戦争時は戦うために戦闘機や、空母や必要となる部品を作るのに必要な材料が昔揃わない時があったそのためこれ以上戦うことは不可能となった広島や長崎や空襲にあいこれいじょうたたかう力が無く昭和天皇様がドイツ軍がいる場所に赴き終戦締結を結んだでもそれでも戦いは続いてたんだよ国の命令で闘っていたからしにものぐるいで過ごしたとされている若い人たちからはこの戦争は忘れられている悲しいことだとおっしゃっており俺たちの努力があったからこの平和が築けられている忘れるなと俺たちは国の命令で戦地へ行った仲間が打たれたり負傷したりいろんな光景を目の当たりにしたその厳しい状況の中天皇陛下の命令に背かないように強い心で挑んだその頃は皆が狂っていたこの戦争は何のために執行したのかをある上官は生きて帰れないからこれで自決せよと言う命令もあり自決した軍人沢山いるこれは滅多に公にされてない食料も底を尽き苦しい中暮らしていた昭和20年代は生き地獄であったどこいっても家もない家族いないご飯食べようとほかの家に忍び込んで米を奪ったりと生きるためには必死であったとこれは亡くなった軍人がこのようなことを述べていた終戦時はとても苦しい時代であったんだよ忘れない様にね