先日からの懸案であったニコンのカメラ及びレンズのメンテナンス。本日、荷造りして横浜の修理センターに送ってしまった。ええい、ままよと。実は、父のカメラは、後一台ある。ニコンEM。通称リトルニコン。デザインはなかなか良い。もっとも、これはニコンの中では初心者用という位置付けのものだったようで、写真に詳しい人からは、とかく軽く見られることの多いカメラだ。しかし、このカメラは、父が亡くなる1年前に入手されたものだ。本当であれば、もっと使い込みたかったに違いない。よもや、自分がそれから後、まもなく入院生活に入り、そのまま命を落とすことになろうとは思いもよらなかったことだろう。ダメ元でニコンにこのカメラもメンテナンスしてもらえないか尋ねてみたが、断られた。実は、母から譲り受けた時に、このカメラの中には、フイルムが入っていた。そうとは知らず、うっかり裏蓋を開いてしまったので、もはや写真は現像できまい。それでも、私は、胸が高鳴った。40年以上も前のフイルムに、撮られていたものは一体何だったのだろうかと。本当に後悔している。たとえそれがどんなに退屈なものであっても、父が生前最後に写したものを見ることが出来たならば、どんなに心弾んだことだろう。カメラの中に残るこのフイルムは、単なるフイルムの形をしたものである。それでも、思い出の品であることは間違いない。ニコンの元技術者がいる修理会社に頼んで、いつかこのカメラもメンテナンスしてもらいたい。あまり先延ばしては駄目だ。技術者も亡くなっていくだろうから。フイルムカメラは、まるて風の谷のナウシカの世界のようだ。既に失われて久しい古の時代の技術によって作られたもの。新たに作ることはもはや叶わず、世界に残るものを修理して、だましだまし大事に使っていくしかない。修理に要する部品も、在庫が尽きたらもはや終わりだ。以前も書いたが、F2フォトミックは、若い頃私が好きだった韓国映画で、主人公が愛用していたカメラだ。色違いではあるけれども。今から20年程前はまだ、フィルムカメラも社会で普通に使われていた。日本でも韓国でも。別のMVでは、キヤノンのカメラが使われていたのを覚えている。母は、父の形見をそのまま残した。しかし、遺された我々には、それらを次に引き継ぐ相手がいない。あの世には持っていけない。