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彼氏へのクリスマスラブレター(1)

もし私たちが今、ちょうど19世紀のバルザックの小説の世界に生きていたとしたら、どんなマンションに住み、どんな場面で出会っているのだろうか?もし上流階級の娯楽社会に生きていたなら、この子の志はどんなものになっていただろうか?
きっと、ところどころ違っていたに違いない。
私は昔の中国語に翻訳された小説を読むと、よく昔の地名の訳し方に心惹かれる。たとえば、イタリアのフィレンツェの町は「冷たい翡翠」と訳され、この子に読ませた『ウジェニー・グランデ』の舞台となった町の名前は「索漠」と訳された。
外はすっかり暗くなった。冬の夜の帳はこんなにも早く降り、夏なら道端でよく見かける小鳥たちは、一体どこへ行ってしまったのだろう?あの夜の、星を見上げ、星座の話をする純の横顔を、いつまでも、いつまでも見つめていたい気になった。もし私たちが今、ちょうど19世紀のバルザックの小説の世界に生きていたとしたら――湿ったマンションの壁紙が剝がれ、この子がオランダで借りたホテルの部屋のような狭い空間で、ただ座り心地の良い肘掛けソファーがひとつと、一人半のベッドが一台だけ置かれているような場所だったら。
人生の複数の可能性の中から一つを選ぶ。人生の無数の可能性の中から一つが選ばれた。つくばのような小さく、ちっぽけな町で、広々とした、多くの青年が自転車で走り回る大学で、遠い静岡の山麓から来たこの子と出会い、ここまで歩んできた。それで、現代のマンションで、柔らかく、人肌のように白い壁紙に包まれた部屋の中、二人用の布製の丈夫なソファーの上で、この子とキスをしたり、いつも暖かいベッドの中で、この子の体を抱きしめてきた。このベッドの上だけの話じゃない。世の中の詩は、すべて詩人が書いたものとは限らない。世の中のロマンも、すべて言葉や筆で表現されたものとは限らない。もしベッドが記憶を語ることができたなら、今まで訪れたホテルのベッドのみんなも、きっと私たちのことを語り始めるだろう。そもそも、かれらより、私たちの熱狂を語れるものなんて、この世に存在するだろうか?
『もし私たちは今…』と書いたとき、ベルのある短編のタイトルを思い出した。『さすらい人よ、おまえはスパに行くか』というタイトルで、最初に読んだ訳は『旅人よ』だったかもしれない、もしくは、『流浪者』だったかもしれない。
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