札幌出身の妻ほぼ雪が降らない関東に嫁いだため冬期は心なしか少し寂しいように見えていたが、今夜の積雪で手中にある雪を見た妻の目は少しだけ輝いていた気がした※雪国の皆さん、雪かき時の事故には気をつけてくださいませ
日曜日の pic.箕輪城跡に行ってきました武田信玄も恐れた長野業正の居城ですねまぁ長野業正というより山内上杉家、扇谷上杉家の研究の一環なんですけどね。室町中期のルーム誰か開かないかな‥#リピ散歩 #箕輪城 #長野業正 #室町中期 #上杉家
折り畳み時に極小になるチャリを探してるんだけど良いのが見つからないのよ。写真は3〜4年前に買おうと思ってたんだけど今は生産中止になっちゃってるのさ以前からリピのフォロワーさんなら『また買うんかい!』って言われそうだけど、東海道や中山道旅が愛知や岐阜まで進むと関東住みのリピとしてはスタート地点まで乗用車より高速バスや電車で行ったほうが次の日の疲労の度合いが違うと思うんよね。特にバスは基本的に輪行(柔らかい輪行袋)ができないのでハードなボストンバックに入る大きさが欲しいのよ#ひとりごとのようなもの
昨日の pic 東海道旅も神奈川県に入りました。今年中に川崎宿から神奈川宿まで歩く予定ですが、その前に箱根峠を箱根湯本〜芦ノ湖まで進みたいと思ってます🚶♂️🚶♀️#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿
🔹六郷神社(大田区東六郷3)1057年、安倍氏(安倍貞任)を討つべく陸奥国へ向かっていた源頼義・義家親子は、この地に生えていた大杉に源氏の白旗を掲げ石清水八幡宮に戦勝を祈願したところ、その後見事に勝利を治めた(前九年の役)ため石清水八幡宮の分霊を勧請し六郷神社が創建されました。その後1189年に奥州平定に向かう源頼朝も先祖の例に習い六郷神社へ白旗を掲げて戦勝を祈願しこれに勝利を納めました。このため六郷神社は鎌倉幕府から特別な待遇を受け1191年には社殿が造営されました。この際、源頼朝自身により寄進された手水石や梶原景時により寄進された太鼓橋などが現在でも残されています。余談ですが大田区の文化財に指定されている1685年建立の狛犬の顔がなんとも面白いのでこれらと合わせて見学するのも良いかと思います。
梅屋敷跡(大田区蒲田3)江戸時代、食あたりや暑気に効く和中散という薬が旅人に重宝されていました。ここより北の美原地区には和中散を取り扱う店舗が三軒ほどあり、そのうちの一軒の主人『山本忠左衛門』がこの地に店を構えたそうです。その後、息子の山本久三郎が梅を集めて茶屋を開いたことで梅の名所『梅屋敷』と呼ばれるようになりました。安藤広重の浮世絵にも描かれ、明治天皇も計9回ほど訪れた梅屋敷には『明治天皇行幸所蒲田梅屋敷』の碑が建てられています。また梅屋敷は幕末に起こった『梅屋敷事件』の舞台としても有名です。1862年、尊王攘夷に燃える長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らは横浜異人館の襲撃を計画します。しかし計画は土佐藩主『山内容堂』の知るところとなり直ちに長州藩主『毛利元徳』へ報告されました。その後、元徳は梅屋敷で高杉たちを説得し襲撃計画は未然に防がれたそうですが、長州藩士の一人『周布政之助』が山内容堂を馬鹿にしたことで土佐藩士と一触即発となりました。高杉の機転によりことなきを得ましたが、ここで長州藩と土佐藩が仲違いをしていたら〝薩長土肥〟中心の明治維新は無かったかもしれませんね。ちなみに一度は襲撃計画を諦めた高杉たちですが、その後『英国公使館焼き討ち事件』を実行しています。#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #蒲田 #梅屋敷