そりゃあ鈍感な人の方が要領良く見えるよだって気にしすぎる人は相手がどう自分の言葉を捉えるのか視線にしぐさ、癖や表情を気にして、自分がどう見られているのかを常に考えて集中できない時に鈍感な人は自分を作業に集中して話す時も人の話は聞かず、自分が話す事だけ話すだけの猿でもできることをやってるだけなんだからそりゃあ側から見たら要領はいいよ。どちらが良いかと言われたら一択しかない
正負の法則はあると思うとんでもない奇跡に近い良いことが起きたらその後に悪いことが起こる。だから昔の人は良いことが起きたらそれを周りに分け与える おすそわけをしてたみたい。その逆も然りで成功者が落魄れるのもその理由もあるのかな。1年間会社の朝清掃15分の時にほとんど毎日やってるとまじでこんなこと起こる?っていう運が良いことが沢山起こる。人がやりたく無いなと思っていることも自分がやりたく無いなと思っていることもメンタルが強くなるからやって損は確実に無い。
部署異動になるけどまじでイラッとする人間がたくさんいるから通勤距離のストレスと人間関係からのストレスから一気に解放されるな仕事はなんの苦でもないけど人間関係がネックだったから実質仕事は変えずに転職したのと同じで自分が思い描いた通りのシナリオになったな。
イジる相手がそれを冗談と捉えるのか失礼と捉えるのかの境目って確実にその人との関係性だと思う。誰に対してもイジったり、失礼な冗談を言ってるのはコミュニケーション能力があるのではなくただ単に相手のことを考えない自分勝手に何も考えずに話しているバカになるんだよ。それを周りがあの人はコミュニケーション能力があると言うから化け物が育つ。誰とでも会話できるだけの人間をコミュニケーション能力があるとは言わない。
女の子慣れしてない先輩が一つ下の女の子の後輩と会話してたの聞いてたら明らかに後輩がイラッとしてるのに気付いてないの笑っちゃう男に対するイジりを女の子にも同じようにしてたら当たり前に女の子からしたら当たりが強いんだからやめろ笑
やっぱ気分が良いと自分が行きたい方向に行ける気がするな。これで部署移動が最速で社長の判断で変わるし、人間関係がガラッと変わる。人間関係が変化する時は自分が何か変化した時に必然と変わると思ってる。学生の時とかは嫌でも変わるけど、大学以上からは人間関係は意図しないと変えられないし変わらないし。
いつのまにか仕事で受け身の弱気な姿勢になってたな。初めて関わる上司の人に気付かされた。出会うべきときに出会うべき言葉を言ってくれる人が現れるなって改めて思う。今の君にはこれが不足してるだからもうちょい成長するためにこの言葉をあげようみたいな。ありがたい。
痛みを伴わない学びは意義がないはかっこいいし、大好きな言葉だけど痛みを肯定しているようにも聞こえる。たしかに痛みや辛さ、悲しさ悔しさそれらの感情は記憶に残りやすいから学ぶべき機会ではあるけれど学ぶ時に痛みがあればいいってもんじゃないし痛みがなくても多くのことは学べる。自分が追い込まれた時にここから自分は何ができるのかここから何を学んでどう歩き出すかを考える機会にこの言葉を使えばいい。そして結果が出た時に学びはある。
変な奴って沢山いるから気にした方が負けだな。人のことを考えられない人間はどうぞ同類と不幸に生きてけよって思ってる。話していないのに関わっていないのに一瞬だけでも人を不快にできる人間ってたぶん関わっても関わらなくてもどちらでも不幸に孤独に生きていくから大丈夫。
感謝をしない人間は落ちぶれていくよ。人にやってもらって当たり前で人の良いところにも目を向けず他人の粗を探す毎日で人を見る目を養えず、人の感情も察する能力も付かない=人を気遣うこともできない他人のことも見抜けず、自分を当たり前に客観視できないからこそ謎の自己肯定感だけが成長して自分への理想と現実がかけ離れていることに気が付かない。そんな人間は成長も努力も何もできない。しようとも思ってないと思うけれど。
やってもらって当たり前優しくされて当たり前生きることが当たり前ご飯が食べられることが当たり前良い服が着れることが当たり前気遣われて当たり前そんなありふれた日常が周りの人や環境によって作られていることを忘れ、他人に感謝せず、自分は傲慢になり醜い存在となっていく。今在るものに目を向けろってのはそういうこと。幸せに気がつくってこともそういうこと。
人は欲には抗えない欲に振り回されるから人生を台無しにする今の某テレビ局と同じように。だからこそ誰でもガス抜きが必要でそれは誰でも頭では理解しているつもりだけどストレスのせいで精神的に、身体的に弱っている時ほど欲に振り回されていることに気が付かない。だから振り回されないためにもいつもの自分でいるためにも自分の管理を日頃からすることが大切。自分の体とメンタルの調子を書き出したり,お金の支出や過ごしている時間でも何でも良い。書き出すことが必要になる。自分が今どんな状況なのか知らなければ管理をしようがない。何かを始める時には共通して自分の心と体に目を向ける。そうしなければ何も始まらない。
