
50代チビデブ禿無職
In days of youth, we'd tarry late
At diners 'neath the starry gate,
But now at home we speak of fate,
Our zeal for life's gone desolate.
飲む
打つ
買う

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よく若者や視野の狭い人が陥るバイアス。
・100%在宅ワークでも「出社と比べて効率は落ちません」
・仕事中にイヤホンで耳を塞いでいても、「作業効率は落ちていません」
・(私はこの自分がラクな方法で)結果が出せています
etc
それは、問題が起きていたり効率が落ちていたりしても、本人が快適だから充足感により気づいていないだけであることが大半だったりする。
ではどんな問題が発生しているのか、と聞きたくなるかもしれないが、往々にしてその「問題」というのは他者との個別具体的な関係性の中に発生していて、一言でこれだと列挙できるようなものではない。
また、都合のいいどこかの国の例だとか、他の会社のルールだとかを引っ張り出してきて、それを「データ」とか「エビデンス」だとか言うのも誤りで、それを言うのなら昭和のブラック企業は世界一のGDPという結果を出している。時代や国や文化や業務が違えばメソッドは異なり、それを自分の環境に当てはめることはできない。
組織で働くということには、まず素直さが必要なのだ。オレ流がしたいならフリーランスにでもなればいい。

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これは子供を産まない人、もしくは産めない人、そして子供を育て終わった人にとっては、何の見返りも得られない単なる増税になる。
支持するのならそのことを認識した上で支持しなければならない。
私は基本的には自由主義を尊重する立場なので、子供を産む自由も産まない自由も平等に認められるべきで、そのconsequencesには各自で責任を持つべきだという考えに基づき、こういった助成には原則反対の考えを持っている。政府なんてものは小さければ小さいほどいい。
だからアメリカの健康保険さえ自由と責任に委ねるやり方には強く賛同してしまう一方で、高校や大学の無償化やら育児の給付やらとやたらと「カネを撒くことでそっちへと国民を誘導する」近頃の日本には息苦しさしか感じない。
ばら撒きが少々極端な金額で、強迫的にそちらを選ばないと損だといわんばかりで、自由が脅かされているようにしか見えないのだ。
この国の人たちは、本当にこれでいいのだろうか。我々の生き方、人生の選択に、強迫的に干渉してくるような政策に賛同することに、違和感を感じないのだろうか。
この国は民主主義で、私の声はマイノリティだ。
だが、自由主義、個人主義と社会主義、全体主義とで比較するならば、この国の人々は前者に賛同するのではなかろうか。
この捩れが、大きな歪みにならないといいのだが。

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マッチングアプリはするけど、GRAVITYでは出会いを求めていないから会わないと主張していた方がいたので、その理由はなぜ?と聞いてみた。
「グラにはルームとか知り合いがいて、ここで恋愛をすると面倒くさいから」という答えだったので、「別れた時サクッとブロックして終われるからマッチングアプリならいいということ?」と尋ねると、概ねそこには同意していた。
そして私は重ねて「じゃあグラなんかより遥かに密接に絡んで、別れようが関係を切れないリアルで恋愛なんてもっての外?」と聞くと、若干苛立ちながら「リアルは大丈夫」と要領を得ない理屈を並べながら反論していたので、それ以上は突っ込まなかった。
おそらく、マッチングアプリで出会う人の本音はそこなんだろう。「簡単に切れるから」というカジュアルさを求めているのだ。にもかかわらず、自分が簡単に切られると「都合よく使われた」と被害者ぶる。自らそんなカジュアルさを求めているのに。
最後の質問に彼ら、彼女らが苛立ちを覚えるのは、おそらく、彼らは「自らがカジュアルな恋愛を求めている」ということに対して、自覚がない。信じ難いことだが、彼らはそれでも「真剣な出会いを探している」つもりなのだ。そこに、「リアルでの恋愛はもっと密接でもっとcommitmentが求められる」という現実を突きつけられることで、自身が「真剣な出会い」だと思っているものが実は全然真剣でも何でもないという事実を見せられ、それを受け入れられないために苛立ちに変わるというわけだ。
何がこんな状況を作ってしまっているのか、興味深いが、この時代の若者が恋愛から離れていくのは、無理もないことなのかもしれない。
リアルの恋愛に笑って泣いた青春が送れた世代は、幸せだったと言わざるん得ない。

