
ハ月
#小説のなかの好きな一節
#INTP
読書

ハ月
女というのは、秘密を守れない。というより守るのが性格的にいやなのだ。しゃべらせられた、という形で告白するのが好きなのだ。女の告白衝動というものは矯めがたい本性の一つである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
別れることにきめてから、わたしは一そう彼が好きになった。こっちは別れると思っているのにそれを向うが知らないというのはたまらずいい気持である。おまけに、いやで別れるんじゃなくて、好きでたまらないのに別れるなんて、たとえようもなくいい気持である。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
花というものは、女が抱いて美しいものではなく、男が持って美しく活きてくるのである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
自己愛のない女、なんて匂いのない花のようなもんだもの。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「女は冗談にみせかけて本音を吐くことがあんがい多いものよ。本音か冗談かわからないような本音の冗談をいうのが上手なのよ」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
花の名前を覚えるように、沢山のひとを好きになりたかったです。部屋に飾る花のように、必要とされたかったです。
「詩としての遺書」輪湖『うそ 特集AKU』

ハ月
何か一つ自分を成り立たせるものがあるとそれ以外が付属品みたいに大したことじゃなくなるんではないか、そうしたら生きていけるかもと思ったのだ。
「嘘の成仏日記🙏~学校では書けなかった正直日記~」小橋陽介『うそ 特集AKU』

ハ月
勇気がなく本当のことを言えないし人に嘘もつけないショボいぼくは自分に嘘をつく。
「嘘の成仏日記🙏~学校では書けなかった正直日記~」小橋陽介『うそ 特集AKU』

ハ月
本当のことを言ってもなんだかありふれた言葉になってしまうし、本当のことを言うべき理由などないかもしれないが、本当のことを言うと心が少し楽になります。
オエエエ。
「吐き気の経緯 宇治田峻」『うそ 特集AKU』

ハ月
本当のことを言わなくなっていくうちに、だんだん本当のことがわからなくなっていった。
「吐き気の経緯 宇治田峻」『うそ 特集AKU』

ハ月
嘘というものはつくための理由がある。けれども本当のことを言う理由はわからない。
「吐き気の経緯 宇治田峻」『うそ 特集AKU』

ハ月
「何をって、女は何をほめられたいですか?ひそかに女が自慢してるものを見抜くのは男の仕事ですよ。それが見抜けん男には、女をくどく資格おまへんよ」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
男と女の仲、長く続かせようと思うなら、会うたびに、いつ寝てもいい、というような、ふわふわした、やわらかい、やさしい気分でいなければダメなのである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「愛の反対はなんだと思う?」
「無関心でしょう」
「いや、軽蔑だ。軽蔑したらそこで一切の関係はたちきられてしまうんだ。無関心は尊敬の反対だよ」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
昔の男で、しかも、いまも厭味でない男というのはいい、と思ってた。昔、寝たではありませんか、といいたそうに思わせぶりな目くばせする奴や、昔のことを武器にしてのしかかってくるのは、これは厭味な男である。
でも、自分もちゃんと、自分の人生で仕事をしてて、偶然、昔仲よくした女にあう、そんなとき、心から嬉しそうにする男って、私は好きだ。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
煙草は、一人でいる人のためのものだった。
仲よしの二人がいるとき、煙草を吸うのは私には裏切りに思われた。煙草がもたらす悦楽は自分一人のもので、他人を拒否するからである。
お酒はちがう。
お酒は、二人で飲んで、二人とも酔うからかえって二人をむすびつけるところがある。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
そもそも男という者は女の自慢を笑ってきき流せる人でないと困る。女の鼻を折ろう折ろう、としている男なんか、女が好きになれないのは、あたり前である。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
すべての男がそうだというのでないけれど、舟子の思うのに、「男は美人に似ている」のである。どちらも、人をへりくだらせて、あたり前だと思っている。人が自分にかしずくのが当然みたいな気でいるらしい。そういう気分が、におってくる。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
女は昔の男が忘れられない、なんてまちがいだらけの神話で、絶対そんなことはない。あとの男ほどよく見え、あとほどよくおぼえているものである。
というより、女は、そのときそのときの一瞬がいちばんよく思えるのだ。そして、あとのができると、前のはみな、色褪せ、青ざめてしまう。気の毒だけど。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
私に惚れている男の子が、いまはいないけど晩に帰ってくる、それまでの孤独、というのが好き。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
男が女に持つ感情は、たいてい下心、で表現する方ぴったりくるのは、ふしぎである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
男というものは、女のようにそめそめとツツヌケに暴露したりしないかわり、チラリズムがあって、知ってるぞ、オレは知ってるんだが、言わないぞ、と匂わせるのが好きである。
だから、ちょっぴり、手もとが狂ってこぼれたように漏らす。そしてあと、口をつぐむ。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
男は自分の言葉に、自分で傷ついてよけい煽られる種族である。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
女というものは自然現象と同じで、責めたり詰ったりするものではない。誰か、地震や台風を責めたり非難したりするものがあろうか、人間がうまく避けるべきなのだ。それと同じで、女は責めるべきではない、男が避けたり譲ったりすべき存在なのである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
相手が返事に困るような質問をするのは、男と女のツキアイの中ではルール違反なのである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
本音をきいたらその場ですぐ忘れるがいいのであるが、本意ほど後遺症が烈しく、即座に忘れることはできないのが、人間の悲しさである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「本音というのは、だまっているから本音なんですよ。しゃべるとタテマエになってしまうわよ」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
人間と人間のかかわりには具体的なことなど、何ひとつ必要でないのだ。大事なことは、
(何となく、ばくぜんと)
ということであり、
(カンとしてはそんな感じ)
というものであるのだ。

