
ケーン
口ベタで人見知りですが、よろしくお願いします。
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話を聞くのが好き

ケーン
無理に相手を追いかけたとしても、それは自分本位の行動であって、相手に対する思いやりを考えた行動じゃない。
僕から去っていく人には、いろんな気持ちがあるからこそ僕からいなくなるのだろうし。
むしろこだわり続けて、相手に本気で嫌われるとか、最悪訴えられるとかデメリットを考えると何もいい事はない。本当に自分の気持ちに従って、その覚悟があるのならいいと思うが。
人には縁というものがあり、縁のある人は何があってもいつかは、また結ばれるものだ。そうじゃない以上、僕から追うことが自分にとって違うと思うのなら追う必要はない。
誰かに隣にいて欲しい。誰かに必要とされたい。そう思うことはある。誰だって孤独は辛いだろう。
だからって自分の心を守るために他人を巻き込むなんて、僕には考えられない。今まで必要以上に振り回されてきた人が、急に何もしてこなかったら気になってしまうのもの仕方がない。
そんな自分を認めてあげて、追おうとする自分がためだよって許してあげて、前へ目標へ向かって生きていく…そう僕はしていきたいな。
さて次の縁ある人達の出会いがあるのかないのか分からないけれど、僕は自分の課題や悩みと向き合いながら一人でも歩いていこう。
その道の途中で、また新しい出会いも本当にあるのかもしれない。
一人の時間を楽しみながら、いろんな傷や思いを背負っていきながら今日も進んでいくさ。

ケーン
以前の職場ではバレンタインデーに義理チョコを貰って返すのに面倒くさいなと正直思いながら返していた。
今回は2人ほどから義理チョコを貰っていたので、返そうと思っていたが、どうも力が入らず1人には今朝コンビニで買ったものを返すつもりだ。別にセンスなんて関係ないから返すのが大事かなと。
もう1人には、何故か「やる気を出してかなりの大きな物を用意していた。
ホワイトデーのお返しとはおもえないものだ。普通に考えるとドン引きされるかもしれないほどのもの。
気持ちが入り込んで、かなり選んだ結果、楽天で購入して届いた。
…思っていた以上にデカイ💦
さすがに職場では渡すと周りの目も気になるので、明日明後日が休みなので、個人的にLINEのやり取りもしているので、タイミングを合わせて外で渡そうと思っている。もちろん渡したら、そのまま帰るし何かを期待もしていない。
自分でも何をしてるのか分からなくなっている。
その人は今日は本命の人から貰えるだろうし、もしかしたら交際に発展するのかな?と思うし、僕のあげた物なんて驚くかもしれないが、ほぼスルーされるだろう。
自分の気持ちを形にして渡したいだけの自己満足だ。でも渡したい。最初はやり過ぎだと感じて渡すのをやめようとも思ったが、やはり用意した以上は渡さなきゃな。
勘違いされる可能性もある。でも僕が渡したかったから。それだけの事。
まずは仕事に集中だ。職場には仕事をしに来ているのだから。

ケーン
昨日は朝早くから肉体労働したせいか、頭が働いていない。いろんな事を心に思いながら出勤の準備をしていた。
なんか思った以上にいろんな事を考えている。仕事や家族、この先の人生の事。
あまりに多くの事を考えて居て、うまく考えが定まらない。あれこれ考えて答えを出せないのは、自分の癖らしい。
米津玄師の曲を聴きながら元気を無理矢理に出して、今日も仕事へ行く。
今日も忙しいだろうし、仕事は進められるだろうか?
昨日も今日に仕事を回しすぎて、やるべき仕事は多くある。
…面倒くさいななんて正直な気持ちを持ちながら、それでもやらなきゃな。仕事をする事は生活のためでもあるし、自分の成長のための挑戦の日々でもある。
今日も僕の大切に思う人達はどう過ごしていくのだろうか。少しでもしあわせな一日を送って欲しい。たまには話してもみたいが、忙しさに格好をつけて思うだけで終わってしまうのだろうが、この気持ちだけは忘れずにいよう。

ケーン
もうすぐ春がやって来る。
その兆しは少しずつだが、来ている気がする。
別れがもうすぐやってきて、春になり新しい出会いがある。これは1年ごとの話で慣れているはずなのに、やはり寂しくもなるし出会いが楽しかったりもする。
僕は4月からも変わらない職場で新しい挑戦をしながら、これからも忙しい毎日を送ることになるだろう。
会社の前に1本の桜の木がある。その桜が咲くのはまだまだ先の話だが、咲いた時は春を感じずにはいられない。早く見たいな。
今年も写真に収めよう。そうして心にも花を咲かせれるように、楽しくいかなきゃな。
去年は思いがけず大きな別れを経験したが、今年は春の訪れとともに素敵な出会いが待っていると信じよう。
まだ寒く雪の世界に目をやりながら、僕はそう感じた。


ケーン
…見ている分には面白いし、ああなるほどとか思ったりもする。星座占いとかは見てる分には楽しいのだが、「では12人に1人はそうなるんだな」ってツッコミを入れてしまう僕もいる。
否定したりするのは良くないし、参考程度にはなる。結局は自分の事は自分にしか分からないし、誰かが占ったりした事が現実に起こるのなら、この世の中はもっと上手く進む。
リアルな世界では、もっとシビアなことが起きるし、前向きないい事などを鵜呑みにして自己満足や承認欲求を満たすために自分発信しようとは思わない。あくまで僕自身の見解であって、ここに投稿してるだけで、これも誰かに見てほしいと言うより、自分用に思った事を残す意味合いの方が強い。
運命や困難を乗り越えるのは自分の行動と気持ちであって、もしそれでも不幸になるのなら、それも自分の運のなさか何かなのだろうな。
でも行動し続けなければ何も起きないし、何も変わらない。
きっと世界は目に見えない、人間の知恵だけでは理解出来ない力が働いてる気はする。
それが何かなんて僕には分からないし、だからといって答えもない。
…なんて事を考えながら、まだ疲れてるから寝ようか?それとも気分転換に出かけようか?どうしよう。と考えながら1人でいる時間をもっと大切にしたい。
暇人だな、僕は。と自嘲しながら僕の休日は時間が過ぎていく。