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私が思うに記憶に最も大切なのは睡眠である。
寝て起きるといくらかの記憶が失われて、失われなかったいくらかが「定着」する。
つまりたくさんの記憶を定着させるには、何度も寝て起きてを繰り返さなければならない、と考えている。
それは、インプット(学習)で記憶の芽を植えて、アウトプット(実践)でそこに水と栄養をあげて育てる、だけではなく、加えてその育てた記憶を取り出しやすくするソートアウト(整理)というプロセスが必要で、それこそが睡眠の担う役割であるとする発想である。
しっかりインプットとアウトプットを行って、夜にぐっすり眠る。このサイクルが記憶を定着させるのならば、一夜漬けはタイムパフォーマンスが良さそうで悪いし、「継続こそ力なり」というのは全面的に正しいということになる。
ああ、先生、子供の僕に貴方が教えていた言葉は、正しかったんだなぁ。

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これって単に業界がテレビ業界であるだけで、「同業他社の社員と合コンをセッティングして同じ会社の他部署の社員をそこに誘ったことがありました」ってだけの話ではないの?
それって発表しなきゃならないようなことだろうか。どこの会社がそんなこといちいち公表してるのだろう。合コンに同じ会社の人誘うことが犯罪行為の時代だとでもいうのだろうか。
冷静に物事を判断する能力のない人の声が、インターネットによってブーストされすぎている。ネットへのアップロードを免許制にして、ある程度の知識と常識のある声以外を制限する方向に世界は向くべきなのではないだろうか。

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生まれた時には置き型の電話機って家になかったんじゃないか?と聞いたら、「はい!生まれた時からiPhoneしかありませんでした!」と答えが返ってきて、本当に時代が違うんだなと思った。
この世は停滞していたように見えて、しっかり進んでいたわけで、私がその進化に感動できるセンシティビティを喪失しているということなのだろう。
良くないな。

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無職の相手に身元確認もせず100万も200万もツケ払いで貸し付けるのは、貸し付ける側も過失を問うべきだと個人的には思うのだけどなぁ。民法の欠陥ではなかろうか。

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そんなにバカそうに見えたのかな?って色々反省しないもんかね

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よく、”イジメの加害者の人生はうまくいき、被害者は苦労を強いられて理不尽だ”というテーマを見る。
“経済的に儲かるかどうか”は、その人の性格とか素行とかは関係がない。また、お金を儲けるために素行を良くしようというわけでもなければ、お金が儲かるから人に優しくしようというものでもない。
自らの品性を保ち、自らが素直な自分であるために他者に優しく、自分を律して、自分が信じる正義によって生きるのだ。
もし、社会、とりわけ経済のマーケットでステータスを築き、お金を稼ぐことだけを「成功」と呼ぶのなら、貴方も他者を傷つけてでもそこで競争すれば良かったのだ。そのイジメをした人と同じステージ、同じレベルで戦って勝てば良かったのだ。
でもそのステージにいたくなかったのではないのか。だからイジメられてもやり返そうともしなかったのではないのか。
もし”本当は同じように傲慢に生きたかったのに”単に勝てないからそのステージから逃げただけなのだとしたら、残念ながらそれはただの敗者であり、負けたから望んだものを手に入れられなかったにすぎない。
そんな争いを低俗と呼んで降りるなら、その降りた後の道で自分が幸せになる努力をしなければならない。その努力はきっと、他人を傷つけて蹴散らす道より遥かに厳しいものになる。
優しくある、正しくあるために、私たちは強くなければならないのだ。

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回答数 236>>

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電通株の暴落が凄まじい1日だった。
10年前は7000円を超える高値、当時の日経平均は今の半額である。
広告媒体がテレビからネットへ移行した時代の変化に合わせて、着実に下げ続け、半額となっていたところに、本日一気に460円の下げ。好材料がなく、3000円を割るのも時間の問題だろうか。
一方フジテレビは、会社としては忌み嫌われ受難の時期を迎えているが、不動産や著作権といった財産が評価されているのか、ここが買い時とばかりに株価は不気味なくらいに高騰している。もはやテレビで干されようが関係ない、というようにも映る。
テレビ局と電通が栄華を極めたのも20年前。今ではなかなか新しいタレントも出てこない。テレビで少し名と顔が売れればすぐに世界へ飛び立って、日本のテレビからは離れていく時代である。
だが、電通の社員は優秀だと私は思う。
もし、彼らをもって時代の流れに電通が取り残されて落ちていくしかないのならば、それは電通という会社の内部構造が、彼らの能力を潰すような閉塞的な体制だったのだと批判するしかないだろう。

