ルアーロッドのドラグ値に書いてある「45°」てどこの45°だよって思ってたんだけど、別件でスミスに問い合わせたら、グリップを水平から上方に45°立てた状態とのことだった。電話ですぐ答えてくれるスミス好き。
以前「出産は命がけか」という投稿をしたところ一部の人の逆鱗に触れたんだけど、改めて数値を調べてみると以下の通り。---------------------日本の妊産婦死亡人数は、2022年の記録で10万件中4.1人、2021年は2.5人。こちらはアメリカのデータ。従事者10万人あたりの死亡人数。平均的な業務:3.3鉱山作業員など:46戦闘機などのパイロット:70樹木の伐採:111---------------------で、ここで数値無視で怒り狂うのはやめてほしいんだけど、それ以上に「妊娠・出産」が尊い理由として「命がけ」を挙げるのをやめてほしいんだよね。命がけだから尊いわけではないでしょ。「妊娠・出産」それ自体が尊いのであって、そこに「理由付け」は要らないよ。「出産は命がけ」と声高に言う人自身が、実は「妊娠・出産」それ自体の価値を主張する自信が無いのではないかと思うけどね。
【タチウオの酢洗い】切り身の状態で軽く塩を振って水分を抜いてから、酢でサッと洗う。酢締めの場合はガッツリ塩してガッツリ酢で締める。つまり、その両方をライトにしたのが「酢洗い」刺身と酢締めの中間の味わい。脂の乗った白身でおすすめ。
「学歴なんか関係ない」とは言わない。否、言えない。なぜなら俺は高校中退の低学歴者で、「高学歴の人生」知らないから。ただ、学歴とは関係ない「生きる力」を身につけることは誰にでも可能だし、学校行けないぐらいで人生終わったと思うなら最初からそいつの人生は終わっていると思う。選択肢は無限にある。視野が狭いから見えないだけ。確かに学歴によって職業選択の幅は狭まるが、そもそも「職業選択の幅」が広い方が良いというのが大いなる勘違い。人はどのような条件であれ、捉え方、感じ方、生き方を選択できる。それに比べれば職業の選択など瑣末な問題。職業以前に「私」という人物がそこに在るのであって、職業によって「私」が規定されるわけではない。しかし、多くの人は思考の順序が逆になっている。まず社会があり、社会の中に職業があり、その中の一要素として「私」が存在している。それ故に、学校に行かないことを人生の終わりのように捉える。「子供を大学に行かせなければいけない」という妄想もここから発生している。大切なのは、大学にせよ高校にせよ、「行くこと」ではなく「何のために行くのか」だと気づいた方がいいと思う。
いい歳したおっさんが、子供と話す時は「お外」「ハトさん」「ぶーぶ」など幼児向けの言葉を使うため、普段の仕事中などにそれが出てしまい、最悪の場合は職場で発言する時に「パパは〜」と言ってしまう現象に名前をつけたい。
言葉、物腰、態度、姿勢(身体的と精神的の両方の意味で)…全てにおいて「私は私」を貫くことが重要。すると、「コイツを支配して都合よく扱ってやろう」という人間は自分から離れていく。勝手に離れていくので、こちらから拒絶する必要すら無い。
人生を変えられるのは「行動」だけ。では行動は何によって変わるのか。強い意志ではない。そもそも人間の意志ほどアテにならないモノは無い。重要なのは3つの習慣。・感情習慣・思考習慣・言語習慣人生が上手くいかない人は、自らの感情、思考、言語に支配されている。この三つを自分に都合よく使うことで、行動は自然と変わっていく。だから、人生が変わる。
杉浦さん、「5人目産みたいと思わせた旦那」としてすごいと言われているそうだけど、うちの嫁は4人目ほしいと言っていて、嫁曰く「大丈夫!なんとかなる!」だそうで😅経済的な意味で尻込みしているのは俺の方で、自分の中では精一杯やってるけど、他の旦那衆に比べて殊更に稼いでるとも、家事育児をやってるとも思わないので、どちらかと言えば「5人目産みたい意向を受け止められる旦那」がすごいと思う。