自分には生きる意味や価値がわからない。そういう投稿を目にします。それは誰しもが一度は感じるような事なんじゃないかと思いますし、これはものの考え方の視点が主観的になりすぎているから起きることでもあると思います。よく仏教で悟りを開くという言葉があると思いますが、これはもともとヒンドゥー教における輪廻のシステムから解脱する方法に対するアンチテーゼとして、欲をコントロールする修行をすることで、宇宙の意識ブラフマンと自己の意識アートマンの一致を実現することで解脱、つまり悟ることができるとしました。どうしたら、より高次元な視点で物事を主体的に考えられるようになるかがこの問題に対するアプローチ方法だと考えます。先人のように瞑想をされて、自我を極力無にする時間を少しづつ増やしていくのも一つのテクニックですし、信頼できる人とコミュニケーションを通して自分のいいところ、悪いところをもう一度見つめ直して、改善をするのもいいと思います。今の時代だと専用に訓練されたAIがあればなんとか導いてくれそうな気もしますが。ともかく、生きるということはそれだけで意味があり、解決のできない問題のないかぎりまっとうすることは使命であると考えています。どうせ生きるんだったら楽しく生きるべきだし、今の自分の固定観念から抜け出してより幸せに生きる道を模索するべきだと個人的に思っています。