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美形かどうかを決めるのは鼻と口とアゴ。
個性を決めるのは目。

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高い。高すぎる。
そこで議論されるのが、元々の5kg2000円が適正だったかという議論だ。農家は安すぎて商売にならないと嘆いていて、国から作れと言われるから作っているにすぎないとこぼしていた。
そして今高くても売れるからと値段を釣り上げ続けている。
確かにこれは産業として正しい姿だ。
だが、同時に日本の米農家は国から手厚い保護保障も受けている。産業として正しい姿で適正価格を模索していくのならば、その国からの保護はトレードオフで削除されなければならない。
売れ残ろうが国は買わない。そして、米の輸入の関税はゼロにする。そして海外米と適正に価格競争をして適正価格を見つけていくべきだ。
現状では米農家は”良いとこ取り”が過ぎている。どうせ高く売れるからと売り控えるのは、国からの保護を撤廃し、正常な市場競争の中でにしてもらいたい。

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自分のセンスが悪すぎて軽くショックだった。
しかもサボテンなんか育てたことないし、すぐ枯らせてしまいそう。


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という表現がある。
何かのサーヴェイとかで「これは嘘か本当か」という問いかけに使われたりする英語の表現だが、これ日本人にとっては少し面白い。
これはcapという言葉が、真実を隠すという意味で嘘っぱちという意味に進化した言葉で、元々は「嘘じゃないよ」というようなニュアンスでno capなんて使われていた。
でも知っている人もいるだろう。bullshitという単語がある。よりアグレッシブな表現で、デタラメ、嘘っぱちという意味のスラングである。
さて、このbullshit、発音が日本語の「帽子」にかなり似ている。
なぜこんなことをそもそも私が思ったのかというと、実はむしろこの「帽子」からきて、bullshitを🧢としていると勘違いしていたからである。
言語の偶然の一致というものはいつも面白いものだと思う。

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ベッドやソファの上で、外側がサクサクした大きなクロワッサン思い切りかじることができる。
これが自由じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった

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回答数 52>>
維新を経て、富国強兵に徹底した結果、帝国としてアジアを征服する勢いで急成長を遂げ、日露戦争、第一次世界大戦と戦勝国となりアジア随一の存在感を放つ強国になりあがった。
だが、強国になりあがるとすぐにまた進歩を忘れ、時代遅れの大艦巨砲主義で敗戦。再び何も持たない世界でも随一の貧困国となった。
さらにそこから、高度経済成長に邁進して、ものの数十年で世界一の経済大国に成り上がることとなる。
そして、この国はまたしても進歩を忘れ、その経済大国の地位にあぐらをかいて、経済大国の地位を失ったのが今。
歴史が繰り返すのなら、一度落ちるところまで落ちると、この国は返り咲くのかもしれない。

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よく「頭のいい人に思われる話し方」とか「お金持ちが買っているもの」とか「育ちのいい人がならないこと」とか、そういう記事を見る。
だが、この手の問いの唯一の回答は、頭のいい人に思われるには頭が良くなることだし、お金持ちになりたければお金をたくさん持つことだし、育ちのいい人になりたければ良い家に生まれることである。
世の中にはさまざまな人がいて、都会のタワーマンションに住んでポルシェに乗るお金持ちもいれば、田舎で質素に暮らすことを吉とするお金持ちもいる。マウントをとりたがるボンボンもいれば、実家の話は避けたがるボンボンもいる。人に嫌われることを気にしない天才もいれば、人付き合いに長けた天才もいるのだ。
頭のいい人はこうだ、本当の金持ちはこうだ、というのは、自分がそうだったらこうするという願望、もしくは勝手なイメージに過ぎない。
そんな妄想のさらに真似をしたって、現実にはそうはなれない。例えばお金持ちになりたければ報酬の高い仕事を効率よくこなすか、何らかの博打で大勝ちするしかない。
残酷な言い方をすると、育ちの悪い人は育ちのいい人に見せたり、頭の悪い人が頭をよく見せたりしようとするには、嘘をつくしかない。現実と違う姿であると他者に信じ込ませようというのだから。
だから私はその手の記事の内容を読まないし、その手の本を読んでいる人のことが好きではない。