ケーン
離婚から時間が経過するにつれ寂しい気持ちからなのか、嫌な思い出から自分は逃げようとしているのか。
自分の深層心理なんて、自分でも良く分からない。あれだけひどい事をされ、子供にも会わせてもくれない。僕に嫌なものだけ押し付けて一方的に家を出ていき、弁護士から自分本位の要求を手紙で送ってきた。これだけでも相当な事だ。
それなのに僕の夢に出てくる元嫁は笑顔で僕に優しかった。
僕は何を考えてるんだ。何がこの夢を僕に見せるんだろうか。
よく思い出は美化されると言うけれど、こんなのは違う。現実逃避してる自分がいるんじゃないかと自分に呆れてしまった。
見た夢は時間と共に忘れるから、記録として残しちゃいけないって聞いた事がある。それなら僕はこの夢を心の奥に封印しよう。
復縁なんて絶対にありえない。両親や兄弟すら嫌っている元嫁と戻るなんて馬鹿げている。
ただ一緒に生活している小学生の次男が気になって仕方がない。4月からは小学6年になる。
これから、もっと多感になっていくだろうし、発達障害のある子だから不安が頭をよぎる。
そばに居てやれなくてゴメンって心で謝っても届かない。分かっている。いろんなことは頭では分かっている。それなのに心が言うことを聞いてくれない。
前に行かなきゃ。自分の人生を歩まなきゃ。何度も何度も言い聞かせながら今日もまだ癒えない傷を抱えながら仕事へ向かう。

ケーン
「○○さん、妻子に逃げられて離婚したって噂が広まってますよ。僕が聞いてた話と違うなって思いました」
…なるほど。信用して話した数人のうちの一人が話を広めて、伝言ゲームのごとく真実が歪んで噂になったようだ。
悪いイメージや話は人の大好物のひとつだ。人の不幸は蜜の味というやつだな。
僕の立場なら尚更だ。どこかで誰かの嫉妬なのか妬みなのか悪意を持った何かが僕を妻子に逃げられた、ロクでもない男となって独り歩きした。
別の僕が職場で歩いているんだろうな。
もちろん真実は違う。逃げたと逃げられたじゃ、まるで話が違う。気にならないと言えば嘘になるが、呆れたもんだ。
妻子に逃げられた…ってドラマか映画の話くらいしか聞いたことがなかったが、僕がその人物になったみたいだ。
面白いな。その悪いイメージと普段の職場の僕とどちらが勝つか勝負といこうじゃないか。
そうして今日も僕は僕らしく仕事へ向かっていく。

ケーン
よく知られた言葉だ。
作られたものよりも実際に起こることのほうが、より波瀾に満ちている。
だから未来は誰にも予想できない。僕は預言者でもなければ未来視のできる超能力者でもない。
ある程度は予測のつく事はあっても、実際に起こることは、その上をいくことは多々ある。
最近、なにで聞いたかは忘れたが、悪夢はそれが起きた時に自分の心が耐えれるように脳が見せる夢だと言う。耐性をつけておくためだと。
ホントに不思議な事はたくさんある。僕の場合だが、いろんなピンチも何とかなってしまう。
何とかなるさなんて、前向きな言葉もあるがそうなっていることに気づく。
人生終わるんじゃないかってピンチは何度かあった。今回の離婚もそうだ。
心に押し潰されて消えてしまうんじゃないかと。
今、僕の手に残されているのはボロボロの家と、ようやく生活できるだけのお金。
働いた給料の半分以上は借金で消えていく。
一人で生きていくには何とかなるんだけど。もし家族がいたら、全て破綻していただろう。何もしない元嫁と、将来のある子供。僕が必死に努力しても全てが壊されていた生活をしていて、いつどうなってもおかしくないギリギリの生活だった。職さえ失うところまで来ていた。
…でも何とか水際で留まることが出来た。残された課題はまだまだあるが、自分の力次第ではいける。
それなら僕は前を向いて歩み続ける事を選んでいくさ。たとえ心に負った傷が痛もうとも、何が起こるか分からないなら、それを切り開いていこう。

ケーン
結婚もある意味、約束だと思う。相手を絶対に守り幸せにしようとする約束。でもその約束は一生のものだ。長い生活の中で、それを忘れずに常に相手の事を思うのは至難の業だった。
離婚してしまった僕は、その約束を守れなかった裏切り者なのだろう。相手が悪くて離婚することもある。それはそうだ。
でも、僕にはそれを受け入れる力も正す力もなかったし、自分だって悪かった。
離婚をして、将来の不安や子供を自分一人で育てて行かなければ尚のことだ。
約束を守れなかったばかりに子供を不幸にしてしまう…そんな事はない。
僕は子供も連れていかれ、会えないようにバリアを張られた。相手は子供を自分の所有物のように扱い、僕の悪口を吹き込んで洗脳していくだろう。そういう元嫁だったから。会えたとしても、その時は悪い父親として会ってくれないかもしれない。
だけどそうじゃない人もいる。別れた人の事よりも、子供との生活を考えて働いて辛い気持ちを抱えながらも必死に働いて生きている人。
親権はたいていの場合は母親になるものだから、シングルマザーとして、それこそ子供を抱えて生きている人。
僕はその人に敬意を払う。すごいことだ。望んでそうなった訳じゃない人もいるが、それでも前を向かなきゃって必死に自分に言い聞かせて、人一倍に耐えて生きていこうと立ち直ろうとする人。
そんな人達が報われる世界であって欲しい。
できるなら手を差し伸べたい。痛みを知る1人として。
でも僕に何ができるだろう?頑張ってなんて言葉は意味をなさない。だってもう頑張っているのだから。
僕も日々、一人の生活を辛さと寂しさと戦いながら仕事をしている。正直、隣に誰かいてほしいと思うことさえある。
そんな僕に誰かを安易に優しい言葉だけで救えるなんて傲慢だ。
本当に人を助けるってなんなんだろうか?関わり続ける事しか思いつかない。その人が倒れそうになったら支えるために関わっていくしかない。
だって、その人が幸せになって生きてほしいから。この強い気持ちが相手に届くのかは分からない。でも願い祈り続けよう。
どんな理不尽があったとしても。

