孤立の病。今朝の新聞のある記事の表題。「きょうは雨だし通うのやめた」薬物依存から抜け出すために、ダルクに通っていた人のある日の気持ち。そこから、通うのが面倒になり、再び昔の仲間と会い、覚醒剤に手を出したとある。「道が悪いな。運転が上手く行かず、また殴られるな」ある雪の日、自動車教習所の路上教習の予定が入っていた私は、一旦、行くつもりで外に出たものの、降雪で濡れる路上を見て、色んな想像を巡らせた。運転が上手く行かなかった時に教官から用箋挟で殴られる時の痛みが蘇り、黙って再び家の中に戻った。それから、3ヶ月、自動車教習所に通うのをやめた。生まれて初めての登校拒否だった。大学時代、地方都市に住んでいた私は、現地の自動車教習所に入った。教官は、何人もいたが、総じて厳しかった。地元の方言を使う教官の指示の意味が分からず、「はい?」と聞き返したら、「今はっきりと言っただろう」と叩かれた。「〇〇大学に通っていて、そんなこともわからんのか」「ぽやっとすんな」と。路上教習に出る際、地図を取り出すように指示されたが、しまい込んでいたため、出すのにもたついたら、「すぐに出せるように用意しておけ」と叩かれた。次の時に、同じ轍は踏まぬようにと、予め折りたたんでシャツの胸ポケットに入れておいた。地図を出せとの指示を受け、胸から地図を取り出したら、「それは何だ」と凄まれた。「地図ですけど」と返すと、地図をひったくられ、ビリビリと破られた。「受付で買い直しておけ。地図をあんなふうに折りたたむバカがいるか。ふざけんな」殺意を覚えて、身体が熱くなったのを覚えている。ただの地図ではない。目安となる建物の名前などたくさん書き込んで、路上教習で迷わないように、失敗を減らすよう工夫したものだったのに。絶対的権力関係の中で、反抗しえない相手に暴力、暴言を加える。昔の嫌な思い出が蘇った。自動車教習所入校のために振り込んだ大金を諦めきれず、結局、期限ギリギリのところで、意を決して再び通い始めた。無断欠席のキャンセル料など余計な出費もかさんだ。長期間休んだことも咎められた。それでも、免許は取った。その後、一度も運転はしていない。軍隊などは、きっとこういう世界なのだろうなと。その疑似体験ができたと思えばよいのかな。