認知侵入可能性についても同様で、、僕の一旦の思弁だけではどうにもならなそうな事柄に対して自然科学がより還元的な仕方で記述をくれるので(これに関しては頭が上がらない)、僕はそれを参照し検討。あとは、科学者は主張がヘタクソなので(言葉を扱うプロではないので)、どこまで言えそうでどこまで言えなそうなのか、つまり、懐疑の余地がないのはどの辺までなのかを僕が模索する、という段階で仕入れたテクニカルターム。ちなみに、この「僕」の箇所に「哲学者」を代入すると、哲学者の研究の仕方のある側面を記述したことになる。