ケーン
昨日は仕事が忙しすぎて疲れが溜まりすぎていたので、半日は寝ていた。そのためか、何のことない1日だった。
一日一日を大切に過ごしたいなんて思いながら、思うようにいかないものだ。
それでも誰かにとっては有意義だったり、いろんなことが大変な一日だったに違いない。
当たり前だが、その人にとっての一日は違う。僕だって昨日は何もない一日だったが、もしかしたら今日は素敵な一日になることだってある。
一昨日は、急にしばらくぶりの人からLINEがきてみたり、嬉しかった。
前の職場で立場は違っていたけど僕にとっては大切な友達だ。
僕は本当に上司とか向いてないとつくづく思う。役職で呼ばれるのがどうも苦手だ。○○さんと普通に呼んでほしい。職場上そうもいかないのは知ってるから何も言わないけれども。
同じ人間で多少、給料が違うだけだって考えているから。その分、役割が違うだけだと。
その考えがいいのか悪いのかは分からない。時には指導や注意しなくちゃいけないのも分かる。
でも年齢性別なんてのは、僕にとっては些細なことで、尊敬できる人にそんなものは関係ない。
だから今回、僕が苦しんでいる時に意識はしてないだろうけど、僕にLINEで関わり続けてくれる人がいて、その人は愚痴やら何やらいろいろとLINEしてる間柄なのだが、僕が辛い時期を過ごしている時、それさえも忘れさせてくれた人。
感謝している。そのおかげで立ち直れたのも事実だ。ありがとうって伝えたこともある。それでも、その人は変わらずにいてくれる。大切な存在。だから、その人にできる限りの事をしてあげたいし、何でも聞いてあげたい。見返りも何もいらない。もしその人が辛い時は助けてあげたい。
…自分は底抜けのお人好しなのかもな。

ケーン
怒りと言っても投稿者さんではなく、その中に出てくる人に対してだ。
素敵な投稿もたくさんあって、幸せな気持ちになれるなって。その投稿からは、その人の人間性を感じる。
世の中にはSNSがいろいろあり、自分のスタイルに合わせて選べる時代だ。このGravityの世界は優しい世界を僕は感じている。だから、こうやってほぼ毎日投稿していたりする。投稿というより日記に近いが。
綺麗な写真を投稿されてる方のを見ると癒される。僕の見た事のない景色がそこには広がっていた。
今は仕事と生活が忙しくて、どこかへ出かける時間もないし、冬の季節で一面銀世界で遠出しようと思えなくて。
早く春が来ないかな?僕のもっとも好きな季節。
桜がみたいな。咲き誇る桜。散っていく桜。どれも素晴らしい光景だ。一緒に隣に誰かいてくれないかな。なんて若干の感傷に浸りつつ今日を迎える。

ケーン
僕は一人で生活しているから家族といる訳ではないが、家族と生活していれば喧嘩になってしまったり。去年までは、それが日常茶飯事だった。
仕事が忙しくてイラッとして、喧嘩。
本当に些細なことでも。歯車が狂い始めて取り返しがつかなくなって家族は誰もいなくなった。
孤独感。それは突然やって来る。
どうしようもなく何をしてもその気持ちを埋められない。時間が経てば気持ちも落ち着く。
でもまた、それは心に襲いかかってくる。
その繰り返し。でもその気持ちと戦い抗い続けるしかない。
家族と生活していても孤独感を感じることだってある。味方が誰もいないっていう状況。
でも家族なら、やがては元に戻ると思う。僕も経験してきたから分かる。
この世の中には、そんな風に感じて生きて生きて、それでも癒されない傷と共に生活をしている人もいるだろう。
…そんな時は僕は自分の心に問いかける。僕は孤独なのか。誰もいないのか?そうじゃない。
両親や頼れる友人、そしてこのGravityの世界。
聞いてくれる人もいる。支えてくれようとしてくれる人もいる。
だからあなたは孤独じゃない。1人じゃない。
僕はそう伝えたい。愚痴たって甘えたっていいよ。皆が強いわけじゃないんだから。

ケーン
この曲を主題歌としたブレイブストーリーという映画がある。僕は原作の小説が好きだ。なかなか長い話しではあるんだけれど、小学生の少年がいろんな不幸にあって、その運命を変えるために異世界へ願いを叶えに旅立ち、様々な事を経験していって、最後の戦いに勝ち、叶えたい願いを告げる。
長い旅路の中で本当に叶えたいと思った、その願いとは……ベタな話ではあるが、その中にこそ人として大切な気持ちがあって、僕の大好きなストーリーだ。
局も小説も大好きだ。しばらく読んでいなかったし小説もどこにいったか分からなくなってしまったので、買い直して読みたくなった。
忘れちゃいけない大切な心が詰まっているから、もう一度自分を見つめ直すのに、いいかもな。
辛さ、悲しみ、自分の不幸、それは誰も経験なんてしたくない。出来れば一生避けたいくらいだろう。
それでも人は経験してしまうし、それを乗り越えるために生きている。自分の生まれなんて選べないし宿命も変えられない。だけど心ひとつで立ち向かい抗うことは出来る。
その果てに何が待っているかはだれにも分からない。
報われるとか報われないとかじゃない、本当の自分の生き方。僕は抗いたいし、報われなくても手にできるものがあるって信じている。だからカッコ悪くても笑われても進み続ける。
ブレイブストーリーの主人公のように、ありのままの自分で生きていきたいんだ。
今日も明日も歩み続けよう。止まることなく。

