年重ねて味覚が変わって、昔口に合わなかった食材とか料理とか選択肢が増えたんだけど母が昔作ってくれた料理を今なら美味しく食べられるのにって思うことが増えて言いようのない気持ちになる。私が小学校上がってからまた仕事を始めて、忙しくなって手の混んだ料理をあまりしなくなって私が自分の食べてみたい料理を色々作るようになってから”もともと料理得意じゃないから食べる専門”っていうし、じゃあと思ってレシピを聞いても目分量だし、同じく自分で作っても味が違うし。もう一生食べられないんだろうな
店員は取り扱ってる商品の開発者でもその分野の専門家ないし知識所有者である必要もなければ、ましてや個人差の出るものや趣味趣向が分かれるものについて聞かれても答えられません!! 商品の詳しい特徴はちゃんと消費者にわかりやすくパッケージに記載があるし、パッケージ書いてある以上の返答なんぞ返ってくると思うな!!
新しい人が職場に入って、その人だけじゃなく歴代の新人みんなそうなんだけど商品の場所聞かれてわからなくて困ってそうだから声掛けて案内変わったのに、何故一緒について来ないんだろう?案内終わったあとに場所聞いてくる訳でもなく...うん?って思う
オペレーションだから仕方なく問いかけてるのに返事しないから、あ、聞こえないんだなってどんどん大きな声にしてあげてるのにうるさいんですけど💢みたいな反応するのやめてもらえます?こっち仕事なんで返事されないなら声の出る限り聞き続けますよ
話せばわかるって言うやつ大抵話聞かない。自分が正しいと思ってるから、自分の話が通るまで主張し続ければいいと思ってる。自分の意見を押し通せると信じて疑わないし、折れてくれる相手として無意識に見下してるんだろうな。相手と対等に接してたら普通に話し合いって発想になるし、話し合いってお互い分かり合えないから双方の納得する落とし所を模索するためのもので、一方にだけ過剰な妥協を強いるのは違うからね。過剰な妥協を強いる側は、自分が正しいと伝わった当然の結果としか思ってないから以前はこうしてくれたのに...って前後の出来事・妥協の条件等すっ飛ばして都合のいい成功体験だけ記憶してやがる。
自分の肌感覚や漠然と考えてることがひとつひとつ言語化できるたびに自分の軸が定まるというか、価値観に輪郭が現れるというか。厳選して成形して作り上げてる感じがして好きで、その為に他人の言葉を借りたくて、自分からは話しかけられないけど色んなSNSやってる。ひとっておもしろいよね
どんどん年を追うごとに自分が適応できずにしんどかった環境から変化して今は落ち着いてるけどその合わなかった人間関係から逃れられたと思う一方、あまりにも恵まれてる人間関係の中でなんなら自分自身が異質である気がして苦しくなる。みんな優しい。優しくしてくれている。優しく接してくれてる。腫れ物としてなんじゃないのかっていう
話し合いで解決するならそもそも最初から我慢もしないし、話し合い・話し合い言うやつほど下に見てるんだよな。自分の都合がいいように説き伏せられるって自信がお有りなんでしょう。尊重しあえてるなら数回言っただけで変わってるんだよ。会話にならんやつの話に耳傾けてたら何も変わらないよ
隣の芝は青いっていうけど人が持ってていいなって思うものどうしても欲しくてもそれで手に入れて”そうでもない、なんか違う”って経験を重ねれば大抵学ぶものじゃないのかな。 じゃあ次はあれ、ってエスカレートしていくのかよくわからない。 幼い頃のそういう承認欲求が満たされなくて未だに衝動買いとかしちゃうけど、それって一生満たされないし虚しいと思わないものかね
どうしても嫌いな人はそーっと離れるけど必要な人間関係ならどんな人でもちゃんと関わり合いはするのよ私は。それなのに贔屓とか優劣とかになるんだろうか。あと大前提、魚心あれば水心だと思うしそこまでの熱量持って嫌いな人に関わりにいく人って嫌味の感情が無かろうが本質がお局的な人ですよねって。向き合ってる人が加点されて贔屓なんじゃなくて関わりたくない人がどこまでも0でしかないし、マイナスですらない存在してないの
胃の調子が悪すぎて暴飲暴食の自覚があるから胃に優しいもの食べた方が良さそうだなって思うんだけど食に多大なる満足感を求めるから肉!濃い味!を作っちゃうんだよね。野菜も好きなんだけど野菜メインになると品数増やすか通常量の倍くらいないと食べた気がしない、、