80年前の1944年9月 当時日本が統治していたパラオのペリリュー島で日米対戦が勃発戦車10倍 重火器100倍航空機200倍という圧倒的戦力を有する米国しかし島を守備していた日本兵約1万は果敢に戦った即日 決着が着くだろうと言われていたが 日本兵は決して怯まず73日間にもわたり死闘を繰り広げた…砲爆撃や激しい空爆の嵐が島に降り注ぎ 日本兵は全滅しかし 島に住んでいた1000名近い現地民にはただの一人も死者 負傷者が出なかったなんと この部隊を率いた中川州男陸軍大佐の判断で現地民が戦火に巻き込まれないよう あらかじめ別の島へ疎開させていたのだ当時日本兵に助けてもらった島民はこのように述べている"日本軍はペリリュー島民を 全員 疎開保護してくれた 日本軍への感謝は 何年たっても忘れない… 終戦後に島に戻った パラオ民は多くの 日本兵の亡骸を見て涙した…"彼らは島中に散らばる日本兵の遺体ひとつひとつをきれいに片付け埋葬したそして島には戦死した1万人の日本兵を祀る戦没者の碑が造られたそれには目のモチーフが型どられておりその目は3200km先の靖国神社の方角を見つめている#南洋のサムライ