ハ月
ウソをつく方が正直により近いこともある。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
お世辞は最高の文化である。ことに女へのお世辞は。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
女にとって最良の友は(いや、友の一人は)、男ではないかと、私にも思えるのである。ただし、その男は、友人であると共に男の要素もある、まかりまちがうと恋人に擬せられるべき好みの男で、それを友人にとどめておく楽しみは格別のものなのである。それには友人として存在価値のあるような、識見や学殖や人柄や趣味や生活や……そういうものを備えていてくれなくてはならない。男と友の二つながらを具備してあやうい均衡の上に、からくも保たれている、心のふるえるような存在こそ、好もしい友である。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「こうして会ってて、僕もたのしい。あなたもたのしい。それで、いいじゃないですか?会うだけでたのしいなんて……そんな、珍しい、いい人間関係が……あると思いますか、現代に?」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
人間はひとりでものをたべるとき、自然に哲学的な顔になっているものである。それは、ものをたべるという作業は、孤独とむすびつくと、おのれの中へふかく還る作業だからである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
一人というのは淋しいものなんですね。気らく、ということは、淋しい、ということなんです。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
女が死のことを語るとき、もっとも生にみちあふれ、男が生について語るとき、もっとも死に近しいような気がされるのはなぜだろうか。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
私にいわせれば、人を責めるのは想像力がないからである。責めるのは何かの確信があるからで、確信と想像力は相反するものである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「人を責めることが大好きな人があるね、正義の味方の中には」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
「単純な方が、人間は上等や。複雑は頭が悪うて、下等なことです。複雑にせんでもすむことを複雑にするのは、バカやからです」
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
私は、男でも女でも、一瞬、心を奪われる、というさまを見せる人がとても好きだった。
またいえば、単純なことに心を奪われる人ほど、好きだった。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
噂というのは「あの人なら、さもありそうなことだ」と思わせる雰囲気をもっていれば成功で、その出来具合に感心するのも噂のたのしみである。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
私は、一夜あけると、という言葉が大好き。いっぺんに世界観が引っくり返るところがある。
『苦味を少々』田辺聖子

ハ月
実人生では、われわれは決して時間の外には出られない。
解説 ──もう一度読む 辻原登(『わたしがいなかった街で』柴崎友香)

ハ月
一人で姿勢正しく歩いて行くうしろ姿を、やっぱり時代を間違えて現れた人みたいに思った。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
花火にキャーキャー騒ぐ自分たちの声は確かに心からのものだったが、単純に楽しい気持ちと、なにか真似しているだけのような気持ちが、同時にあった。
(中略)
……自分たちの世界にあるものは、誰かがすでに作って手軽に楽しめるように用意されているもので、それらに触れるとそれなりに感動したり喜んだりして、でもその感じは長続きしない。そうしてまた誰かがいいと言っているものを確かめに行くことを繰り返すだけなんだけど、でも、今のこの楽しさは嘘でもない。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
起こらなかったことについて考えるのは、難しい。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
会えるかもしれない、と、わたしは思い続けることができる。会わなかった年月の分、年を取った彼らと。たぶんそれが、生きてる人と死んだ人の違うところ。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
大半の人とは、会わないまま死んでいく。連絡を取ることも噂を聞くこともなく、中には知らないうちにほんとうに死んでしまう人もいる。だとしたら、会うことがない人と、死んでしまった人と、どこが違うのか。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
ほんとうは、あんなふうに、毎日毎日が、二度と会わない人との別れでいっぱいだ。
『わたしがいなかった街で』柴崎友香

ハ月
やんわり
ゆったり
よいように
言葉少なに かたる行
『ゆった凛とあかさたな』おだやすこ