冷し中華はどこか悲しい暑い夏。週末の昼下がり。とある夫婦の会話から…。妻『お昼どうしようか?』夫『簡単に冷し中華で良いよ』妻(どこが簡単やね〜ん憤怒)と、とかく槍玉に挙がる冷し中華。そもそも妻も『お昼どうしようか?』と聞かない方が良かったのではないか?という正論はこの際横に置いておこう。夫の冷し中華という答えが、『簡単に冷やし素麺で良いよ』であったとしよう。ネギとミョウガ刻み、卵を薄焼きにして、生姜をすりおろしてと。そこそこの薬味を用意せねばならない。しかし、素麺はあくまでも薬味は薬味であり、ネギもミョウガも薄焼き卵も生姜も別皿に盛り付けて、素麺をつゆに漬けながらひと箸摘んで、素麺と共に味わうのが基本かと思うのだ。そもそもの量が少なくて済む。それに引き換え冷し中華はどうか。キュウリを細切りにし、サッとモヤシを湯がいて、ハムや叉焼を細切りし、薄焼き卵を焼いてこれまた細切り。これらは薬味ではなく、具材なのだ。1人前でもそこそこの量を刻む事になる。更には紅生姜に辛子も大切な名脇役として、キャストに加えなければならぬ。そして、冷し中華が冷し中華のアイデンティティを得る為には、美しく盛り付けなければならぬ。卵の黄、キュウリの緑、モヤシの白、ハムのうっすらとした桃。これらをバランス良く配置してこそ冷し中華として万民にみとめられ、食卓に送り出される事となる。この時点で素麺とくらべたら、冷し中華にかかる手間はわざわざ言うまでもあるまい。だがここで!冷し中華にはあまりにも悲しくせつなく儚い運命が待ち受けているのだ!!既にお気づきであろう。数々の手間暇をかけ、美しく盛り付けられ、冷し中華の誇りとアイデンティティを与えられて、晴れて食卓に運ばれた冷し中華は、無惨にも全ての具材と共にかき回され、ひっくり返し、辛子諸共グルグルと蹂躙されてしまう運命が待ち構えているのだ。しかも最近はマヨネーズまで投入される始末だ。私はこの蹂躙されてしまう冷し中華が哀れに思えて仕方ない。これまでの人生において、何度美しく食べ切る事が出来ないものかと具材とスープを少しずつ絡めながら食べる事に挑戦してきた。しかしそれでは、『きかぬ。きかぬのだ(泪)』つづく