ケーン
それは生活するために仕事をすることだったり、家事や育児を、することだったり。
共働きとなれば、お互いの協力はもっと必要になるだろう。
お金があれば、ある程度は生きていけるが、それでも家の家事を疎かにすれば生活は成り立たない。愛だけでは生きていけない……それが現実だ。
夫婦愛とは、お互いを思いやり協力し合わなければいけないんだ。
僕はそれを怠って怠惰で生きていた元嫁に、それじゃダメだと思って言い聞かせてきた。時には激しく怒りながら。
じゃ、自分はどうだったのか。僕は仕事ばかりを頑張って家事育児は、ほとんどできていなかった。仕事で努力してきたからこそ、今の地位があり収入があるが、それが正しかったとは言えない。
元嫁には僕が幼少の頃、両親が共働きで寂しかったこともあって専業主婦でいてもらった。僕が頑張るから家の事を頼むって言っていた。
でも元嫁は家事がほとんどできておらず、家は酷い有様だった。その事に不満がつのっていたのも本当だ。だから元嫁に頑張ってほしい、そのままじゃダメだと強い言葉を投げつけていた。
元嫁はストレスを強く感じていたに違いない。その事に気づけなかった。
だから、家庭崩壊した。愛なんて、もうどこにも存在しなかったのか。
今はもう取り返しがつかない状況のまま、今に至る。
誰が正しかったのかは分からない。お互い間違っていたのかもしれない。被害者は、まだ小学生の次男だ。きっと寂しい思いをしてるだろうな。
……それでも生きていかないと。いずれ時が来た時、何かが変わるかもしれないし。
さぁ今日のやるべきことをやらなければ。
一人での戦いの始まりだ。

ケーン
午後から予約していたメンズサロンに行って、髪型をどうするか相談して、イメチェンも兼ねて
ソフトモヒカンにする事にした。
僕にとっては初めての髪型だ。外見の印象が変わるだけでも随分と違うものだな。
冬にする髪型ではなく短髪だったせいか、頭が寒いな、なんて思いながらも、髪型は気に入っていた。
明日、職場に行ったら何かあったの?なんて多分聞かれるよな。あるあるの話だが。
今まで半分、気持ちも生活も振り回されつつあった女性の存在がなくなり、気分転換もしたかったのもある。
片想いなのに、何故か僕にLINEをしてきて推しの人(好きな人の事を言っているのだと思う)の話を延々としたり、○○に買い物に行くなら、あれを見てきてほしいとか、いろいろあった。
僕の優柔不断な性格なのもあって、ずっとその事に付き合ってきたが、突然「推し活が忙しいので、では〜」なんてLINEを打ってきて、ここ何日かLINEも来ていない。僕が休みの日に10時間以上もLINEをしてきた女性がだ。
世に言うメンヘラってやつなのは知っていたが、こうもあっさりしてるのも困ったものだ。
職場のアルバイトの女性で、僕は一応上司だ。
何を僕はしているんだって思って何度も断ろうとしたけれど、できなくて結果がこれだ。
僕の自業自得なのだろうが、何とも情けない。
アラフォーの女性で未婚。推しの人も同い年で未婚らしい。
好きにしてくれ。正直に思う。僕は職場に仕事をしに行ってるのであって、社内恋愛をしたかったわけじゃない。
……明日から心機一転で仕事に集中しよう。
愚痴のような投稿になってしまったな。
イメチェンもしたし、せめて今度は職場ではない人とやり取り出来るようになりたい。
でも今は仕事と自分の生活を建て直す事に集中していこうと強く思った一日だった。

ケーン
「恋は盲目」というやつだ。好きというフィルターが相手を過剰なまでに何をしてもカッコよく見えたり、可愛く見えたりする。
短所さえもだ。恋に恋しているうちは他の人が、何を言っても無駄だろう。
僕自身、それで失敗をしてきた。その経験があるからこそ、どうしても冷静な目で見てしまう。
年齢を重ねてきたというのもある。
将来性を考えてみた場合、無理だと思う。
恋しているうちは周りが見えなくなり、大切な事に気づかず、結果傷つくのは自分自身だ。
それ自体は経験値として自分にプラスに考えれば問題ない。若いうちは。
年齢がある程度になると、取り返しのつかない傷を負う事になってしまう。
人間不信にもなるだろう。そうならない事を願う。僕の知る、ある女性の話なんだけれど。
好きという気持ちだけでは、幸せになれないことは知っている。本当の愛って別なんだ。
幸せにしたいという気持ちがお互いになければ、もし結婚したとしたとしても、片方がその気持ちを失った瞬間、崩れ落ちてゆく。
相手の全てを受け入れる覚悟と、自分の素をさらけ出しても受け入れてくれる相手じゃなければ上手くいかない気がする。
愛っていろんな形があるから全てではないが。
仮面夫婦も子供にとっては害がなかったり、諦めてお金と割り切って諦めて生きていく事もある。
それが幸せになるのなら……正確には幸せではないが人生は進んでいく。
本当の愛で生きている人達も少なからずいるし、幸せな人たちもいるのも事実だ。
僕は相手を幸せにしたかった。でも方法を間違ったし、自分もダメな事に気づかなかった。
運命の人なんて、僕にいるのだろうか?
そんな風に思いながら朝を迎えつつある。


ケーン
それはそうだろうな。誰がいなくなるのか気になるのは分からなくもない。
僕は正社員だから、早くて9ヶ月、長くても5年で異動してきた。
平均は2年と言われている。だから覚悟は出来ている……もちろん、あらかじめ本人には伝えられているのが、ほとんどなので当日知るのは少数だけれど。
僕は今回は異動はない。また同じ環境で働いていく。新たな社員を迎え入れる側なので、これから教えていくのが大変だな。
プライベートで大きな変化があったので、仕事に集中していける。というか集中するしかない。
季節も移り変わり、新しい社員のいる職場で何をしていけばいいのか考えながら、時は過ぎていくだろう。
そして、また僕が異動する日も必ずやってくる。
どんな辛いことがあっても時は待ってくれない。仕事もどんどんやって来る。
笑って楽しくいければいいな。

ケーン
その経験したことが自分の血となり肉となり、自分を作り上げている。そんな気がする。
育ってきた環境もそうだ。愛されてる生きてきた人間か、愛されてこなかった人間では差が生まれることがある。
愛される事を知っている人間は、愛する事の大切さや思いやりを持つだろう。
愛されてこなかった人間は自己愛が強くなることがある。
もちろん全てに言える訳ではない。愛されてこなかったとしても、思いやりを心に持つ人はいる。
その逆も然りだ。
結局、人は環境や経験から何を学んできたかってことが大切なんだと思う。
人の痛みを知る人は優しい。でも優しすぎれば相手を返って傷つける結果になる事もある。本物の優しさとは、その人のことを思って言ってあげれるかどうかなんだろう。
僕は優しすぎると言われた。違う。自分が傷つくのが嫌だから、優しく振舞っているだけなんだ。
それは優しさなんかじゃない。自分を守っているだけの弱い人間だ。
そんな風に思って、自分を否定した。それも違う。自分を否定してもいけない。自分も許して認めてあげなきゃ。
生きるって難しいな。人を想うって難しいよな。
それでも前を向いて生きていこう。人生に正解は存在しないのだから。