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ぶっちゃけ東京以外は誤差なんだよね。
と東京民が事実を端的に述べているところを見たことがないのは、都民が優しいということだろうか。

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2024年には東京の人口はおよそ10万人増えたようだ。この人口減少の時代に人口が増えるというのは、まさに一極集中といったところか。
私はこの報道を聞いてどこか安心してしまったところがある。この日本の最後の魅力が、東京という町だと考えているからだ。
1945年、東京は崩壊し、文字通りの焦土と化した。そこからわずか13年、1958年には東京タワーが建ち、83年、焦土からわずか38年で東京ディズニーランドが誘致された。そこからおよそ30年の2012年、スカイツリーが完成した。
おそらくその発達、成長のスピードは世界史上でも一、二位を争う勢いである。
そんな密度の濃い歴史が重なり、現代では東京は日本の”名物”である。
町自体がアトラクションさながらの集客力を持つ稀有な都市である。産業の大半が滅んでいく日本で、世界に向けて強い光を放っているのはもはや東京というアトラクションだけではないだろうか。
一極集中と叩かれようが、この町はこうでありつづけなければ、日本という国自体の存在感が失われてしまうだろう。分散させるべきだという声もあるが、人口が減り続ける日本でこの東京の輝きを分散させてしまったら、一体この国に何が残るというのだろう。
海外からでも、地方からでもいいから、とにかく東京の人口だけは守らなければならない。
戦後、東京の歴史を作り、この町を特別にしたのは、絶え間なく増え続けたこの人口と、その密度とエネルギーに他ならないのだから。


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“仕事を得られることにつけ込まれて中居や松本に提供された女性がいてそれが常態化していた”というのが真実だと仮定するのなら、その裏側には、それを断って本来実力があったのに不当に仕事を奪われて退場させられた女性が相当数いると考えるのが妥当で、そういった事件の真の被害者はそんな勇敢な女性たちなのではないだろうか。
そしてその真の被害者からしたら、その話に乗って仕事をとりに行ったその女性もまた、加害者の一部にすぎないという見方も可能だといえる。

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中二病みたいな名前ばかりなんだろう。
・ゴーストマックス - Brooks
・REVEL 7(レベルセブン)- Brooks
・スーパーノヴァ ライズ - adidas
・ウェイヴリベリオンソニック - MIZUNO
・ウェイヴプロフェシー - MIZUNO
・ヴェイパーフライ - NIKE
もはや格ゲーの必殺技と変わらないような気がするのだが。
・パワーゲイザー - Fatal Fury
・デッドリーレイヴ - Fatal Fury
・ソニックブーム - Street Fighter
・デッドスパイク - BlazBlue
ほらね、変わらないだろ、もう。
中でもミズノやアディダスのネーミングセンスは名前決定の会議室に中学生がいるんじゃないかって疑ってしまうレベル。

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どうでもいいからもっと重要な政治にフォーカスしたニュースを流せという声をよく聞く。
まず、ネットニュースはpvが全てである。ジャーナリズムではなくエンターテイメントだから、中居の事件の方が政治の汚職より安価な取材でpvに繋がるからそこに記者が殺到するのは当然だ。また、ネットニュースというのは自分で選ばなければ読めない、自分の好きな記事しか目に入らないという特性があり、現状は別にネットニュースの記者が無能なわけでも、ニュースサイトのディレクターが無能なわけでもなく、単に客(読み手)が政治ネタより中居ネタの方を好んでいるという結果が反映されているに過ぎない。
オールドメディアと揶揄される新聞やBBCやCNNといったマスメディアは見るトピックを視聴者が選べない。政治ネタというのは本来ここで垂れ流されるべきものだ。自分から政治の汚職やら制度の議決やらを読みに行くようなコアな政治マニアは総数として少ないのは当然で、だからこそページビューや興味関心に関係なくそこに切り込んで記事を作るメディアは必要だったのである。
しかし、日本国民、特に若い世代はそんなメディアを排斥してしまった。今や日本のテレビにおけるニュース番組は芸人と女子アナがTwitterで集めた動画を見ながら感想を言うだけのバラエティ番組に成り果てている。視聴者の関心など無視して重要なニュースを(それがたとえ面白くなかろうと)垂れ流す、そんなストイックなニュース番組はNHKにすら存在しない。
女子アナがフランスやらイタリアやら誰でも知っている観光地のリゾートホテルに宿泊して、美味しいものを食べて「美味しいです」という”番組”が今の日本のジャーナリズムであり、視聴者も小難しい話よりそれを望んでいる。なんなら海外ですらなくTwitterで仕入れた東京のカフェだったりするのだから、そのレベルのジャーナリズムに何が期待できるのかおして知るべしというやつだ。
もし本当にフラットな時点でニュースがほしいのならば、今や大手海外メディアくらいしか日本からは情報を得られない。日本の政治ネタとなるとよほどの大事件でもないと扱われないが。
ただ、こういう時代にしてしまったのは、別にメディア関係者が悪いわけでも、政治家が悪いわけでもなく、我々視聴者だった、ということは忘れてはならない事実ではないだろうか。

