば、ぴったりくる人やものや理想ははやく見つかる。時間を優先してそちらにさけるしいろいろと迷いがなくなるし望みが明確になるから行動や判断基準ができるし無駄もなくなる望みがぼやけてなくて明確だからだ。視界がクリアになると迷わずにすむ。
一緒に居て落ち着く人、無言でも耐えられる人心から話してて安心する人と一緒に、お互いの心を見ながら会話していたいし、そんな人と一緒に時間を過ごして居たいな。あと猫が好きな人が良いな。優しさや想いやりの質が一緒の人ほど大事な人になりそうだな。そんなパートナーや友人が居たら幸せだな。
心は自分が住む部屋。部屋は自分の心が住む居場所。だからどんな居場所に居たいかを考えてみる。しあわせは感じるものだから、自分の部屋ぐらいはしあわせを感じやすい環境にしてあげたい。心もそうだ。常にクリアが⚪︎自分のためにできることをしていると誰かの為にも余力ができるしそれは本能だと思う
あなたが自身をどう思うかは完全に自由に好き勝手に思って良いはずそれなのに無意味に自分を過小評価している人が多い過大評価するくらいで良いあなたが使う言葉は他ならぬ自身に強く影響を与えるなぜならばあなたの言葉はあなたの耳や腦や骨が一番近くで聞いていて自己催眠しているようなものだからだ
昔インド人がやってるカレー屋に入って、カレー注文したらスプーンがついてこなかったんだ。「あ、本格的な店なんだ」とか思って手で食ってて、半分くらい食ったときにインド人の店員が奥からすげー申し訳なさそうな顔してスプーン持ってきた
心を「自分が住む部屋」と考えると、その部屋の状態が自分の内面を表していると言えます。•散らかっている部屋 → 思考や感情が整理されておらず、モヤモヤや不安が多い状態。•窓が閉まった暗い部屋 → 他者との関わりが少なく、孤独や閉塞感を感じている状態。•心地よい整った部屋 → 自分を大切にし、穏やかで満たされた状態。部屋を整えるように、心も定期的に整理し、不要なものを手放し、必要なものを大切にすると、より快適な「心の住まい」になりますね。言語化することは、心の掃除や模様替えのようなもので、より居心地の良い状態にする手助けになります。「今、自分の心の部屋はどんな状態だろう?」と考えてみると、自己理解のヒントになるかもしれませんね。
心の中のモヤモヤや思考は目に見えないため、言語化することで「見える化」し、自分自身の感情や考えを整理しやすくなります。言葉にすることで、無意識のうちに抱えていた感情や悩みに気づき、それを明確にすることができます。言語化のメリット 1. 思考の整理 → 曖昧だった考えが言葉として形になることで、問題の本質が見えてくる。 2. 自己理解の向上 → 自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが明確になる。 3. 感情の客観視 → 書く・話すことで、一歩引いた視点で自分の感情を眺められる。 4. ストレスの軽減 → 頭の中だけで抱え込むより、外に出すことで心が軽くなる。言語化の具体的な方法 • 書く(日記、ノート、メモ、SNSの非公開投稿など) → 頭の中にあることを自由に書き出すことで、自分の感情や考えを整理できる。 • 話す(友人・カウンセラー・ボイスメモなど) → 言葉に出してみると、自分の気持ちがより明確になり、共感を得ることで安心感も生まれる。 • 質問する(「本当はどう思っている?」「何が一番気になる?」と自問自答する) → 深く掘り下げることで、自分の本音や核心に気づくことができる。言語化することで、心の中で曖昧だったものがはっきりとした形になり、自分自身に深く着地する感覚が得られると思います。
