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私の尊敬する副島隆彦先生は、業界の人間から死ぬほど嫌われているが、私は先生が人間的に酷いとはまったく思っていない。単に副島先生が、日本の出版業界から飛び抜けて優れているだけだ。
私(と村上龍)の言い方なら、「日本的共同体」の外側にいるのだ。つまり、日本社会における他者なのだ。他者とは、批評する地点に立てる個人である。日本的共同体は、他者(例えば外国人)も、批評する能力のある者も、それどころか個人(自立した個人)すら徹底して目の敵にしてくる。
私は、後天的なサヴァン症候群となり、ネットや実生活で、どうしてうまくやれないかわかるようになってきた。どうやら私の人間性に問題があるわけではない。私がPTSDでウィークネス・フォビアだからではないようだ。
私が嫌われる理由は、単に優れているから。そのために日本語で最高の批評文を書けるからだ。私は日本国内にいながら、日本人に対する他者、それも日本人の劣性を暴くこと専門の最も恐るべき批評家である。
私から離れていった人たちよ、私の人格に問題はない。むしろみなさんの人格(不寛容)と、みなさんの無能力、そして自己批判できない人間性に問題はあった。だって私の赤十字とのやり取りや、私の内面を赤裸々に綴った詩作品を読んでみろよ。最高段階の人間性が私にあるとわかるだろう。
書いていて気づいたのだが、日本の大人が「学校の勉強は役に立たない」とか「俺は学校の勉強はできないが仕事はできる」と言ってくるのは、単に日本人が無能のためのルサンチマンである。そして、他者の能力を受け入れられない自らの劣性のためである。
人から嫌われる原因は、嫌われる側にあるだけでなく、むしろ嫌う側にある。こんな人の能力や人間性を疎んじる社会では、少しでも優れた人間は、他人とうまくやっていけるはずがない。すべては学生時代から、学校の勉強すらできずに、大人になっても本人の自己認識ほど仕事ができるはずもない、無能労働者のみなさんが悪い。
優秀な人間を嫌う社会には、個々人の劣性を治すことしか、処方箋はありません。

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