昭和懐古録 # 66#グラビティ昭和部 ・昭和5年 ☆『大阪だより』 3月13日 大阪の歓楽境道頓堀川をそのむかし 開難して有名な安井道頓十三代目の子孫安井 朝雄氏は六十万円の巨費を投じ道頓堀川を浄化 しその両岸を歓楽ユートピア化しやうといふ 計画願書を十二日大阪市へ差出した。 その計画によると北岸は上大和橋下流から大黒 橋上流まで六百六十八間(幅約三尺、三百三十 四坪)、南岸は高津入堀流れ口から大黒橋上流 まで五百十三間(幅約一間、二千五百六十坪) のコンクリートの大暗渠をつくり汚水や尿を 一切ここに流すことにすれば河面は自然に浄化 されて衛生的になる。また南岸の暗渠の上に約 十二尺の高さの廊壁をめぐらし現在の雑然たる 醜い裏の面目を一新しようといふのである。 (大阪朝日)