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恋愛よりも、昨日できなかったことを今日できるように、今日知らなかったことを一つでも明日には知っているように、という「self-improvement」の方に喜びを感じるし、優先度も高く設定している。
だから、まるで人生の唯一最大のイベントがやっただやらないだ浮気しただ結婚しただという類の人種とはソリが合わない。とはいえ、そういう人の方が圧倒的マジョリティで、全て避けて通ってしまうと基本孤立してしまうし、SNSで恋愛関係のことを呟くアカウントを全てブロックしようとすれば、そのブロック作業にあたるアルバイトを雇ったとしても年単位のプロジェクトになる。
人は恋愛が好きで、そこにさほど興味がない私は少数派なのだ。
さらに悪いことに私はお金を稼ぐことにも興味がない。私のself-improvementは先週より1kmでも長く走れたとか、強いパンチが打てたとか、知らなかった単語や法令を知ったとか、昨日弾けなかったリフが弾けたとか、基本お金にならないことである。
世の中にお金を稼ぐことに興味がないという人が一体どれほどいるだろうか。大半の人は、いくら稼いでいようとより稼ぐことを追求して人生を終える。
私はかなりの少数派であり、それを自覚していて、でもでは私は生きにくいのかというと、割と生きやすく快適に生きている。それは私の幸せや充実感、モチベーションは私で完結しているからである。誰かより進んでいる必要はなく、ただ昨日の自分より成長できていればいいのだから。どこまでもマイペースで、そこに他人が介在しない。これは世の中の人が抱える悩みやストレスの大半を私に無縁なものとしているのだ。
しかし、もし、世のマジョリティが私のような考え方を持てば、社会は破綻する。皮肉な逆説だが、私が快適なのはこの社会がベースにあっての話で、その社会は私とは違う考え方の人たちがマジョリティだからこそ成立しているのだ。すなわち、この社会が私にとって生きやすいかと問われれば、yesと即答するしかなく、私の考え方や価値観に共感を求めることは、私の生きやすい社会を変えてしまうことにも繋がってしまうのだ。

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回答数 165>>
その原因を作ったのが浮気をされた側だったとしても、「浮気する」「浮気しない」の最終的な選択は浮気した側の責任のもとでのみ執行されるためです。(浮気しない選択肢が脅迫や拘束など、自らの意思で取れない場合を除く。)
そしてまた、浮気における被害者はあくまでも「された側」であり、相手にパートナーがいると知りつつ関係を持った浮気相手と、浮気をした本人が共同して加害者を構成すると考えられます。
この場合、二名の加害者のうち「どちらがより悪いのか」という部分は議論の余地があるかと思います。が、10:0にはなりえず、浮気をして「私は悪くない」が通ることはありません。

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興味がないからブロックするためにそのreelなりアカウントなりをタップすると、そのタップが「興味アリ」認定されて、それに関連するreelやアカウントがどんどん表示されるのは、実際欠陥だと思う。
ブロックに関連づけて表示しなくなるようにすることは、現代のテクノロジーでは難しいのだろうか。

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を目安にランニングをしているのだが、毎月こんなふうにイベントをしてくれるのがありがたい。5kmのイベントと合わせればこれだけで15kmクリアできてしまうんだから。
オンラインで参加できてモチベーションに繋がる。
いい時代になったなぁ。


