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・阿南惟幾陸軍大臣は表向き本土決戦を主張していたが、内心では終戦を望んでいた。だから、そもそも本土決戦など起こるはずがなかった。
⇨それが世間的な認識だとは思いますが、大戦史の研究をする人は、小説や映画だけでなく、小説や映画が参考にした基礎文献を読む必要があります。例えば、「GHQ歴史課陳述録」には、終戦の聖断が下った直後、阿南惟幾が陸軍将校に対して戦争継続を教唆したという証言が掲載されています。
・日本政府は、原爆投下以前から終戦の方法を模索していたのだから、原爆投下がポツダム宣言受諾に決定的な影響を与えたとは言えない。
⇨天皇や首相が終戦派だったからといって、ただちにポツダム宣言を受諾できるとは限りません。実際、ポツダム宣言が発表された当初、日本政府は、本土決戦派が多数を占める陸軍の存在を無視し得ず、ポツダム宣言を黙殺しました。その後、受諾までに、約三週間の時間を要しています。

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・終戦前の日本では陸軍の本土決戦派が発言力を持っており、ポツダム宣言を黙殺せざるを得ない状況が続いていた。
・原子爆弾が投下されたことで終戦派が発言力を強め、ポツダム宣言受諾が実現した。
・ポツダム宣言を受諾せず、本土決戦が実現した場合、約2000万人の日本人死者が発生した可能性がある。
⇨よって、原爆投下は日本の平和実現に決定的な貢献を果たしたと言える。

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井田正孝(17):
八時半 陸軍省に到着、阿南大将、椎崎中佐、畑中少佐の御通夜に参列す。
(「GHQ歴史課陳述録」p557)
宮城クーデターに反対したと一般的に考えられている阿南惟幾と、クーデターの実行者達が一緒になって弔いを受けている光景を想像すると、ちょっと気味が悪い。

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「最後の相談だがお前の意見が聞きたい。終戦の聖断が下ったのであるが情報によると、東京の近海にアメリカの大きな輸送船団が来ているということである。今それを叩いてから終戦に持って行く考えはどうだろうか」

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