まるで以前見た夢のようですね。人々は夢は現実の写し鏡だと言いますが、私はむしろ、私の生活が夢の写し鏡だと感じます。なぜなら、この情景を先に夢で見たからです。誰かが、過去を忘れて前に進むこと(忘却)も一つの能力だと言いましたが、私はそうしたくありません。人生は短いですが、私は愛する犬たちの唯一の存在でありたいのです。
明日は瓜瓜の誕生日だ。瓜瓜の誕生日って本当に不思議だ。嫌いってわけじゃなくて、とても特別だと思う。ちょうど「123」。瓜瓜、誕生日おめでとう。 それから、瓜洲の誕生日ももうすぐ、1月25日。瓜洲も誕生日おめでとう。
季節ごとに異なる薫りが漂い、その移ろいは日々感じ取れる。秋には松の木が土の深い薫りで空を包み、夏のメタセコイアの気息は冬と似ていて控えめだが、夏にはO₃の香りが微かに溶け込み、昆虫が羽ばたいた後に残る樹液の痕跡と、様々な記憶の粒子が空に滲む。冬のメタセコイアには、湿り気と露の冷たさが沁み込み、夏には地面や建物から立ち上る、幾重にも積もった歳月の息吹が懐かしく蘇る。学校に足を踏み入れると、昔と変わらぬペンキの残り香がし、塗り直されても同じ風合いがただよっているようだ。こうした息吹は、毛が豊かな生き物にとっては、さらに深く馴染む故郷の記憶のように感じられるのかもしれない。-CHOに染み渡るように、思い出深く空気に溶け込んでいる。
十何年前、初めて自分のカメラを手に入れた。ニコンだった。でも、何を撮ればいいか分からない、結局、壊れるまで特に撮るものもなくて。あの頃は、ただ撮るために撮ってただけ。雨が滴る瞬間とか、青い蜘蛛とか、退屈な観光地とか。でも、肝心なことを忘れてたんだ。うちの犬の写真、一枚も残せなかったんだ。遠くで中学生活してたから、急いで帰った時にはもう、犬は永遠に眠ってた。何を撮ればいいか分からなかったけど、写真は感情を残せる唯一の手段だった。前には、誰かが写真を撮るたびに「撮らなくてもどうせ忘れるんだから、今この瞬間を大事にして、自分の目で見ればいいじゃない」と軽く言っていた。心に残るものこそ一番美しいと思っていたし、レンズ越しで時間を無駄にして目の前の美しさを見逃すのは馬鹿だと思って。その時は本気でそう思って。でも、今はそうは思えない。