共感で繋がるSNS
人気
つう

つう

スマホのメモ帳垂れ流しシリーズ

予測符号化理論(Predictive Coding Theory)
脳が環境から得られる膨大な感覚情報を効率的に処理するための理論
脳は常に未来の感覚入力を予測し、その予測と実際の入力との差(予測誤差)を最小化しながら動作している
脳は単に外部の情報を受け取って処理する受動的なシステムではなく、積極的に予測を行う能動的なシステム
GRAVITY
GRAVITY2
エブリン・ワン

エブリン・ワン

『悪は存在しない』補助線(多分)と感想⑻

【最後のシーンとの関係】
ハナの結末は、巧の言う「どんな菌を持っているか分からない」鹿との接触または触れようとする事で子を守ろうとする母鹿に襲われるか。それとも静かに離れ難を逃れるかであった。

すでにあちら側の野生生物の世界に踏み込んだハナを前に巧はその生死を彼女の自然との距離感覚と予測符号化の力に委ねることになる。
善意や悪意あらゆる人間側のルールとは別の道理で動く未開の自然。

日本の子供を対象とした一部のキャンプ実践では、徹底的に安全を確保しながら、この危険な剥き出しの自然を「体験」させる方式が取られるが、本当に死ぬまでの危険を体験させる事はない。開拓民として1人で生きていく可能性がある娘への生きる力の継承を目的としている巧とは覚悟が違う。

ハナの3択にタカハシの存在が異物として入り込む。危険→助ける→駆け寄るか声を上げるという行動を取ろうとするタカハシは善意であろう。結果としてハナが犠牲になればタカハシがその引き金を引いたことになる。巧にとっては自然界では当たり前に起こりうるエンカウンターはハナが力を得る場である。タカハシへのチョークスリーパーはその機会を失うことを止めたのか、部外者のタカハシを巻き込むことを止めたかったのか。
ハナが行方不明の中マユズミの手の治療に家に戻ったことを考えると、「価値観なき部外者は立ち入るな」とのメッセージに思える。

ハナが死んでも生きてもそれが「自然」だという結果だけ見れば冷徹な価値観は善意も悪意もなくただそういうものである。

かろうじてガチガチに守られない自然が身近にあったが、順を追ってネット化、グローバル化、複雑化を体験し、今や完全にシステムに依存して世界を構築している自分にとっては、この感覚は「わからない」というのが答えであった。
全てを分かることはできないが、何かを投げかけ突きつける個人体験を擬似的に与えてくれるこのような映画の世界に入り込めるような前提知識を深めていきたいと思った「体験」映画でした。
GRAVITY
GRAVITY2
エブリン・ワン

エブリン・ワン

『悪は存在しない』補助線(多分)と感想⑺

◾️巧とハナの一方通行な関係性(2/2)

一方でハナは森林を上を向いたまま前に進む。「上」は死別した母親の居場所を暗示している。怪我をして死んだ子鹿の死体、手負の親子鹿。未開地を周囲の危険に無防備に上を向き歩くハナもまた「死」に無自覚に無防備になっている。子供特有の死に無防備であるからこそ開かれて、言葉や社会記号では捉えたり表現することができない社会システムや経済の論理の外の「世界」を感じる感覚を獲得できる限られた期間。空間ではなく場所を生きる開拓民にとってのその大切さを知っているからこそ、巧はハナが未開地に入ることを止める事はない。

意識科学の世界では、世界をすべて把握する事は不可能で、自己とは1個人の自己現象(体験からなる世界構築)である。個人個人がそれぞれの世界認識を持ちどのような世界認識を持つかを評価関数的に決めるのが自我である。そのため人の数だけ「世界」が存在しそれぞれ違う世界で生きていると言える。

予測符号化理論によって自然のちょっとした兆しから危機を察知し自らを守るためには、意識の自由エネルギー最小化(いちいち目の前の事実を確認する前に経験からなるコード(行動の型)によって予測し回避行動や狩行動を開始する)を獲得するための未開の地での危険な体験の積み重ねが不可避である。巧の妻はそれがなかった事で死んだのであれば娘のハナにその力をつけたいという強い動機が理解できる。

後ろと上。互いに異なる方向を向く2人。ただ、巧がハナを背負って未開地を歩く時だけは、2人は同じ世界に入り前を向いて歩く。

GRAVITY
GRAVITY1
関連検索ワード
おすすめのクリエーター