宮崎駿監督のアニメ映画に見受けられる主人公とヒロインとの関係には常に、障害が垣間見える。◯風の谷のナウシカ…最後は和解に至るものの敵国同士の姫と王子◯天空の城のラピュタ…王家の末裔である少女と親を失った炭鉱夫として働く少年◯となりのトトロ…大学で働く研究員の夫と病弱で病院で過ごす妻◯紅の豚…半人半豚の飛行艇乗りと酒場のマダム◯耳をすませば…夢を追いかけ海外へ留学する少年と普通の青春の中にある女の子◯ハウルの動く城…恐れられる魔法使いと呪いをかけられた少女◯もののけ姫…狼に育てられた思考が野生動物の少女と政から遠のいた一族の長◯千と千尋の神隠し…白龍と純朴な少女◯崖の上のポニョ…海の神の血を引く半魚と無垢な少年どれも、普通に考えると障害だらけの立場にある主人公とヒロインとの恋愛が散りばめられている。子供の頃も今も、それらの作品に描かれている世界観やストーリーに感動を覚え、大人になって行くに連れ切り捨てたり思考の奥に追いやってきたりしてきたものを刺激され、心震え、目の輝きを取り戻す感覚を感じるのが、宮崎駿監督の作品の素晴らしさ、楽しさの醍醐味だと思う。そして、こうして主人公とヒロインを書き連ねて改めてみてみると、現実的にその恋の結末は脆く危うい予感しか無い。…決めつけてはいけないが、故にハッピーエンドを作品に描いていないのかもしれない。遠距離恋愛は、障害が遠いだけでは無い。遠いことに付随する諸々の埋め難い困難が、すぐ会える恋人とは大きく異なってくる。私は愛されているのだろうか?そんな不安と疑問が沸くと、途端に足元から心の安定が揺らぐ。そんな風になるのは、「この人が好きだ」という気持ち一つだけで過ごす逞しさが私には足りないのだろうか?遠過ぎる街、違い過ぎるライフパターン、差のあり過ぎる自由度…それらに蓋をして睦み合う事はやはり無理があり過ぎるのだろうか?その恋を手放せないのが、執着や寂しさや孤独に因るものであってはならない。それらでは無い自覚はあるのに、私が立ち止まるのは、何故なのだろう…迷子だ。