
とろろ
お腹いっぱいまで食べてこんなに食べなきゃ良かったと思うのです。
泉鏡花
読書
チャットモンチー
学生
色川武大

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ
人は自分が失敗したことと同じ事で他者が成功していると、傷つく事がある。だけどそれは単に「傷ついている」のであって、「傷つけられている」のではないはず。
「傷ついた」を「傷つけられた」に言い換える必要が本当はなくて、自分は「傷ついているな」ということを、ただ眺めることが必要な時がある。
ジャニー喜多川氏の性加害問題が出た時に、ジャニーズのファンの人達の1部が被害にあった人達をバッシングしていたことがあった。あの時も、本当は、あのファンの人達が報道を受けて自分たちも「傷ついた」のだということを認識して、それを眺めるべきだったのではと思う。
その事柄に関わっていた人の善悪は関係なく、自分の精神が強いとか弱いとかの話でもなく、ただ「自分は傷ついた」と認識できること、表現できることが大切なのではないかという気がする。

とろろ

とろろ

とろろ


とろろ

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ




とろろ




とろろ

とろろ

とろろ




とろろ

とろろ

とろろ

とろろ


とろろ



とろろ

とろろ
リプトン「ジャスミンミルクティー」
岩塚製菓「ぬれおかき」
森永乳業「PARM ハニー&クリームチーズ」

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ

とろろ





とろろ


とろろ


とろろ

とろろ
そしたら館内アナウンスで「フロアレクチャー」(学芸員が企画展の解説してくれる催し)が始まるって流れて、興味あるけどもうだいぶ見ちゃったしなぁと思って無視してたら、その部屋のスタッフの人に声かけられて強く断る理由も無かったから自分も参加することになったのね。
結論から言うと、私にはこのフロアレクチャーが向いてなかったって話なんだけど。その学芸員さんが説明文に書いてあることを中心に、企画展のポイントや、画家の特徴をわかりやすくわかりやすく咀嚼して教えてくれるんだけど、それが全然楽しく思えなかったわけ。
つまりさ、同じように情報を受け取るのでも、一人で絵を見ながら説明文を読んで「あぁ確かに」って納得していくのは「学び」なんだけど、学芸員の人から、口頭で、わかりやすく咀嚼された情報を受け取るのは「勉強」になっちゃう感じがしたんだよね。学芸員の人が先生で、参加者は生徒で、絵は教材って感じがしちゃったというか。なるほどとは思うけど、そこにはもう私の求める楽しみは無いというか。
だからなんというか、芸術に関して「考えるな、感じろ」式のやり方が違うという話には私も同意するけれど、かといって「教える/教えられる」構造を作っちゃうと実はそこで見る側の主体性が奪われて、見ることの楽しみが奪われることにもなるんだよねきっと。
で、多分ここで言う「主体性」って「読む」ことなんだと思うのね。学芸員さんの話の八割くらいは説明文に書いてあることだったから、受け取る情報は同じだとしても、「聞いて/教えられる」ことと「読んで/学ぶ」ことの間にはそれなりに大きな差異があるのだと思う。で、私は後者が楽しいと思うし、後者が大事だと思う、というそんなことを今日は考えてた。

とろろ


とろろ


とろろ


とろろ

とろろ

とろろ

とろろ




とろろ

とろろ


とろろ

とろろ


とろろ

とろろ


とろろ


とろろ
きのこの山、死んどこうかな。
たけのこの里、雨の走馬灯。
ポテトチップス、俺の気狂う。
チョコボール、滞る。
ガリガリ君、たしかにクズ。
うまい棒、暗い所。
蒲焼さん太郎、ただ単に悲惨だよ。
じゃがりこ、悲しいよ。
ポッキー、正気?
プリッツ、無理する。