昭和流行歌総覧 ♯ 42#GRAVITY昭和部 灰田勝彦 .37 「ハワイの花」が戦後初の舞台公演初の大当たりを記録して灰田の戦中からの人気を依然として高い事を証明した。このショウを観て当時中学三年生だった和田弘はハワイアンを志す決心をしたのは有名な話である。日劇はこの公演終了後改修工事で一時休館となり、活動拠点を失った灰田だったが他社から大幅に出遅れていた専属レコード会社のビクターが漸く事業を再開したのはこの昭和21年暮のことだった。舞台の仕事が落ち着いた灰田はそれと引き換えに又、レコーディングが出来ることとなりまるで堰を切ったように録音に集中出来る喜びを実感した。特に兄晴彦は精力的に勝彦に合う洋楽風都会調の傑作楽曲を書いていく。昭和22年から24年の3年間に晴彦の手掛けた勝彦のレコードは現在のシティポップ に通じるリゾート、恋愛といった歌詞テーマとそれらを彩るブラスセクションと曲の音階構造に楽曲のアルゴリズムが示されている。ここから暫くは終戦直後からの灰田勝彦のレコードのタイトルを出来るだけ仔細に記録してゆくことにする。 昭和21年10月から事業再開したビクターは昭和14年に神田から築地に新築スタジオを竣工したが、昭和17年のドーリットル部隊の東京初空襲では軽微な損傷を受けたものの建物機能には支障はなく、戦時下の音盤製作に勤しんでいたが昭和20年の春、所謂東京大空襲によって全焼していた。 戦後の事業再開当初はライバルのコロムビアの旧東洋拓殖ビルを借り受ける形でのレコーディング再開となった。山手線有楽町から新橋に向かう右手、東京生命(現在のT &Dフィナンシャル生命。今はそこにはない)ビルの向かいに東拓ビルは嘗てそこにあった。灰田勝彦の戦後第一回目のレコードは昭和21年10月、戦前のヒット曲♫燦めく星座 と♫森の小径 の再発盤の再プレスがリリースされたが藤原義江の嘗ての音盤♫箱根八里 は先行してこの年8月にはリリースされていたが、暮に東拓ビルで灰田の戦後第一回録音された♫燦めく星座 の新録音は昭和22年2月にリリースされた。 因みにビクターの昭和22年2月にリリースされた戦後第一回リリースレコードはNHK朝ドラで馴染み深い♫カムカムエヴリボディ の歌だった。 ドラマでさだまさしが演じた平川唯一の声も聴ける。つづく…。