疎水の彼岸花昨夜に彼岸花全否定した次の日に可哀想に手折られ流れる彼岸花を見ると云う。キリシタン文話の「いちじくの木を呪う」に近しい出来事。それ故にこの前に東福寺の辺りに咲いていた彼岸花を思い出し彼処の花が手折られたのか、と考えた。生々しくて切り捨てられない気持ちがあるのが何だか甚だ女々しくて侘しくて感傷的な小一時間を経験した。降雨せる 前の静かな 疎水見ん流るる花に 罪がありてか好き嫌い 何の為の 物差しぞそれにて損得 あると云うのに