人間関係で色々と悩むことが多かった。なんでこの人は毎回ネガティブな話題から始まるんだろう、否定から始まるんだろうとかそんな物。話題反らしたり軽く指摘してみたけど自覚ないようであまり意味がなかった。私もその人と会うことがおっくうになる。今までは持ち上げたり良いとこ肯定し続けてたら変わるかなと思ったけど、もう諦めた。何もしてあげないし、少し離れておく。表面的に合わせたふりしてすぐ離れる。まずは自分の心を守ること優先だね
ココスの朝食バイキング行けたし、ニトリで布団カバー類一式買い替えることが出来た。昔職場の人からもらった手紙も捨てることが出来た。(後々ギクシャクしてすれ違うことも多く付き合いもないから)ちゃんと私も前を向こう。
今年は人に恵まれたので自分に合う人、合わない人がよくわかるようになった。私は嫌なことがあっても跳ね返す強さのある人が好き。前向く力がある人が好き。ある程度人と話してるとその人がどちらのタイプかわかってくるから、それで徐々に合わない人とはフェードアウトでいいなと思った。
今までプライベートでも仕事でも基本的にクセある人が多かった。私を人として大事にしないどころか一番たちが悪いのが優しいふりして貶したり見下す人も多かった。でもそれが普通だと思ってた。あまりにも人の善意に付け込んで罪悪感煽って脅す人が多かったから。だからこそ、真逆な人に出会ってみると視界が一気に開けて新しい穏やかな風が身体中に入り込んでくるような優しい感じがした。
10年ほど仲良かった人の人格が変化したことについてずっと疑問を引きずっていた。精神疾患や発達と診断されていたので治療が落ち着けば治らなくてもそれなりに波は落ち着いたと思っていたけど、実際肝心なことを見落としていたのかもしれない。時々スピリチュアルとか占いとかカルトの話も出てたし、占いも足繁く通っていた。本人は楽しそうにしてたので遊び屋暇つぶし感覚だろうと思っていた。でもカルトにハマる人について調べたら人格変容や会話の不成立や心理的操作など、いくつか当てはまり納得できる…。事実を事実と認めず歪んだ妄想を現実と思い込むところもあり、初めは冗談だと思ってたけど、引き止めても聞く耳もたなかった。当時はなんとなく危ない思いながら、私も周りの知人数人に相談してたんだけど、そりゃ人格変容するよね。ダブルマインドや共依存も肯定して疑わないし、リスクを伝えても聞かなかい。私も引き込もうとするし最後まで謝るふりして従わせようとするよね。そう思うと全てに納得するんだ。それなら助けてあげられなくて当然だなと。仕事で支援したり、勉強したくて受験しても助けてあげられない。止めた上で選んだのなら本人の責任だし、本人が気づいて抜け出したい、やめたいと思わない限り周りがいくら言っても仕方ない。腑に落ちた。できること全部した上でそちらを選んだのならもう何も出来ない。わかったからもういいや。
ETVOSの美容部員さんと会話してからETVOSファンになった。今まではデパコスはなんだか良くわからないけど使ってると気分も良いし自慢できる気がしてた。もちろん私が知らないだけでデパコスの良さは他に数々あると思うけど単に種類も多くて覚えきれないので知ることを諦めただけ。少しずつ興味持てたらいいな
国税庁のe-taxから確定申告したけど、こんな簡単なの?!数年前は専用の読み取り機械が必要だったので、すべて手書きで計算も自分で調べて書類を郵送しなきゃいけなかったんだけど、めちゃくちゃ簡単すぎて感激😭
たまたま鉄鍋がセールで売ってたのね。メーカーがよくわからなかったけど錆びなくて油慣らしもしなくていいみたい。使うの楽しみすぎて、使えてない[ほっとする]使ってみたかった柔軟剤ビーズも買ってみたけどまだ試せてないし、買った本もまだ全部読みきれてなくて溜まっていく[ほっとする]
職場の人に仕事辞めること伝えたらやめて何すんの?と言われたけど深入りされたくないから家庭の事情って言ってるんだけどさ、しつこく聞かれすぎて、逆になんで知りたいの?教えないといけないの?と言ってしまいそう。職場の人間関係は友達ではないんさ。
昨夜自転車で道を走っていたら横から自転車きてたので、避けるように走ったのに相手方は減速することなくぶつかってきたのね。相手は中学生で受け身を取るために自転車倒して地面に尻もちついてたんだよ。思わず大丈夫ですか?と声かけたけどあとから冷静になったとき、私がぶつけられたんだよな…と。なんで私が謝ったのだ…大人の対応したということでえらいってことにしとこ。
人生の中できついことがあっても踏ん張って歯を食いしばって生きてる人の話聞くと元気出る。シンプルに生きるためっていうのもわかるんだけど、一緒に乗り越えようとしてるところが素敵。必ずそういう時足元すくう人や貶す人も現れるんだけど、騙されないようにみんなで声かけあったりしてる心の温かさがかっこいいよね。
人生って見方次第で本当に意味付けが大きく変わるね。私は憧れの人に近づきたくて頑張っても批判的な人はいるけど、そこでいちいち立ち止まってはいけないし立ち止まらせてくる人がいい人な訳が無いと多くの人に教えてもらえた気がする。相手には相手の信条や前提があれどそこを理解したところで私の信条や前提に置き換わることはないし、違う人間だからこそ私は私として分けて良い。それは事実だから優しいフリして捻じ曲げたところで相手がなぜ私の言うこと聞かないの?と同意や同調を求めてきたところでそこに頷くことが優しさではない。それで相手が傷ついたとしても傷つくとわかってうわべの返事することも相手のためにならない。そこまでいい切れるのって人生経験豊富だからだと思うし、きちんと自分の経験や感性を信じて行動できてきたからだと感じた。やっぱね、ダサい大人にはなりたくなかったのに今の私は他人に気を使ってばかりで時に言わなきゃいけないことでも本音いえずに嫌われたくなくて逃げてた。まだまだ沢山失敗したりしながらかっこいい大人になりたいなぁ
振り返ると病気の人のケアばかりしてきた自分の人生に納得するためケアする人を目指してきた。それなのに私の方が救われたり、俯瞰的に物事の側面を捉え直すことができるようになり支援の仕事するのをやめようとも想い始めてきてる。プライベートでも支援の仕事してるなんてうっかり話せば無償の支援を求める人が集まり要求されてばかりだった。それをようやく断れるようになったのは最近のこと。私も人だから仕事以外は休まないとおかしくなる。自己犠牲なんかで務まるような仕事でもないしボランティアもする余裕もない。それなのに文句も言われてきたけどもうこんな人生うんざりだ。私は私のために生きたい。口を開けば否定ばかりしてくる人にもうんざりだ。私は私の幸せを願って喜んでくれる人のために生きていきたい。だからいい人やめよう自由に生きるためにがんばってやる。