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マサヤス龍之介

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岸辺🏝の100冊📖´- # 11

#総理大臣 #リベラリスト


☆『戦う石橋湛山』 半藤一利著

一昨日の本コラムでは意外な程の反響を頂いた。ある人は読みたいといってくれたし又ある人は気骨ときいて現世を憂いてくれた。読みたい人が居るならば中身についてあれこれ書くのは野暮だろう、と云うことで一昨日も少し触れた同じ石橋湛山を扱った半藤一利の方を本日は紹介しよう。文芸春秋の生え抜き編集者で、最終的に同社の専務取締役まで登りつめた半藤は『日本のいちばん長い日』の著者だが、刊行時会社の営業上の都合で(意味不明😅)大物ジャーナリスト大宅壮一の名を借りて刊行された。よって大宅は本文も読まずにはしがきだけ書いたと云う。半藤と云えばNHKラジオ深夜便などの歴史番組で我が国近現代史に詳しい解説者のイメージ、弁舌も滑らかで分かり易かった。書く文章も平易で読み易い。これは13年間務めた文芸春秋編集長時代に親交を深めた司馬遼太郎の影響が強いのではないかと思う。
この書は主に昭和8年の日本の国連脱退に対して石橋が主幹を務めていた東洋経済新報で国のそうした愚策を糾弾して止まなかったとこまでを書いている。序章のタイトルも『その男性的気概』とし、石橋の経歴を述べながらその言論が国家権力への批判がいかに激しく容赦なかったかを紹介している。太平洋戦争が始まり、当局の圧力が加わり言論が封殺されたときにも「東洋経済は戦争中にもかかわらず自由主義を捨てていない」として軍部から目の仇にされたと云う。そんな時に石橋は毫(ごう)もひるまず「新報には伝統も主義も捨て、軍部に迎合し、ただ新報の形骸だけを残したとて無意味である。そんな醜態を演ずるなら、いっそ自爆して滅んだほうがはるかに世のためになる」リベラリスト湛山の真骨頂であった。戦後第1次吉田内閣のときにGHQから公職追放を受けた石橋はその根拠となった理由が謂れなき理由であることに烈火の如く怒った。「事実無根の理由で追放されることは私の良心が許さない。」と反論し時の吉田総理にも抗議の要請をしたくらいであった。そしてその抗議文の中で…私は自由主義者ではあるが国家に対する反逆者ではない…石橋は自分の生涯をこの一行で表した。立ちはだかる壁があっても避けたり怯むことなく敢然と立ち向かい、言行一致の人であることは我々の理想の人であろう。
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