子が胃腸炎でおえおえしてたんだけど、私も感染しちゃったのか、久方ぶりに嘔吐した。吐くのってこんなキツかったか、、、喉が痛え、、、大人でこんなキツいなら子はもっとつらいだろうな、はやく良くなりますように、、
お酒大好きなんだけど、飲むと明らかに翌朝の目覚めが悪くて育児と仕事のパフォーマンスに影響出まくりなのがネック。妊娠前の自分からしたら考えられない話だけど、ビールは小さいコップ一杯だけ、日本酒はお猪口一杯だけ、とかにしといた方が、健康で幸せで機嫌良く居られるなと思うようになった。健康と幸福とご機嫌の前借りみたいなことはもうしたくないな、
薄暗い気持ちになった次の日、原因が解消して、あのぐるぐる悩んで落ち込んだ時間は何だったんだとなることがある。それ明日には解決するからさっさと別の楽しいこと考えた方がいいよって、未来の自分がネタバレしてくれたら良いのに。
育休から復帰してからというもの、日々モヤモヤが膨らんでいく。仕事量セーブしてもらって、その配慮は大変うれしいはずなのに、なんか私、新人ポジションに戻っちゃったな、みたいな。事務内容に貴賎はないはずなのに、雑用係になっちゃったな、みたいな。そう思うこと自体、今までの私はこのお仕事を担当してきた人たちのことを心のどっかで下に見ていた証でもあるから、尚のこと落ち込む。 同僚の男性陣がすごく生き生きと仕事しているように見えて、勝手にダメージ受けてる。ああ私この路線からは外れちゃったんだな、という落ち込み。
夫がまたとんでもない飲酒プラン考えていたものの、なんとか未然に防げて安心。夫には頼むからもう少し家庭を大事にしてくれと再三再四にわたりブチ切れながら伝えていて、その都度本気で反省しているようなんだが、結局家族を大事にしたいから〇〇する/しないじゃなく、単に私に怒られたくないから〇〇する/しないになってしまっている。人に変わってもらうのを望むのはやっぱり無理な話なんだ、私の気持ちは全然伝わっていないのだ、というもう何度目かわからない絶望感。夫は会社の人間や友人をどこか恐れていて、彼らの顔色をいつも窺っていて、それ故に我々家族が割を食うというパターンが何度も何度も何度も繰り返されている。疲れてきた。
20代のうちに、搾取を搾取とも気付かされぬまま、形はなくとも、他人にとっては大したことなくとも、他でもない私にとっては大切なものを、巧妙に、着実に奪い取られていたのだなとようやく気付いたのは30歳になってからだ。歴代のパワハラセクハラおじさんたちの顔がチラつく。数年越しでようやく怒ることができている。
子ども抱っこしてるとき、15年後とか20年後とかの自分が時空超えて乗り移ってくる妄想して、勝手に泣いてることある(笑)未来から来た自分は反抗期の子どもに手焼いてたり、子育てひと段落して少し寂しかったりして、「もう一回だけ小さかった頃のあの子を抱っこしたい」とか思ってんの。で、なぜか突然過去に戻れて、気付いたら1歳なりたての小さくてあったかい我が子を抱っこしてんの。ハア😭😭😭
昨日は仕事帰りに一人で外食→ジム→21:30過ぎ帰宅、とかいう久しぶりのご褒美デーだったんだけど、こんな時間までワンオペ育児したのは初めてな夫、大層疲れ切っていた。お土産のビールも「疲れたから飲めない」とか言って。かわいそう、大変だったね、でもちょっとは普段の私の気持ちも分かったかしらね
早起きして、子がまだ寝ている間に、子どもと公園行く時のテキトーメイクとは違う、仕事用のちょっと丁寧なメイクをする時間が嫌いじゃない。自分のある一面を取り戻す感じもするし、仮面をつけて武装してよし戦うぞみたいな、アドレナリン出る感じもする。儀式だね。
10代に無理なダイエットで心身ボロボロにして、20代でちょっとずつ正常さを取り戻していって、30歳なったばかりの今、やっと寛解したかも?な状態まで来られたのは嬉しい。10年かけてぶっ壊した心身、治すのにも10年かかった。
仕事復帰して、夫以外の大人と接する機会がグッと増えて、久しぶりに脳内反省会やるようになった。あの時こう言えばよかったな、こっちの言い方の方がスマートだったな、あれは言わない方がよかったな、などなど、家に帰ってからグルグル考えるやつ。こんなことすら懐かしい。
育休明けて、任される仕事のレベルはやっぱりちょっと下がった。昔はもっと難しいことしてたのにな、同期はもっとでかい仕事やってるのにな、とモヤる一方、これ以上仕事がハードだったら家庭に割けるリソースないし正直ありがたいとも思う。任された仕事を淡々と、誠実にこなしていれば見てる人はちゃんと見てくれていて、きちんと評価してくれることは経験上知っているから、まずはコツコツ頑張ろうという気持ち。また一から信頼積み重ねよう。
いっときに比べてすっかり量の減ったミルク(しかもフォロミ)をあっという間に飲み干して泣く息子。泣きやんだ後も、しばらく名残惜しそうに、大事そうに哺乳瓶を両手で抱える息子。物事には限りがあること、それはちょっと寂しいこと、だからこそ終わりあるものには価値があるのだということ、そういうのを全身で感じて、全身で表現してくれているようで、うまく言えないがとにかく愛おしい。そんな経験の一つ一つが君の人生を豊かにしてくれますように。 #子育て
子の入園グッズの名前付け、合間時間で作業してもう1か月以上経つのに全然終わらなくて。 でも、夫に半日子守してもらったら、その時間でほとんど作業が片付いてしまった。集中すれば半日で終わることがひと月以上終わらない。これが育児か、、、でもそれだけの時間費やして子と向き合えてる証拠だなと前向きに捉えたいね、
家族に対する不安が抑えられなくて、大丈夫なのか、あれはやめろ、これはこうしろ、これが望ましいんだ、ってコントロールしようとしてしまうの、我ながら嫌だな、でもどうしてそうなんだろうと思ってたけど、父の影響だ。私が生まれてすぐ身体のパーツに欠けがないかを確認したという父。私の頭の形が歪むのが怖くて、軽く手で押して形を整えたのだという父。高校の先生に、都会の大学受けてみてはと勧められたときも、進学どころか試しに受けることすらさせてくれなかった父。父が理想とする大学、就職先を選んだ時の、あの安堵した顔。産後帰省した時、慣れない環境で大泣きした孫を見て、病気じゃないのか大丈夫なのか、と本気で心配したあの顔。別に父が悪いわけじゃない。おそらくは父自身の生い立ちに由来する、何らかの事情があるんだと思う。そういう生き方を選ばざるを得なかったんだと思う。たぶん私も同じ。父の生き方をトレースして生きるのがベストな選択だと思っていただけ。それが最近合わなくなってきただけ。
友達のハッピー私生活報告を見かけると、私もアピールせねば!私も幸せ!私も不幸じゃないよ!認めて!みたいな浅ましい自己顕示欲が頭を擡げることに気付いて、我ながら気持ち悪いなと思う。でも私たちの幸せは私たちだけでシェアするのがいい。誰かに認めてもらう必要もない。純度を下げたくない。