私たちが、映画や小説、引いては芸術にいたるまで、作品と呼ばれるものにおいて、言葉や意味から遠く離れた所にポツンと立たされる寂しさや怖さのようなものを感じるとき、私たちは産まれたばかりの、世界に対する、あの寄る辺無い気持ちを思い起こされる始原を体験するんではないのか。ーーしかしそれは不快な傑作であつた。何かわれわれにとつて、美と秩序への根本的な欲求をあざ笑はれ、われわれが「人間性」と呼んでゐるところの一種の合意と約束を踏みにじられ、ふだんは外気にさらされぬ臓器の感覚が急に空気にさらされたやうな感じにされ、崇高と卑小とが故意にごちやまぜにされ、「悲劇」が軽蔑され、理性も情念も二つながら無意味にされ、読後この世にたよるべきものが何一つなくなつたやうな気持にさせられるものを秘めてゐる不快な傑作であつた。今にいたるも、深沢氏の作品に対する私の恐怖は、「楢山節考」のこの最初の読後感に源してゐる。(三島由紀夫「小説とは何か」1970年)