ジャン・リュック・ゴダール監督の「軽蔑」を観た。オデュッセイアという作品はなぜ、世界で親しまれているのか、それは神々により人間の宿命は定められている自由にならないものという永続的に流れる唯物論のようなものだと思う。ユリシーズが自らそうしたように主人公のポールが自らの手で妻を殺めなかったのは、そうしたいと思っても宿命がそうさせなかったのかもしれない。愛という概念を語るとき「嫉妬」というテーマは深くその問題に根ざす、時にそれは祝福的であり、また、人を猜疑的にさせる。愛する人から嫉妬されないと自覚することはその愛を試す人たちにとっては大いに感情を乱し、落胆させるものとなる。そんなテーマをこの映画では描いているのではないかと思った。