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芸術好き

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道具を使わないで出来る芸術表現行為は、歌と踊りと演技
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shin

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「クリエイター」を目指すって、メンタル的には、結構リスキーな態度だと思っている。
つまり、表現行為の基本型ってものは、「当然のスタンスや結論を、当然のように読解、共有できること」であるから、それとは正反対の、「誰も真似できないこと」みたいなものを目指すクリエイター路線は、よほど、博打に成功しない限りは、狂人の道に近づく生き方になる。
その典型が、青葉真司だし。
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たくましい人

たくましい人

「社会的な存在形態としては、映画監督は映画を撮る職業だから映画を撮っているにすぎない。そしてそのことによって、すべての職業が屈辱である」と、大島渚氏は著書に書いていますが、作曲家である私もその苦い意識から遁れようはないのです。


作曲家という表現行為が否応なく職業化して制度に組み込まれていく。〔・・・〕

作曲家は、すくなくとも私という作曲家の現状は、お便りにあったような<他者の拘束から自由に、自分の内なる理法と感興にだけ従って飛翔し、音という質量も外延もない世界を築いてゆく>ようなものではありません。寧ろその後で指摘されているように、<作られたものを、演奏家や聴衆という「他者」に強制する次の瞬間に、作曲家を待ち構えているかもしれない戦慄の深さ>に怯える存在です。


私はけっして音と触れることの、また、音楽することの喜びを失ったわけではありません。それを知っているから、却って音楽を作る専門家であることを疑わないではいられないのです。


音楽を創る者と、聴かされる大衆という図式は考えなおされなければならないでしょう。しかもそれはきわめて積極的にされなければならない。これまで、疑うことなく在りつづけたこの図式は、別の新たな関係の前に破壊されるでしょう。そうでなければ文化はすべて制度に組み込まれて因習化し、頽廃へ向かうしかない。(武満徹-川田順造往復書簡『音・ことば・人間』1980年)

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shin

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表現行為を趣味として持っておくことの安心感は、他人から資源を借りずに行える活動であるという点にある。
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shin

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日本で、性の表現の多様性が実現してるのって、根本的には、「表現行為の軽視」ないしは「言葉の軽視」にあると思ってる。
つまり、なんだかんだ、デフォルトで、食べ物が割と豊かな(=イネが育つ)、温帯の湿っぽい環境だから、「人間同士が団結して、過酷な自然環境を生き抜く」という、「言葉を介した団結と生存」が、文化として根付かなかったというか。
つまり、ふんわりした約束事よりも、「今、目の前で田植えしてるかどうか」の方が大事な文化的な背景が強かったというか。
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Noriko

Noriko

なんだろう、私の中で、あらゆる表現行為の中で1番「すごい」表現手段が「漫画」なんだよね。小説とか絵画とかより上だったりするの。漫画が描けること、ってのが、プロアマ、そのクオリティ問わず(いや、あまりにも酷いのは眼中にないかも)、「すごい能力」なんだ。楽器が弾けるとかバンドやってる人もすごいって思っちゃうけど、正直、それ以上に思ってる。「ちゃんとコマ割ってキャラクター創ってセリフ入れて漫画を描き上げる力(能力と粘り強さ)」を持ってる人、って、ホントにリスペクトしちゃうのよ。だってほんと、すごいことだもん。これ、サブカル系、中央線文化の中でのヒエラルキーとして、結構たくさんの人が持ってる感覚なんじゃないかな?
だから私もマンガ描けるようになったら(プロデビューとかはまた別の話で)、今まで好きになった人たち(特にバンドやってるような男性たち)が、私のこと、改めて一目置くようになるんじゃないかな⁉️っていうドリームがあるんだよね〜。それを妄想するとニヤニヤワクワクしちゃうのよ。これ、ずーっと根強い私のモチベーション。諦めてない。
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shin

shin

ある投稿に自分がコメントしたら、「他人の感想なんか求めてないんだけど」みたいに反応する、(おそらく)中高生がいるけども、そういう人は、オフライン環境のノートかメモアプリで情報整理するべきであると思う。
そして、いかなる公的な表現行為も、それを公表する時点で不特定の他者に対して、快or不快などの社会的影響を及ぼしかねないことついての公的責任が問われ、かつ、それについての意見が返ってくることを受け入れなければならない。
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