人の話を聞く人は賢いってことがよくわかる何のためについてる耳だよって思う人間は自己主張が強くて発信力があるからその人間自体は別に悪くいうつもりはないけど発信力があっても人を傷つけるような言動で人の話を聞こうともしない人間がいるからバカだって言ってんだよ。感情的で理性が効かないから自分が発する言葉遣いすらもコントロールできない口は人を傷つけるために耳は機能せずなんのために生きてんだよ。
深みがある人は必ず辛い経験をしている。だけどそれはただただ辛い経験をすれば良いというものではない。なぜならその期間に自分と向き合っているかが重要になるから。そこで自分の考え方が合っているのか間違っているのか、どう在ればいいのか、どう人と接していけばいいのか、どういう自分でいればいいのか、を考えて考えて悩んで泣いて苦しんでもがいて自分を追い詰めて苦しんだ結果自分なりの答えを見つける過程に成長がある。なぜならネガティブな感情はただ悲しくなるだけではなく細かいところに注意が向くから。それは人間の機能でそうなってる。だからネガティブな時ほど考える事に向いている。そういうそのことだけしか考えられない状況になれば嫌でも嫌なことが頭の中に何回も何回も繰り返しでてくる状況は答えを導き出す最高の状態。逆にそこで自分から逃げて、周りの人間に八つ当たりして自分の人生から逃げて逃げて、自分の周りの人は自分から逃げていきいつの間にか人生が終わる。どちらが良いのか。
言葉が考えを作り考えが現実を作り現実が人生になるそう思えたら人と話す時間や本で学ぶ時間、漫画でも良いし、アニメでも良いそれら全ての時間は意味のあるもので言葉で人生は作られる。行動に移るときはいつも自分の中にある言葉が原動力となり、前に進む力をくれる。
バカな人間の特徴また学んだというか確信に変わったというか。一つの情報をそのまま受け取って、自分が頭が良いと思っているからこそそれを想像してそれがあっていると思い込んで勘違いをする。ニュースとか、どこかで聞いた話とか、周りの人に関する情報だって、表面的なことしか言ってないことをそれが全てだとすぐに信じ込むのはバカだって言ってんだよ。社会的に頭が良いと思われる職業や学歴がある人でも自分が頭が良いと常に正しい選択をしていると信じ込むバイアスにかかると研究とかでわかってるからそれはしょうがないとしても、今後1ミリも気が付かず調子に乗ってビックマウスで自分の能力と言葉が一致せずに惨めな人生を終えるんだなと関わるけど遠い目で一生混じり合いたくない人種として遠くから見ていてあげるよ。人を不快にして生きていく人間が楽に死ねると思うなよ。
苦労は買ってでもしろって言うのは端的に言いすぎてる(頭を使って行動して努力した結果の)苦労は買ってでもしろ。だよ何も考えず、何も努力せず、何も行動しなかった結果 後から自分が苦労するのは何も得られない。そこから怠けた自分から変われるならそれは意味あることだけど、自分から困難な道に歩んでいく苦労と自分が停滞していてやってくる苦労は言うまでもない。
言動にイラつく人間は関わらないか、イラつくからこいつは人間じゃないと思いながら一定の距離感を保っていたけど、たまたま話す時間が長くなった時とかにその人の感情や思考回路を聞いているとやっぱ人間だから言葉を発する時に皆んなが考えながら話せるわけではないし無意識的に、突発的に言葉が出てしまう人がいることを知ることができるな。悪気がなくても余裕がなかったり、ストレス溜まっている時にはその傾向が強く出るのは人間として当たり前で、自分が相手に求めすぎていたのかなって気付かされる。やっぱり自分でもそうだけどイラついている時や悲しい時はその出来事を冷静に見れる時にしか理解して受け入れることが難しいんだなと再認識させられたな。
最近の若者は って言葉は1900年代から言われているらしい けどなそれを言う老害 じゃなくてお年寄りの方がよっぽど頭がイカれてると思うよ。それを言ってしまう品性と人間性の薄さ。それに気が付けない知能。脳が退化しているのか元からなのかわからないけど、若い人と比べても変なおっさんの方が多い。誰にも好かれず、誰からも相手にされず、心が荒んでしまった人間のなれはてがこれかと年下に思われてる時点で終わってんだから変なやつは無視しとけばいいよ。お年寄りを敬えって言われているけど、お年寄りだから敬うんじゃない尊敬できるお年寄りを敬えばいいんだよ。何がお年寄りだからだよ 大の大人が甘えてるなよ。おまえが人間的に成長できていないから敬われないだけなんだよ
何かの締めくくりで不思議な夢見るから意味を調べるけどまじで当たってる時があるなでかいカブトムシ出てきたりめちゃくちゃでかいクジラとイルカでてきたり雲かと思ったら、体の全体が見えないくらいの銀の鱗の龍が空を覆い尽くしていたり。そして人間が出てくる時は必ず誰かはわかるんだけど顔に靄がかかってる。現実で人間を顔で認識してないなって思う時があるんだけどそれが関係してんのかな。まじでおもしろい
気色悪い人間と関わることになったらそいつを人間図鑑の一つとして勉強できる時。そいつの行動言動の意味を知ることができればそいつが言っていることは動物の鳴き声にしか聞こえなくなる。自分本位で自分の感情と欲求に振り回されて他人を気にせず他人を不快にするような無意味な言葉に価値なんてないことに気がつくからね。