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努力したが結果が出ず何も得られなかった人生と、努力すらせず何も得られなかった人生の二つの人生があるとしたら、前者の方が上等だよ。

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回答数 290>>
死ぬまでに生のシロナガスクジラを見たい

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“僕はアゴが弱い。僕にはパンチがない。だから僕が勝つ”
アゴが弱いことはわかっているからしっかりガードを上げる。パンチがないことがわかっているから、要所で正確に打って打った後はしっかり戻す。打たれ強い人は「多少打たれても」という意識が働くから強引に攻める。一発のパンチがある人は、当てたら相手は倒れるはずだと打ち終わりに油断する。
だから、その隙を攻められる自分が勝つんだと。
恵まれたものがないからこそ、そこをフォローするために努力や工夫ができる。自分には才能がなく、人より劣っているから、絶え間のない努力ができるし、見えない場所に向かって踏み込む勇気が持てるのだ。
努力はよく裏切るし、頑張っても才能のある人には勝てないかもしれない。でも、才能がないのに努力もしなかったら、どう生きるつもりなのか。
何の才能もなく産まれたことに私は感謝している。

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もう少し頑張りたまえ、AIよ
#chatgtp


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あれは果たして健康なのだろうか、とたびたび考える。
ジムのトレーニング、とりわけマシントレというやつは特定の部位にしか効かない。つまり限定された部位だけが筋肥大を起こすわけだ。
そして人体がperformする運動とは、単一特定部位による筋肉によってなされるわけではない。歩く、立ち上がる、走る、飛ぶ、持ち上げるなどあらゆる運動は様々な筋肉の複雑な連動によってなされる。
だから、ランニングとか縄跳びとかフラフープとか、実際に体を動かすような運動というのは、特定部位に強く負荷をかけるものの、基本的には連動に必要な筋肉全て(それは例えば心臓といった臓器にかかる部分まで)に必要な負荷がかかっている。これらの筋肉が発達すれば、パフォーマンスが上がり、確かに健康と定義できると考える。
一方で、ジムのマシントレの場合はどうだろうか。例えばボールを投げるというパフォーマンスについて考える。ボールを投げ続けると腕、肩、背筋あたりの筋肉が主に発達するが、この運動は実は足も腰もあらゆる筋肉を使っている。そこでジムトレで腕と肩と背筋だけを発達させるとどうなるのか。
結論から言うとケガをする。
なぜなら、筋肉の連動の中で一部の筋肉が発露するパワーだけが大きく、育っていない部位の筋肉への負荷が大きすぎるからだ。
筋肥大目的のジムトレの悪い点は筋肉のアンバランスに留まらない。
カーディオ(有酸素運動)をすると脂肪の前に筋肉を消化する。このため、ジムトレを行う人はカーディオを敬遠する傾向がある。せっかくつけた筋肉を失いたくないからだ。だが結果的に臓器への負荷が足りず、いわゆる「体力(スタミナ)がない」状態に陥りがちになる。
また、筋肉は重いので、体力がないのに体重は重いという難儀な状態に陥り、「疲れやすい」体にもなる。大きな筋肉をつけた体は確かに一見健康的に見えるが、それを果たして「健康」と呼んでいいのだろうか。
2〜3kmも走れば怪我のリスクがチラつくような身体を健康と呼ぶべきか、疑問符がつく。
そしてそもそも体脂肪率というのは肥満でない限り高い方が抵抗力が増して疾患には強くなるので、何かをやっていて結果的に体脂肪率が低くなるのは仕方ないが、意識的にそれを減らしに行くトレーニングは健康的とは逆に不健康ということもできる。
真相は、はたして。

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彼女は若干フェミニストの節があって、いわゆる”意識高い系”だった。
彼女の妹の息子は、生まれた時から姉妹から溺愛を受けていて、物心のつかない頃から女装と女性のようなメイクアップを施されて、それをインスタグラムやYouTubeにアップロードされつつ、Likeをもらって育った。
そしてその男の子は10才になり、自ら女装とメイクを楽しむようになっていて、さながらトランスジェンダーである。
この子は、トランスジェンダーなんだろうか、とふと疑問が浮かんだ。
幼少期の外的要因によってそうなっただけなのではないか。先天的に彼は女装して外を歩くような性質を持っていたと言えるだろうか。
このケースでは両親の影響が強いと考えられるが、であるならば社会の風潮の影響によって後天的に自認する性別が変わってしまうようなケースはないと言い切れるだろうか。
答の出る問題ではないが、少し怖い話である。

