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てっちゃん(37)
施設で亡くなった患者の死亡確認と、死亡診断書を書きに行く仕事なんやけど
今日亡くなったじいさんは俺がずっと担当してた人
めっちゃわがままやし、言う事きかんし、勝手な事するし、でもなんていうか可愛いジジイやった
HbA1cが12とかやのにプリンめっちゃ食ってた
👴『兄ちゃんが来てくれるから安心や、いつもありがとう。気をつけて帰りや』『仕事し過ぎて倒れたらあかんで』
って毎回言ってくれてた
ありきたりな表現やけど、寝てるみたいやった
そこの家族さんも俺の事気に入ってくれてて
今日の看取りが〇〇君でじいさんも喜んでるよって言ってくれた
点滴とか酸素とか外しながら
🙎♂️『じいさんいつも僕に仕事しすぎるなって言うくせに日曜に逝くのやめてや。休み飛んだやん。気をつけて帰るから、じいさんも気をつけて行ってらっしゃい』
って言ってきた
ちょっと寂しいけど、悲しんだり泣いたりは家族の特権
いつもじいさんが食ってたプリンを俺も買ってきて、手を合わせて家で食べました

たいち
6月に誕生日だったから、ついこの間「理想の最後」に関して家族と話したばかりだった。
『朝起きたら眠るように呼吸が止まってて、苦しいとか辛いとか感じないうちに、自宅で亡くなるのが良い』そんな風に本人は話してたんですと家族とお話ししていた。
そんなお婆ちゃんが10日ほど前にcovid-19感染してしまった。
食事も半分程になってしまったけど、持ち直してきたかな。そんな矢先の出来事だった。
朝ごはんの時間、家族がご飯を持って行った際に呼吸停止で発見された。穏やかに、眠るように最期を迎えていたようだ。
死亡確認には残念ながら立ち会えず、登板医に看取って頂いた。まだご自宅にいて、本日ご挨拶に伺える事になった。
少し目を腫らした息子さん。何人か見慣れない親族も駆けつけて頂いていた。
「穏やかな顔でしょう」
「うちで線香の香りがするのは初めてですよ」
「これ、母さんが準備してた浴衣なんです。」
そんな言葉を交わしてお線香をあげさせて頂いた。
「一つ伺っても良いですか?ウチの母は、やっぱりコロナ死って事なんでしょうかね?」と質問を受けた
『いえ、老衰だと思います。つい最近話してた、家族に囲まれたお家で、眠るように亡くなるのが理想だと話してた。理想の最後だったんだと思います。』と答える。
「ありがとうございます、そう言っていただけて良かった。私もその点は良かったと思ってるんです。」
そうやって話してきました。
線香をあげながら。
『患者として、人生の先輩としていろいろ教えて頂き誠にありがとうございました。安らかにお休みください。ありがとうございました。』
そんな風に手を合わせました。
ご冥福をお祈りします。


たいち
病院の老朽化で、新病院に移転となり今日この病院での勤務は最終日になる。
片付けを終えて(終わってないところもあるけど)がらんとした病室やナースステーション。外来のブース、救急室。
振り返りながら歩くと、医師としても人間としても成長した時代を見守ってくれた場所だったなと感じる。
デルタの時期のコロナ禍で防護具を着て、ナースと泣きながら働いた。
重症でも搬送先がない患者。近くの救急救命科の医師に電話して、向こうも限界なのに受け入れてくれて、それでまた泣きそうになって。
元気になって外来でお会いして、「先生防護具で分からなかったけど、そんな良い顔してたんだ」と患者と笑い合えた事。
外来で長く見る中で認知症が進み、免許を返納したと報告してくれたおじいさん。
「運転卒業証書」として診断書を記載してお渡しして、その後には訪問で伺うと額に入れて飾ってくれていた片。
何度も急変対応をした救急室。
初めて一緒に急変対応をした初期研修医と、死亡確認をしたこの場所。
数えきれない物語があった場所だ。
大変だったけど楽しかったな。
本当にありがとう。見守ってくれてありがとう。




いつか

みう
一人暮らししてた田舎から娘(私の叔母)の家に移動した次の日の朝に突然意識を失ってそのまま家で死亡確認。
病気がわかってから、あっという間だった。
さすがに気落ちしてしまい、昨日から両親のところへ。
早くいろんなことが落ち着くといいな。
#ひとりごとのようなもの