ケーン
僕の仕事だと当たり前な生活なんだ。
中間管理職なんてのに就くと、思うようにはいかないし、人のミスのカバーやクレーム対応やらで忙しい。
自分がどんなに頑張っても早く帰れないことなんて山のようにある。
だから悩んでる余裕もなければ、家族のことを考えている余裕もなかった。だから家族に離れられてしまったのかもな。なんてネガティブ思考にとらわれていても仕方がない。やれることを全力でやるだけだ。
困難を乗り越えて人として、もっと成長したい。さてと。仮眠取ってから仕事でもやりますか。

ケーン
あの子の傍にいることさえできない。この手で抱きしめてやることもできない。あの子を想う気持ちは絶対に負けないって胸を張って言えるのに。
だからこそ、僕は会えない寂しさで泣いたりしない。落ち込みもしない。必ず僕が次男を迎えに行けるその日まで、仕事も生活も一所懸命に立ち向かってやる。強い父ちゃんになって、お前を迎えに行くからな。それまで僕は負けないから。
信じる強い心があれば、上を向いて涙なんて堪えてやる。
いろんな思いを抱いて、生きてる人はたくさんいる。僕がここで心が折れてしまえば、人を助けるとか言えないから。
心にどんな傷を負ったとしても、それを抱えて前に前に這いつくばってでも生き抜いてみせる。
自分に言い聞かせるんだ。負けない。諦めないと。
父ちゃんってのは強くなきゃな。だから、お前も負けるなよ。何かあったら、この身がどうなろうと駆けつけてやるから。

ケーン
孤独感が心に湧いてきて、少しだけ辛くなった。寂しくなった。いや、1人じゃないのは頭では分かっている……はずだ。
たくさんの人達に支えられてる。心配してくれてる。助けてくれる。甘えちゃいけないのも分かっている。
分かっている?僕は本当に理解しているのだろうか。ただ流されているだけなんじゃないだろうか?
ふと、そんな事を感じてしまった。前に進むってことは自分の中にあるものを、信じて歩んでいくことなんだ。それが揺らいでしまったのかもしれない。
そう、誰だって抱えている心の闇の部分に触れてしまったせいかもしれないな。静かな夜だ。当然だ。今ここには僕しかいないのだから。
「辛いゲームは終わりにしていい」って言ってくれた人がいた。それは今も僕の心の中にずっと残っている。
世界を救う勇者ではないけれど、この人生の主人公は紛れもなく僕だ。迷って、つまづいて、それでも立ち上がって、前だけ見て生きよう。
生きている世界は自分の力で変えていけばいい。限界なんて自分で勝手に決めたものだから。
まだまだ、いける!
エンドロールが流れるのは今じゃない。僕の物語はこれからさ。


ケーン
でも行くんだけどね。
話は変わるが、人生を楽しむことに気持ちを持っていくのは本当に難しい。毎日、心が沈むようなことが起きたりするし、急に人から言葉の攻撃があったりする。仕事中はなおさらだ。
休みの日くらいは自由に行きたい。 僕は孤独じゃないし、友達に連絡すれば遊びに行くこともできる。一人暮らしって、こんなに気楽だったんだろうか。好きな時に好きなことが出来て、子供たちはほぼ大人になったし、小学生の子供は元嫁に強制的に連れていかれ、弁護士を代理人にたてて僕からの連絡を防御した…ならば僕は自分の人生を自分のためにだけ謳歌していいということなんだな。子供は元嫁に任せるしかないし、別に放っている訳でもないが、防御されたんじゃ仕方ないしな〜
さて午後から何をして楽しもう。買い物に行って好きな物を見に行こう。急な思いつきで友達を誘うのも申し訳ないし、今日も1人で自由行動でいこう。毎日が楽しいな。元嫁も自分から子供を育てる覚悟でいるみたいだし。
僕は僕で楽しくいこう!

ケーン
そんな人生では、人は強くなれない。困難があって辛く苦しい事を乗り越えて人は強くなり、人の痛みを知り優しくなれる。
皮肉な話だ。平凡でもお金が最低限あって、そこそこ楽しみもあって、ただ流れてゆく時の中で生きたいと願っていた時もあった。
……だけど、今の方がいいと感じている。何故だろう。生きているって実感と生きていかなきゃって強い気持ちが心の中にある。
きっと平凡な人生では手に入れることさえ、なかった思い。
この物語の主人公は僕だ。そうなんだよな。

ケーン
本人に悪気はないのかもしれないが、明らかに僕は比べられたんだなって感じた。
では僕はダメダメですね。って返信したが、それに対する答えはなかった。僕は人とのコミュニケーションを大切にしていて、仕事とは関係ない話もしながら楽しく人との関係作りを心がけている。もちろん、仕事の話もするが。
人の評判や顔色をうかがいながら、自分を作って仕事はしたくない。僕は僕で○○さんとは別人だ。当たり前だし、そんな事を気にしていては自分ではなくなる。
僕は僕の信念の元、人に見下されようが与えられた仕事はこなしているつもりだ。確かに○○さんは僕より先輩で経験も知識も豊富だ。
だから何だと言うんだろう。確かに人によっては僕はよく無駄話をして、うるさいと思われて評判も悪いのかもしれない…それが何か意味のあることだろうか?
僕は話をする事で、相手を知ることを心がけている。ちょっとした言葉も癖も見ながら相手の事を考えている。それは何かあった時や仕事をお願いする時のために。
何度も言うが、僕は僕の仕事しかできない。そして、その先を目指している。これからもスタイルを変えるつもりもない。だから気にせずに今までのまま仕事をしようと思った日だった。