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覚えてる。
板に左足を乗せて、右足を後ろに沿える。
いつもと違うバランスで板の上に立った。グラグラした。少しでも動けば転びそうだ。
でも、思い切って前に進もうと右足を離した。初めてのプッシュを漕ぐために。
ウィールが回る。前に進む。そのスピードの流れに体を乗せた。もっと進みたいから、もう一度右足を離した。派手に転んだ。
あの時、右足を板から離れさせたもの。
前に進みたい、加速したいと思わせたもの。
その原動力の一部に「若さ」というものがあって、そのプッシュを引き止めるものに「老い」がある。
あの感覚を私はずっと忘れていない。
やったことのないことを始める時、いつもそれを思うのだ。
“ここで辞めておく選択をすれば、心が老ける”
だからこの最初のステップを踏みにいけと私の背中を押すのだ。
次は何をはじめようか。


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というのは、月に20万前後しか給料がもらえないそうだ。日本円が暴落している今この給料は大半の国においてスターバックスやガソリンスタンドのバイトに劣る。
つまり、ここに集まる人材というのは、よほど日本を偏愛しているweebでもない限り、そのへんのバイト程度の能力しか持たない人材になるということになる。
仮にそんなweebであったにせよ、ただ日本にいられればよく、英語教育についてなんぞ興味も関心もない人に、まともな教え方を期待する方が間違っている。
また、日本より給料の低い国から来た講師たちについても、月に20万程度の給料ではインフレの進むこの国で一人生活するで精一杯で、国に送るお金などほとんど残らない。
結果的に、こちらも質の高い講師は日本を離れていく。改めて考えれば、英語を教えられるほど話せるのだから、普通に英語圏でバイトなりの仕事をする選択肢はむしろ日本で働くより取りやすいだろう。
日本の英会話教室の産業自体が縮小していくのはこんな側面からも当然のことだったりする。おそらく数年で英会話教室というものは消滅するのではないだろうか。

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聞いたこともないような東南アジアの国やら南米のどこかが台風とか地震で被害に遭うと、すぐに日本は何億円支援とかやるのに、最大の同盟国であるアメリカのロサンゼルスが燃え上がってる今支援の話が出ないのはなぜだろう。

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キックやムエタイや総合格闘技の方が実戦で強いんでしょ?なんてよく言われる。
しっかり鍛えている身としては少々ムっとする質問だが、実際にキックなどの選手であればそんなことは言わない。
なぜか。
まずこの質問にある”実戦”とは何か。それがストリートの喧嘩のことであるなら、ハッキリ言ってやっている種目を問わず最初にその気になって殴った方が勝つ。
その理由として、根本的に格闘技というものは「相手の急所を不意打ちするスポーツ」だからだ。痛いとか苦しいという状態ならファイターは立ち上がる。KOされる時というのは脳震盪を起こしたりして、根性やらでは立てない状態になった時だ。不意打ちだから内臓にダメージが入ったり脳震盪が起きたりして倒れるわけで、ここに飛んでくるとわかっているパンチやキックなら当たらないか、当たっても倒れない。
そしてどんな格闘技であれ、急所に不意打ちが入ったら一撃でKOできるテクニックというのは存在するし、そのテクニックこそを練習するものだ。
ゴングもなければ試合開始の合図もないルール無用の喧嘩の場合、最初に相手がまだその気になっていない状態で、先にそれを当てればゲームセットということになる。
もしその”実戦”がなんらかのルールに基づいている場合であれば、当然その選手が勝つ。ムエタイのルールで戦うならボクサーはムエタイの選手に歯が立たないし、ボクシングのルールで戦うならキックボクサーは不利になる。
その質問がまず的外れなのだよ。