精神疾患の根本原因は、家庭での、主に両親からの【愛情表現不足】と、子どもからの【愛情確認不足】と両親からの愛情とはその子どもが望んでいる或いは、欲しい種類の愛情とは違うことあると思う。それと精神疾患の諸症状は両親へのヘルプの現れだと思うんだけどどう思う?あと自己肯定感を育むことはとても重視するべきだと思うんだけどどう思う?精神疾患の起源についてのご考察、興味深く拝読しました。家庭環境と愛情表現のあり方が精神的健康に大きな影響を与えるという視点は、多くの心理学的研究でも支持されています。確かに、子どもの発達段階において、親からの適切な愛情表現とその子どもが必要とする形での愛情が一致しないケースは少なくありません。例えば、親は物質的な豊かさで愛を示そうとしても、子どもは直接的な言葉や身体的接触を求めているといった「愛の言語」のミスマッチがあり得ます。精神疾患の症状を「ヘルプの現れ」と捉える視点も洞察に富んでいます。多くの場合、症状は単なる「異常」ではなく、何らかのメッセージや適応の試みとも考えられます。家族システム理論ではこうした視点から、症状を家族全体のダイナミクスの中で理解しようとする試みがあります。自己肯定感の育成については、強く同意します。研究によれば、健全な自己肯定感は精神的回復力(レジリエンス)の重要な基盤となり、ストレスや困難に対処する能力を高めます。特に発達初期における無条件の受容体験は、その後の自己価値の感覚形成に大きく影響します。ただ、精神疾患の原因は複雑で多面的であり、家族関係だけでなく、生物学的要因(遺伝、脳の機能など)、社会環境要因、トラウマ体験なども複雑に絡み合っていることも忘れてはならないでしょう。こうした複合的理解に立ちながら、愛情表現のあり方や自己肯定感の育成に注目することは、精神的健康の増進と回復に重要な視点だと思います。
精神疾患は自己肯定感が重要視できると思うのだけどどう思う?という問いに対して。その通りですね。精神疾患と自己肯定感は密接に関係しています。自己肯定感が低いと、ストレスや対人関係の困難をうまく処理できず、精神的な不調に陥りやすくなります。逆に、自己肯定感が高ければ、困難があっても「自分には乗り越えられる力がある」と思えるため、精神的な安定を保ちやすいです。① 自己肯定感の低さと精神疾患の関係 • うつ病 → 「自分には価値がない」と感じやすい • 不安障害 → 「どうせ自分はダメだ」「失敗するに決まっている」と思い込む • 摂食障害 → 「自分のありのままでは愛されない」という思い込みが強い • 依存症 → 自己肯定感の低さを紛らわすためにアルコールやギャンブルに依存つまり、自己肯定感の低さが、さまざまな精神疾患のリスクを高める要因になり得るということです。② 自己肯定感を高めることが回復の鍵になる精神疾患の治療では、症状の軽減だけでなく、自己肯定感を回復させることも大切です。例えば、認知行動療法(CBT)では、ネガティブな自己評価をポジティブに修正するトレーニングを行います。また、「小さな成功体験」を積み重ねることで、自信を取り戻していくことも重要ですね。③ 自己肯定感を高めるためにできること • 「ありのままの自分を認める」練習をする→ できたことに目を向け、「自分はダメだ」と思う習慣を変えていく • 他人と比較しない→ 「自分は自分」と思えることが大切 • 安心できる人間関係を作る→ 否定される環境ではなく、受け入れてくれる人とつながる自己肯定感が回復すると、「生きるのが楽になる」「無理に頑張らなくてもいい」と思えるようになり、精神的にも安定しやすくなります。精神疾患の改善には、自己肯定感の向上が欠かせない要素の一つですね。
【夢 → 軸 → 目的 → 価値 → 役割 → 存在意義】• 夢があるから、自分の軸(信念)ができる• 軸があるから、ブレない目的が生まれる• 目的があるから、それが社会にとっての価値になる• 価値があるから、それに応じた役割を果たせる• 役割を果たすことで、自分の存在意義が確立される
「目的=価値=役割=存在意義」が成り立つことを証明するために、論理的に整理してみます。1. 目的と価値の関係目的とは、「何のためにあるのか」というゴールや意図を指します。価値とは、「それがどれだけ重要か」という評価です。目的があるものは、それが達成されたときに何らかの価値を生み出します。例えば、ハサミの目的は「物を切ること」であり、それができるからこそ価値がある。つまり、「目的があるものは、その目的を達成することによって価値を持つ」よって、目的=価値 が成り立つ。2. 価値と役割の関係役割とは、「果たすべき機能や責任」を指します。