ケーン
…今日は仕事に行きたくないなって思うほどだった。ずっと前向きで元気で楽しい毎日なんてありえない。自分だって落ち込む日もある。弱気になる時もある。
1人で暮らしていて寂しくないわけがないし、子供に会えなくて辛くないわけがない。この気持ちをずっと抱えてまま生きている。携帯に残っている子供の写真を目にする事ができない。何かの拍子にチラッと目にしただけで、心がズキズキと痛む。誰だって癒えない傷は抱えているものだ。だからこそ、痛みを知る者だからこそ他者の痛みを理解できる。想像ではなく、痛みを実感できる。
職場や周りに、その痛みを理解出来ずに平気で自分の感情を剥き出しにして傷つけてくる愚かな人間がいるのも事実だ。
何故、人の痛みを理解して優しくできないのか。それは痛みを知らないからだ。可哀想にさえ思う。もしくはその人が持って生まれたものだったり生きてきた環境のせいなのだろうな。
生きていくとは何なのか。永遠のテーマでもある。今日も癒えない痛みを抱えたまま前に進む。それでも希望を捨てず、その先にある未来を信じて。

ケーン
人はいくつになっても成長できるって思っている。よく年齢を重ねても何も変わらない人もいるし、何故そんな風にしか思えないのだろうと思ってしまう。
そのためには自分を常に見つめ直していかなくてはいけないし、言い聞かせなくては行けない。
性格は変えられないが、その性格をいい方向に持っていくことはできる。自分の長所を伸ばしていけばいいだけの話だ。
だから人には優しく自分には厳しくというのが僕の生き方の考えだ。
楽しく生きて幸せにもなりたい。でも、それは自分にだけ向けてはいけない。人を思う気持ちが大切なんだ。見返りなんて当然いらない。そんなものは己のエゴだ。だから、これからも人の気持ちを考えていこう。

ケーン
自分が歩んできた道は後ろにできている。だが振り返るつもりも戻るつもりもない。困った人や苦しんでいる人がいると放っておけない性格は変わらない。僕は余計なおせっかいを、そのせいでしてしまい逆に相手に嫌な思いをさせてしまった経験がある。
人を助けてあげようなんて傲慢だ。自分のどこに、そんな力があるというんだ。そう自嘲しながら今も迷い続けている。どんなに優しい言葉やかっこいい言葉を言ったところで、その人を救うことはできない。本当の意味で人を救う、いや助けるとは何なのか、今も自問自答して生きている。
今頃、あの人はどうしているだろうか?今も辛い思いをしているんじゃないだろうか?と想いを馳せても、その人には伝わらないし意味もない。
聞いてあげるだけでも違うのかもしれないが。
これからも迷いながら進んでいくんだろうな。何が本当なのかを。

ケーン
世界のみんなが心が強いわけじゃない。特に優しい人は。優しい人は他者を思いやれる素敵な心の持ち主だ。だからこそ傷つけられてしまうのも事実ある。心ない人たちにだ。本当に理不尽な世界だ。
僕は、そんな人達が幸せになれるのが理想の世界なんだって思う。でも実際は違う。
優しさにつけ込んで騙してくる人もいれば、傲慢に傷つけてくる。許せない。何故、優しく大切な人達のために尽くせる人を傷つけるのか。
そんな人達を何人も目にしてきた。救おうともした。だけど出来なかった事もたくさんある。
自分もたくさん傷ついた。傷つけた事もある。その繰り返しの中でも歩んでいかなくてはいけないのが人生だ。道なき道を進み、道を作って進んでいくしかない。
大切な人達のいる優しい人が、少しでも救われるように手の届く範囲でも助けたい。僕の力は微力だ。だからって諦めるわけにはいかない。
まずは手を差し伸べよう。差し伸べた手を引っ込めるつもりはない。その人がいつか幸せを感じれる瞬間に僕はいたい。それが僕の願いであり祈りだ。
同じ傷を背負った人にしか、相手の痛みを知ることはできない。想像では所詮は相手の痛みを知ることはできない。共感しただけではダメなんだ。相手の気持ちに寄り添って、その痛みを知らなければ。真の意味で人を救うことの大切さを求めて、僕は進む。自分の傷も背負ったままで。

ケーン
だからこそ喜び、怒り、哀しみ、楽しいと思う。
一時の感情に身を任せて、突っ走るのは駄目だと言い聞かせていたが、それも時にはいいのかもなとふと思った。
僕には全く縁のないバレンタインデーが近い。
その日に結ばれる人達も少なからずいるだろう。
誰かを好きになって、でも機会がなくて伝えれなかった気持ち。それを伝えるのには絶好の日だ。
この歳になって、僕には、そんな機会はないが誰かにとっては忘れられない日になるかもしれない。気持ちが伝わる人もいれば届かない人もいるだろう。でも、その気持ちは絶対に無駄では無い。
人を好きになって気持ちを伝えようとする、その行動はとても暖かく尊いとさえ思う。
多くの人達の想いが届くといいな。僕には本当に縁もないが。
そう感じて、きっと僕は何かに期待している自分がいる事に気づく。本当の気持ちに蓋をして生きていくよりも、その気持ちを抱えて忘れず生きていこう。たとえ相手に届かなくても。
バレンタインデー。その日がどうか多くの喜びに満ちた日でありますように。

ケーン
自分の投稿を見ていると、同じようなことを思っているのが、よく分かる。
それはそうか。人の考えや気持ちなんて急に変わるわけもない。ずっと自分に呪文のように言い聞かせながら必死に耐えているんだな。
どこかでい気を抜いてもいいのかもな。今頃、僕が大切に思っている人や友人達は何をしているだろうか?同じ毎日を送っているのか、何か起きているのだろうか?
連絡したいな。でも…
今は自分の事で精一杯だ。正直、誰かを救える力なんて正義のヒーローでもあるまいし、あるわけがない。自分をまずしっかりと見つめていかなければ。さて仕事に行こう。もうこんな時間だしな。