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中居正広が9000万の示談金を払ったニュースが飛んでいるが、彼が一体何をしたのかは明らかになることはなく、社会的な制裁として実質失業という罰はうけたものの、司法による裁きはくだっていない。
これは、被害者が裁判に訴えていないためであり、示談金と週刊誌に訴えた方が裁判所に訴えるよりも被害者にとってメリットが大きかったからだろう。ここでいうメリットには金銭だけでなく、当然その制裁の意味も含まれる。週刊誌とネットニュースの方が司法よりも強い制裁をくだせるということだ。
これはもはや法による統治ではない。
司法が無視されているがゆえに、この事件は今後に何も活かされない。このままでは刑事責任を負うような重篤な事件さえ、こういった形で明らかにされず、社会として問題を考えるきっかけとなることも当然なく、閉ざされたまま終わっていくような時代が来る危険がある。
また、週刊誌とネットニュースが法を超える力を持てばそこが腐敗していくのは想像に難くない。法治のありかたを今考え直すべきときなのではないだろうか。
実際、今回フジテレビの関与については藪の中である。訴えていないのだから警察が捜査することもできない。これは、司法により罰がくだるべき人物がカネによってそれを避けることができることを示唆してしまう。億に近い現金を積まれて、それを蹴って司法の罰を追求しようとする人間などほとんどいない。それに加えて、こうして週刊誌やソーシャルメディアを使って制裁もくだせるというのなら、尚更だろう。
時代はどんどん困難になっていく。

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お会計はスターバックスカードを3〜5千円買い、それでまとめて支払って、そのカードをその人にそのままあげる。
というテクニックがあるとかないとか。


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12月の終わりに、”募集が殺到して株式の配布予定数を超えてしまうから”、新規の申し込みを年内で打ち切った。さんざん、あと何日で新規申し込み受付終了!と煽った挙句、年が明けたら、1月20日から申し込み再開。
こういうことをやればやるほど、会社として信用を失うと思う。そしてこのサービスの需要って”なんか楽しそうだ”という特に必要に駆られてカブアンドを選んでいるわけではない層が支えているわけで、信用を失えば儲からないから辞めるという形になってくるはず。
利用者を株主にすることで、客がその会社のステークホルダーになる。という試みは面白い。だが、そうなるからこそ利用者から会社への愛というのも運営には不可欠になると思うのだが、今回の”煽り”は早くも一つシミを残してしまったのではないだろうか。

50代チビデブ禿無職
もはや三日月でも何でもないので、果たしてこれはクロワッサンなのか。
お店がそう言ってるんだからそうなんだろう。


50代チビデブ禿無職
だから運動会は欠席したし、テストではわざと間違えて満点は取らないようにしていた。そこそこ有名な大学に入学したが、アルバイトでは履歴書に高卒と書いていた。期待されるのがごめんだった。
国家資格に合格したが、私はそれを使おうとも思わなかった。とにかく、目立ちたくなかった。
それは今もそうだ。
私は高級車を買わない。私はブランドロゴの入った服やカバンや靴を持たない。
私はチビでデブでハゲで50代の貧困層、になりたかった。何でもないその他大勢の一人である居心地の良さが好きだからだ。
だから腹筋や預金残高を見せる人とか、仕事や会社や時計を、車を見せる人の気持ちが全く理解できない。なぜ人から良く見られたいのだろう。なぜ目立ちたいのだろう。ハッキリ言えることは、彼らと私は価値観が違うし合わないということだ。
こんな生き方をしてきたけれど、それでも私の周りに私を理解してくれる友人がいてくれて、パートナーもいなかったことがない。幸運だったのだろうと、今年を締めておこう。

50代チビデブ禿無職
“もうやることないもん。あと負けるだけじゃん。”
2階級を制覇した畑山選手が、ライバル坂本選手を死闘の末に下して防衛した時の言葉。
一度敗北して引退、復帰からの王座奪還、防衛を経ての一言だ。
そこまで生きたいよね、と思う。
もうやることねーじゃん。あとは失うだけじゃんって、そう思って自分の人生の締めくくりを迎えられたら、こんなに幸せなことはないだろう。
人は生まれたら必ず死んでしまう。ではなぜ生きるの?とはいつの時代も誰もが問いかけてきた哲学だ。
私が生まれる前に流れていた膨大な時間、そして去っていった後に流れる膨大な時間に比べ、この生きている時間の短さは儚いというしかない。
もしそんな短い時間にできることがあるのなら、かならず受け入れなければならない自分の最期に、「もうやることねえよ」って思えるほどやれるだけの経験を積むことしかないのではないかと思う。それが多分この我々に与えられた生きている時間に「やるべきこと」なのだ。