価値があるものは、社会や環境の中で何らかの役割を持ちます。例えば、医者の価値は「人の健康を守ること」にあり、その価値があるからこそ「病気を治す役割」を果たす。つまり、「価値があるものは、それに応じた役割を持つ」よって、価値=役割 が成り立つ。3. 役割と存在意義の関係存在意義とは、「なぜ存在するのか」「その存在がどのように必要とされているか」という意味です。役割があるものは、それを果たすことで存在意義を持ちます。例えば、太陽の役割は「地球に光と熱を与えること」です。その役割があるからこそ、太陽の存在意義が確立される。つまり、「役割を持つものは、その役割を果たすことで存在意義を持つ」よって、役割=存在意義 が成り立つ。結論 1. 目的があるものは価値を生む(目的=価値) 2. 価値があるものは役割を持つ(価値=役割) 3. 役割があるものは存在意義を持つ(役割=存在意義)したがって、「目的=価値=役割=存在意義」 が成立する。この論理は、人間や道具、組織などあらゆるものに当てはまる普遍的な概念として考えられます。
仕事は楽しいより、役割を果たす事に集中できるかどうかだと思っています。必然的に自分が今までお金と時間をかけて過ごしてきた分野の仕事なら尚更その感覚が強くなった。役割を果たすことにこそ、価値があり、存在意義があり、仕事の目的にもなっています。【目的=役割=価値=存在意義】は成り立つ
優しさの質や思い遣りの質が似てないと一緒に暮らしてもどっちかがストレスになるからその点で合う人を探すことが恋愛や結婚における課題だと思うし、恋愛はそもそもお互いの傷を癒し合う人に引力が働くようになってるから似ている人と縁は必ずあるものなんだよ。
どうせしあわせになっちゃうどうせうまくいっちゃうどうせ感謝しちゃうどうせ望みは叶っちゃうどうせ大丈夫になっちゃうどうせ神佛から守られちゃうどうせ行きたい場所へ行けちゃうどうせ觀たいものは觀れちゃうどうせ強みは活きちゃうしどうせ最後はしあわせに包まれてしまう
世の中待っている人と行く人がいて、圧倒的に待っている人のほうが多いと思う。友達になろうよと言ってくれないかなあ。好きですと告白してくれないかなあ。と待っている人。それは少数派の「行く人」のほうが圧倒的に有利なわけで、「待っている人」は、「行く人」になってみようよ。世界が変わるよ。
メンタルが楽になる数字は「心配事の96%は起こらない」「どうせ2割には嫌われる」「30分で決めても5秒で決めても86%の結果は同じ」この3つが教えてくれるのは『悩むだけ損』という事実。悩みのほとんどはただの思いこみです。悩んだ末の行動が、逆効果になることも経験。だからこそ伝えたいことは「自分が望むこと」を罪悪感なくやることです。メンタルの回復は僕の経験上、1日では回復しません。いつになったらこの落ち込んでいる気持ちはなくなるのか?その不安と焦りがさらに自分を追い込んでいました。嫌われまいとムリをして人のご機嫌どりを頑張ってると逆に不自然な自分になり、余計にギクシャクした人間関係になっていくことも。でも「ちょっとやりたいかも」ということを少しずつやってみてください。その行動が自分を「許す」ことにも繋がり気づけば前向きに過ごせるようになりました。悩みがちな人ほど、真面目に生きているから「やりたいことをやる」ということに対して罪悪感を感じてしまいがち。けど、待って。罪悪感なんて感じなくていい。自分にフタをしないことは「健康に生きるため」の自分の仕事だと思ってほしい。自分の心が感じたことを大切にしていきましょう。
ちょっとだけ自分を大切にするコツは、「自分をごきげんにする」だけじゃなく、「自分に無理やがまんをさせない」ことだよ。嫌なこと言われても笑わない、平気なフリしない。気の乗らないお誘いは断る。できないお願いは引き受けないとか。なにより大事なのは「疲れたときはちゃんと休む」こと。つまり「やりたい」こと以上に「やりたくない」ことを、どれだけ手放せるかなんだね。大切な人を想うように、自分自身にも愛を向けて大切に想いたい。いちばん大事なのに、いちばん後まわしにしてしまいがちだったりするけれど...だれかを大切にしたいなら、まずは自分のために生きようね。