ケーン
僕はそう思う。
自分よりも人の幸せを願い、他者のために尽くせる、そんな自分であり続けたい。
自分の気持ちを犠牲にするんじゃない。自分の心を幸せで満たすために行くんだ。
僕は品行方正な人間でも正義感の強い人間でも優しい人間でもない。
どこかで悲しみ怒り、甘ったれた人間だ。だからこそ自分に言い聞かせて生きていく。
その繰り返しこそが、僕の生き方だから。誰かを想い好きになることもあるし、でも届かない事なんて山のようにある。
それは会えない子供だったり、好きになった女性の事だったりもする。
その気持ちを抱えて、傷ついたまま、それでも前に進まなきゃいけない。
その先に、どんな未来が待ち受けていようとも。

ケーン
避けて別な道を進んだ方が正解の時もある。何も辛いのが分かっていて立ち向かうのが全てではない。
壁を乗り越えた人は強さを手に入れる。逆に避けた人はそれを避けることで別な生き方を見つける事ができる。
上手くいった人も失敗した人も、そこから学び次に生かせるかどうかって事なんだと思う。
人生は自分で決めるものだ。誰かに決めてもらうものじゃない。中には自分で決めれない人もいるが、それはそれでいい。
何が言いたいのかと言うと、人生は何が本当の正解なのか進んでみなければ分からないってことだ。壁を越えようとして乗り越えれなければ、辛く苦しいことが待っているだろう。
人生とは己との戦いの連続だ。常に自分対自分なんだ。
たとえ誰かに傷つけられようと自分を強く持っていれば、必ず乗り越えられるはずだ。
信じよう、自分を。大切にしよう。今日も自分に問いかけながら進む。僕はそれを選択した。

ケーン
何事もなく平穏な日々だった。でも忘れた頃に困難はやってくるものだ。
いつでも心の準備をしておかないとな。常に自分を戒めていかなければ、人は日常の中で大切な事を忘れてしまうものだ。流されて何となく生きていくのが悪いとは思わないし、ここ穏やかな毎日を過ごしているのなら、それでいい。
でも僕はそう思わない。
常に自分に言い聞かせないと、すぐに弱くなってしまう気がして。
人には優しく思いやりを持つ。嘘はつかない。
信じくれた人は絶対に裏切らない。そして何があっても諦めない。負けない。自分に言い聞かせ続けている。まして誰かを恨んだり、憎むなんて絶対にあってはならない。
これは自分の価値観で、人に押し付けるものでも語るものでもない。己の心の中だけでいいんだ。
…なんて1人でいる部屋で文字を打っている。静かな夜だな、今日も。いつか、きっといつか会うかもしれない大切な人達を僕は思いつつ、今日を終わろうと思った。

ケーン
ついでに雪まつりを見に行こうって話になって、ライトアップにあわせて行ってきた。
買い物もたくさんしてきた。少しお金を使いすぎてしまったが、楽しかったから、たまにはいいかもしれないな。
楽しんで生きてこうって決めてから、いろんなことをしている。何かを忘れたくて、行くんじゃなくて全部の気持ちを持ったままで。
それだけに元嫁は目の前に事を楽しめて生きていけてるのかなって思う。僕を信じれないのは分かる。それに子供と暮らしてる元嫁が困っているなら、いつだって助けに行くにのに。
もう元に戻るつもりはない。お互いの道を歩んでいる以上は、僕は僕の道を行くだけだ。
心が妬みや嫉妬、恨みに取り憑かれた人間は相手を苦しめることを考え、痛めつけようとする。それの何がいいんだろう。
僕はお互いが幸せになれるのなら、相手の事なんて、どうでもいい。人の不幸を願う人間なんかなりたくない。
…昨日は心から楽しかった。1人じゃなかったし、一緒に誰かといる幸せを感じていた。
今日は家でのんびり過ごそう。昨日は遊び疲れたしな。




ケーン
理由はどうして元嫁は僕に関わり続けようとするのか、まるで私の存在を忘れないで、と言っているのではないかとさえ思ってしまう。
自分は忘れようとして、実際忘れかけて自分の生活を立て直そうと頑張っていたところだったのに。こどものちょっかいを出しているのと変わらないなと情けなくさえ感じた。
たとえ向こうの主張が通ったとしても相手のメリットは何もなく満たされることもない。
愛が憎しみに変わった時、人は狂う。狂ったことさえ気づかずに。そんなものは持っても意味はない。ただ自分のこと、子供の幸せのために、そっちの方にそのエネルギーを向ければ必ず辿り着けた幸せをふいにしてもいいつもりなんだろう。
悲しいな。子供を自分の所有物とでも勘違いしてるのではないか。僕にだって子供に会う権利はあるのに、相手のことを考えて我慢していたのにな。どうなるのかは本当に分からないが、子供が毎日楽しく過ごして成長していくように母としてもっと成長してほしかった。

ケーン
そんな生き方は悲しいなって思う。僕は自分が優しいとかではなく、甘い人間なんだとつくづく思った。いろんな事をされても人を許してしまう。どうしても人を憎むってのができないらしい。元嫁の嫌がらせのような事さえも相手の気持ちを考えると怒りよりも悲しいなと思うし、怒りの感情が湧いてこない。ただ、自分を憎んだりすることよりも、子供の事を考えて決して楽な生活はしていないけれど、大好きなワンコと子供に囲まれていれば、多少の貧しさなど大切ものがあるのなら何でもない…はずだ。
それなのに僕に弁護士からの手紙を送って一方的な要求をしてきたり、そんなに僕が憎いのか。僕が1人で楽しく生きているとでも思っているのか。僕だって、辛い事は毎日ある。意味もなく落ち込むことだってある。歯を食いしばりながら耐えて生きているのにな。
どうか子供と幸せな生活を送ってほしい。恨みや憎しみなんか捨てて、楽しさを見つけて幸せになってほしい。そう願わずにはいられなかった。

ケーン
このレを見失ってまで、一緒に暮らしている子供にまで悪影響を及ぼす可能性がある事を理解出来ているのか?
養育費を請求したところで生活保護費から差し引かれるだけでメリットはひとつもない。
ならば考えていることは恨みから来る嫌がらせだ。…意味がない。時間をかけて手に入れても生活が楽になる事もない。
そんな事よりも子供とワンコの生活を軌道に乗せて幸せに暮らすために努力する方が恨みを僕にぶつけるエネルギーを使うより、よほど建設的かつ幸福への道を歩めるのにな。
元嫁の代理人の弁護士と話して、言いたい事は言った。あとはどう相手が手でくるのか待つだけだ。

