移住支援のサイトを覗きながら、ふと思う。同じ日本で人の奪い合い。魅力的なまちづくりは確かに必要なことだ。しかし、全体として衰退の一途を辿るばかりのこの国の中だけで、「こっちの水は甘いぞ」とやり合っていても、焼け石に水の気がしてならない。もちろん、どの自治体も、移住支援に留まらず、子育て支援や結婚応援など、少子化対策は講じていることと思う。しかし、残念ながら、私のような単身者と扶養家族、とりわけ子どものいる者とは、まちに求めるものが必ずしも同じではない。身勝手を承知で言えば、私が暮らしたいと思えるようなまちは、必ずしも子ども最優先ではない。そして、そのようなまちに私が移り住むということは、そうした側面をさらに強化することにしかならない。結果、そのまちに子どもは増えない。そんなことが頭に浮かぶものだから、急に白けてしまったわけだ。私の行動は、私一人を快適にするかもしれないが、社会は必ずしも幸福には向かわないと。だって、利他的ではないのだから。あれこれ理屈は捻り出せる。昔からそれは考えた。移住する以上、そのまちに自分が何をもたらせるか。それが肝心だと。自分がもらうことばかり期待しては、その移住は、必ず失敗する。自分がそのまちに貢献する何かを持っていく。その何かを早く身に着けねばと。裸一貫で闇雲に押しかけたら、私はただ救いを求めるだけの難民だ。まちを少し歩けば、何となく雰囲気が分かる。感じの良いところ。どことなく息苦しいところ。魅力的なまちは人が増える。その一方、人が出ていくまちがある。しかし、増えるまちとて、子どもが生まれねば、結局はジリ貧だ。国内で子どもが生まれることは諦めて、いっそのこと移民に頼るか。しかしそれは、国内自治体間での移住合戦と一体何が違うのか。手っ取り早く減った人口は補える。しかし、やっぱり子どもは生まれない。子育てしやすいから日本に来たわけではないから。日本が見限られれば、他所の国に出ていかれることだろう。私が今更子育て支援もなにもないのだけれども。私は己の最期を心配せねばならぬのだから。