風邪を引いた時にお大事にねと言ってくれる人、移すなよと言ってくる人。どちらが自分にとって大切な人なのかは明確なのに、当時はそこに気づけなかった。人を雑に扱うということがどういうことなのかも分かっていなかった自分が悲しい。
親も含めて誰かに何かをしてもらった時に『してもらって当たり前だよね。だって私は相手より不出来だから。』って思ってるうちは、自立も出来ないし自己肯定感なんて上がらない。何事も自分でやって当たり前。誰かに少しでも何かやってもらったら感謝出来る状態になって初めて、自分のことも相手のことも尊重できるようになるんだろうな。
誰かに疲れない環境を提供して欲しいと思っている。自分を安心させてほしいと思っている。どれもこれも、見えない誰かに頼っているだけで自分で何もしようとしていない。自分が受け入れられないものを誰かのせいにして誰かに救ってほしいと思っている。そんな誰かは一生目の前には現れない。自分でどうにかしない限り、一生自分が苦しいまま。
人との縁って意外にも脆い。切ろうと思えば切れてしまうし、この人もう良いやと思われても切れてしまう。自分にも出来ることがあるうちにその人に何かしら還元できる自分でいなければ、人の縁は繋がっていかないのかなぁ。
今まで、『彼氏に溺愛されて〜』とかいう記事を見るたびに、私も溺愛してくれる彼氏が欲しいなと思ってた。けど、私に本当に必要としていたのは溺愛してくれる彼氏じゃなくて、一緒にいて心が温かくなる人だった。彼氏といるとそれが満たされるからこそ、感謝の念が湧くし、彼氏を愛そうと思える。溺愛されることだけが正解じゃない。自分は何を相手にしてもらえると嬉しい人間なのかを把握していると、運命の人と巡り会いやすいのかもと思っている。
今度の人は心が温かい人だから、丸ごと愛してあげたいなと思った。けどなんだろう、愛したいとは思うけど、愛してるとは思ってない。大事にしたいとは思っているけど、まだ大事な人ではないのかもしれない。どうしたら、その境目を越えられるんだろう。
エスコート力あまりない人だけど、心があったかい人な気がするから、この人良いかもって思った。エスコートは愛情とは必ずしも関係ないって思わせてくれる経験がなければ、今回のご縁は逃していたかもね。経験って大事。