昨日、妹からラインで父母の墓の様子の写真が送ってこられた。彼岸の墓参りだろう。開口一番、「酷い」と。明らかにゴミと分かるものが、わざわざ我が家の墓石の前に放置されていた。飲料の瓶やゴミの入ったポリ袋など。敷地の中に入らねば、このようには置けない。伸びに伸びた雑草の草取りと合わせて、敷地一帯きれいにしてくれた。おそらく、家族そろって墓参りに行ってくれたのだろう。「父母も喜んでいると思います」と妹に礼を伝えた。スプレーでの墓石への落書きといった、あからさまな悪意のあるいたずらではなくて、不幸中の幸いだったとも伝えた。たとえ墓地、霊園といったような厳かな場所であっても、人目につかなければ、恥ずかしい振る舞いに及ぶ悲しい心根の人もいる。私の現在住む賃貸住宅の屋内駐輪場に置いてある私の自転車も、以前、カゴにゴミを入れられたことがある。単なる通りすがりの仕業ではあるまい。また、大学時代を過ごした街では、どこも当たり前に、戸締まりをしていなかった。「皆、鍵をかけないのか、ここでは」と学友に問うと、「そんなことを考えるのは、都会育ちのお前だからだよ」と笑って返された。墓前にて、手を合わせて故人を偲ぶ。一人だったのだろうか。それとも、家族とともに。いずれにしろ、そうやって自らの大事な人の墓をお参りした後に、同じような境遇にあるはずの別の誰かの墓をけがす。何を思ったのだろう。その時、その人は。墓のご近所さんであれば、これからもずっとお付き合いが続く。遭遇することとてあるかもしれない。既に顔を合わせたこととてあったかも。何か恨みを買うような失礼、不始末を当方が過去にしでかしていなければ良いけれど。たとえそうであったとしても。墓をけがす行為など、正当化されるものではない。