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ぽちた
「あるある」を超える。今日はこのテーマで。
風景や事象を独自の視点で切りとった写生や、斬新な比喩表現を用いた一句。これにはもちろんハッとさせられる。「そんな見方、捉え方があったのか」と。一方で、極めて平凡なこと、平凡な表現に、感動が隠されていたりする。
誰もが知っている事実、誰もが経験したことのある光景。それらを口に出して言うとき、人は共感という繋がりによって安堵を覚え、ときには笑いへと発展する。それが「あるある」だ。
そんな「あるある」を五七五のカタチで入力した結果、「あるある」を超えた何かが出力されることがある。俳句にはそんな錬金術のようなことをやってのける、何か謎の力が働いている。
“ままごとの父すぐ帰る桃の花“
春日石疼
ままごとという遊びの舞台の中心は「お家」だ。だから、お母さんの作る朝ごはんを食べて「いってきます」と、元気に仕事に出かけたお父さんは、あっという間に帰ってくる。そうしないことには、話がちっとも進まないのだから。
そんな当たり前のこと、みんながしているはずの経験なのに、この一句から滲み出てくる味わいはどうだろう。
遠い記憶の彼方にある、何かとても大切なものが、優しく呼び覚まされるような気持ちにならないだろうか。
明るさ、可愛らしさ、長閑さというイメージを伴った〈桃の花〉という季語も、素敵な取り合わせ。満開の桃の木の下で、ままごとをしている子どもたち。その景色だけを見ても、牧歌的な美しさがある。
”くり返すイソノカツオの夏休み“
岡野泰輔
ご存知、国民的アニメの『サザエさん』。今年で55周年を迎える超ご長寿番組でもあり、アニメ番組だから、登場人物は誰も歳を取らない。磯野カツオはさて、小学何年生だったか知らないが、半世紀を超えてなお、小学生のままだ。
リアル世界の時間と連動して、『サザエさん』世界の季節が巡る。同じ年の同じ(ではないかもしれない)季節が。私にはもう二度とやって来ないはずの夏休みを、今年も磯野カツオは経験する。
人間が失うべき時間を失わない、不気味な永遠。磯野カツオを、イソノカツオというカタカナ表記の存在に変容させることによって、それは現れてくる。
#俳句 #鑑賞 #サザエさん

ぽちた
【きょうの一句、鑑賞ノート vol.1】
“脱ぎ捨てしスカート秋の火口かな”
野口る理
秋のある日、スカートを脱ぎ捨てる。それが火口のようであるという。
「脱ぎ捨てられたスカートを写生し、その形態を火山に擬えた」というのが、まず浮かんでくる映像。
裾から床に下ろしたスカートが、富士山のように円錐形に立ち上がる。天井を向いたウエスト部分が、火口のようにぽっかりと口を開けているのだろう。
〈火口〉はエロティシズムに満ちたメタファー。火口からマグマの如く噴出したものは、熱く火照った下半身ではなかったか。
「豊穣」や「物思い」を匂わせる〈秋〉という季語が、増して想像をかきたてる。
〈脱ぎ捨てしスカート〉までの前半が実景で、まずここで軽く切れる。続く〈秋の火口かな〉が、イメージ・メタファーの世界になっている。
キッパリと断定的に言い切り、〈かな〉と切れ字で強く締め括る。ここがやはり作者の主観であり、強く印象を打ち出している。
#俳句 #鑑賞
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