🌵無色🦎 kaz
笑顔の素敵な96歳のお婆ちゃん
体調は思わしくは無かったけど、今日明日何かある人では無いと思ってた
夕方からの勤務
今、一生懸命に違和感無かったか思い返してみる
・・・あった
心の中、一瞬で飛んで消えてしまう微かなモノ
いつもはすぐに目ヤニが溜まってしまいがちなのに今日に限ってすごく綺麗な涙が浮かんでた
「綺麗な涙だなぁ…」って呟いてた自分を思い出す
でも、それだけだった
17時頃で忙しい時間帯だったし、目ヤニが少なくなっていて良かった…くらいにしか思わなかった
気付いていたんだ
バカだなぁ…
心臓マッサージしながら救急車を待ち、一緒に病院へ…
20時5分 発見
20時50分 病院にて死亡確認
あの時、きっと何か言いたかったんだよね
本当にごめんね
病院から見えた月を添えて…


エンディングテーマ

まきしま🐺
#トマトケチャップ発祥の地
#本日も発祥確認
#王大人死亡確認


𝒦𝒶𝓇ℯ𝓁𝒾𝒶🎸🌙
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マロン🍀

回答数 52>>
医師の死亡確認が終わったあとと、納棺の日、体洗って死に装束を着たときに
親戚たくさん出入りあったけど、ふと母の亡骸が横たわる部屋に母と二人になったときには、
母にたくさん話しかけました
大きくて強くて面白くて厳しくて逞しくて、想像力も創造力も溢れていて、手先が器用で、料理が上手で、憧れの存在で、私はそんな母に育てられて本当に良かった
弱音一つ吐いたこともない母から「休暇取れるなら取ってちょうだい」と頼まれ、すぐ休暇申請した。最期の一ヶ月、母の介護をして家で看取った
話しかけた時には、涙が止まらなかった
私がやったことはこれでよかった?と
足りないのはなかった?と
火葬のときは、母と仲良しの親戚の手を握り子供のように声を出して泣きじゃくった
2年半前の話です
難病の肺炎でなくなった母の苦しさを1ミリぐらいだけど今体感してる
コロナ罹患し高熱後3日で解熱した
発熱中は起き上がれずすぐ咳き込み、
解熱後起き上がって過ごすことはできたが、立って調理していたら脂汗が出てめまいがした
息が浅いのがわかる
母はこの何百倍も苦しかったんだろうな
毎日思い出しているけど、ゆっくり思い出させてくれてありがとう
母に近づけるように、治ったら全力で頑張る
追い越そうなんておこがましいことできないというか、まだ足元にも及んでないと思う
でも、私なりにできることをしていく
死後、聴覚は最後まで残るそうですね
母には、私が話しかけたこと、聞こえてたかな
母は空からなんて答えてたのかな[照れる]

ゆうき
病院に着いたのは22時すぎだった。ばあちゃんと2人きりで昔の話をした。
俺と親父は引き上げて、オカンは病院に泊まった。
一旦、家に帰って風呂入りながら、ばあちゃんの事を思い出して、涙が出てきた瞬間に母親から「ばあちゃんが息を引き取った」と連絡がきた。
すぐに家を出た。ばあちゃんは23:45ごろに息を引き取った。死亡確認の医師を待ち、翌0:36、死亡確認
膵臓ガン原発の全身ガン。緩和ケアに入って1週間の事だった。
朝6時に葬儀会社が遺体搬送手配のため、また一時帰宅した。
5時に病院へ向かい、エンゼルケアを受け、母親がばあちゃんに死に化粧をした。
6時ちょうどに葬儀会社が来た。
ばあちゃんの遺体は看護師と共に、スタッフ専用扉を通り、霊安室や解剖室がある地下2階へエレベーターを2回乗り換えた。人の目に触れないように迷路のようなルートだった。
ばあちゃんの遺体と共に、葬儀会館へ。
葬儀会館へ安置が終わったら、母親が朝鮮のお辞儀「クンジョル」をばあちゃんに捧げた。
その瞬間、また俺も涙が込み上げた。


割とポップな生ゴミ

回答数 8729>>
無かったら死亡確認

珈琲

回答数 125>>
営業終了後の点検で毎回同じところで一瞬ですが恐ろしくゾクっとする場所がありました、4年ほどすると何も感じなくなり気にもかけなくなりましたが年末の飲み会で同じ様な体験をしていた方がいて話していたら事務所の方からプロの方を呼び御題目をあげて頂いたとの事。死亡確認は医者しか出来ない、年に1人2人は帰って来られない方いらしたのでそういう事もあるのかもしれない。

Ryuuma
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