秋の終わり冬のはじまりの歌紙ふうせん『冬が来る前に』1977年今でもサッカー日本代表の応援歌に使われたり、合唱曲でも有名な『翼をください』を歌っていたコーラスグループの「赤い鳥」やがて二組の夫婦それぞれが独立し、異なる路線を歩み始めるひと組はユーミン提供の『卒業写真』で有名なハイ・ファイ・セットもうひと組は、この『冬が来る前に』がヒットした紙ふうせん『冬が来る前に』の歌詞の内容はひと夏の恋が終わり小麦色に焼けた肌も色褪せた「わたし」がコスモスが咲き枯葉舞う秋バス停でひとり寂しく佇む冬が来る前に、もう一度あの人とめぐりあいたいと願う歌やはり夏は恋の季節やがてふたりは別れて秋になりかつての恋に恋心を寄せる1977年はその3年前に発生したオイルショックの影響で世界的な不況にあり世相は経済を反映するそんな中『冬が来る前に』はヒットした後に紙ふうせんを結成した後藤悦治郎さん平山泰代さん夫婦はフォークソングの原点とも言える日本の民衆の伝承音楽を探求『竹田の子守唄』を赤い鳥に持ち込んだ純粋なコーラスグループを目指していた赤い鳥は、この曲で美しいハーモニーを奏で、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでオフコースやチューリップをやぶってグランプリを獲得したしかしこの『竹田の子守唄』は関西の被差別部落の歌この歌を歌い継いできた女性が歌詞の一部に出てくる地名でかつての被差別部落が特定されるのを危惧して歌詞の変更を要望こういう問題には特定団体もつきもので、歌までもいつしか反体制思想と危惧されたのかマスメディアから敬遠されたこういった雰囲気に構わず伝承音楽の深淵を辿りたい後藤さん平山さん夫婦と、単に歌い手として歌を歌いたい山本潤子さんらとで方向性が別れて分裂前者が紙ふうせん、後者がハイ・ファイ・セットとなったそんな時代背景の末伝承の歌だけでなくライブ受けする歌として紙ふうせんの『冬が来る前に』は作られた時が過ぎ『翼をください』も『竹田の子守唄』が再び歌われる時代になった紙ふうせんも、ソロになった山本潤子さんも人々に求められかつての赤い鳥の歌も歌い継いだ今が音楽の春だとすれば赤い鳥分裂当時、メンバーは冬が来る前のような寂寞とした風景を心に宿していたかもしれな