ケーン
自分のした事を忘れてしまったのだろうか?
自分の要求が全て通ると思ってしまったのだろうか?
それはきっと、離婚した後の生活が自分にとって苦痛になり続け、その恨みと僕が1人で悠々自適に暮らしている事に嫉妬心、つまり僕のせいで自分は苦しい生活をさせられていると考えたのだろうな。
夫婦でいた時に、炊事洗濯掃除をしていなかった元嫁の影響で借金ができ、今も払い続けている事や今もゴミ屋敷の過酷な環境の中で、1人で片付けながら生きているので、正直に悠々自適とは言い難い生活を僕はしている。何とか1人で生きていくには問題ないのだが。
人は妬みや嫉妬に取り憑かれると、己を見失う。何が正しいのかさえ忘れ、自分が相手にしてきた事さえ棚に上げてもだ。
相手に攻撃をするという事は、相手も攻撃してくる事も考えているのだろうか。
この時が来たら困ると思ったので、あらゆる証拠は持っている。使いたくはなかった。静かに時が過ぎればいいなと内心、思っていた。
元嫁のところにいる息子に悪影響を及ぼしたくなかったからだ。
でもこうなった以上は、僕も防御しながら攻撃しなくてはいけない。結果は分からない。でも元嫁はただではすまないだろう。
世の中は理不尽だが、事実がねじ曲がることはない。
その事実を嘘偽りなく、明かしていくことで事態は変わる。元嫁の主張は、僕のせいで住むところを追われ、ワンコ2匹を飼わざるを得ない状況に追い込まれたので金をくれといったところだ。
自分から逃げるように家を出て、ワンコ好きの元嫁が自分からワンコ2匹を連れていき、発達障害の息子をたてに生活保護を受けて生きているだけだ。家にある必要な物は全部持っていった。別にそれに対して自分が抵抗したりはしなかった。
僕は身勝手ともいえる元嫁に怒りよりも可哀想と感じる。それしか彼女には生きる理由がなくなっているのだろう。長年、夫婦をしてきたから彼女の考えは分かる。いつも人のせい、環境のせいにして言い訳ばかりしていたのを今更ながらに、哀れにも思う。
さて本当にどこまでしていいものか。元嫁を追い詰める事にもなるだろう。下手をすると生活保護さえ不正受給になるかもしれない。
さて真正面から立ち向かっていくか。

ケーン
①子供が25歳になるまで養育費を払うこと。
②別居してからの養育費と元嫁が他の子供達から生活費のために借りたお金を返すこと。
③ワンコ2匹を飼わざるを得ない状況に元嫁がなったので飼育費を負担すること。
以上だ。これはなんだ?確かに離婚だって最初に言ったのは自分だし、出ていけと叫んだのもある。でも結果、その後もしばらくは家で生活していたし、勝手に全財産を持っていなくなったのは元嫁で、家もゴミ屋敷のままにだ。
ワンコも引き取るって言って連れていったのも元嫁。意味が分からない。こうなってしまったら争わなくてはいけなくなる。元嫁のしてきた事、生活保護を受けようと嘘をついたかもしれない事。
子供の学校に元嫁が何かを言ったこと。
全て証拠も万が一のために残してある。このまま、お互い生活していれば静かに過ごせたのに全てを明らかにしなくてはいけない。
……僕に対する恨みだろうな。自分が正しいと思い込んでしまったのだろう。
もう人として見れなくなってしまった。気になるのは元嫁と暮らしている子供の事だ。影響がでなければいいが。

ケーン
これが正しい生き方だなんてものは存在しないかもしれない。答えの見つからない問題と一緒だ。
でも答えを探し続ける人生なんてのも悪くないな。
人生の終わりにしか、本当の意味でのその人の答えには辿り着けないのかもしれない。
探究心と冒険心、僕はそのことを心に刻みつけて生きていこうと思う。
志半ばで僕の人生が終わろうとも、その心は誰かの心に残ってくれるだろうと信じて。

ケーン
…何とか、ここまで来れたんだな。まだまだ走り続けるのは変わらないが、ふと思った。
1人では来れなかった。忘れてはいけない。
背中を押されて時には支えてもらって、たくさんの優しさに囲まれて、運がいいだけなのかもしれない。
でも、こんなものじゃない。過ぎていく時と季節と景色の中で、自分は何を見て何をするべきなのか。
一生その問いかけの中で生きていくに違いなかった。答えは今はない。
答えが見つかるのは、いつなのかは知らない。
でも問いかけ続けよう。その答えにたどり着くまで。

ケーン
別に意味のある数字ではないが、あと1kmで
3万6000kmか。
随分とこの車とも走り続けてきたんだな。相棒のような愛着すら湧いてくる。
僕も暇なんだな、こんなことで思いにふけるとは。人生で言えば、まだまだ、これからってところか。
今は1人で乗ることも多くなり、大きい車を買わなくて良かったとも。
これからもよろしくな、相棒。もっと、この世界を駆け抜けようぜ。


ケーン
何故かは分からない。ゲームに没頭していたせいかもな。
家族がいなくなった事も、次男と簡単に会えなくなった事も目が覚めて、悪い夢を見たな、なんて。
……そんな事はありえないし、今の状況は間違いなく現実だ。現実逃避してるよなって自分で苦笑いをして、あの日々は苦しかったけれど家族に囲まれてただけ幸せだったのかな?
いや、あのままで今に来ていれば、もっと辛かったに違いない。仕事も生活も全て失っていた可能性が高いよな。
後ろを振り返れば、子供がいるんじゃないかって思って泣きそうになった。感傷に浸ってる場合じゃない。現実と向き合って前に進まなくては。
どうも弱気になっているみたいだ。そんな時もある。生きているからこそ、心は動くんだ。
これからの事は、前向きに考えていこう。この世界は僕だけの世界じゃない。
もっと多くの人と関わって、学び助け合わなければ。
そんな風に思ったひとときだった。

ケーン
いつもより2時間ほど早く起きて準備。
さて、昨日早く寝たせいか眠くはない。毎日いろいろ仕事はあるけれど、今日もまずは頑張っていこう。