#今日もお疲れさま 何年ぶりかの千秋楽〜うちにテレビが無くなって1年…ある時はずっと見なかった相撲も無いとなるとたまには見たくなり実家の夕刻相撲中継が始まった〜もう知ってる力士も遠藤ぐらい…翔猿なんてオモシロイ名前や湘南乃海なんてカッコいい名前…朝青龍にソックリな豊昇龍1番盛り上がった若貴時代…横綱 貴乃花の嫁になった河野景子さんは私と同じ年齢。年上女房としても私と同じで同じ年に結婚してそして離婚した。[星][星][星][星][星][星][星][星][星]昔々の大横綱…大鵬が九十九里浜に巡業にきて海辺に土俵を作った。その時代の横綱の取り組みの行司は私の地元の人で母方の親類。24代 木村 庄之助。その際に私の母親の実家では横綱を家に招きおもてなしをしたようです。その時の写真を私はおじいちゃんの家で見た記憶があります。24代 木村 庄之助…体が大きかったため力士を勧められるも8歳だったため行司として入門。1910年1月初土俵。1911年5月序ノ口に付き、最初阿武松部屋、のち出羽海部屋に所属した。行司名は木村芳松→式守義(義松とする資料も有)と変わったあと、1927年に式守伊三郎 (初代) と改名し、その後、1949年1月、式守代々の名跡式守鬼一郎 (5代) 、1960年1月、立行司20代式守伊之助、1963年1月、24代木村庄之助を襲名し、柏鵬時代の幕開けから1965年にスタートした部屋別総当たり制直後まで、数々の名勝負を裁いた。1966年7月場所千秋楽、大鵬-柏戸戦を最後に定年退職となった。定年後は國學院大學に入学して神主の資格を取得、郷里の千葉県に戻って神主を務めた。