ロンチェンパとか、入菩提行論が好きだ。何処へ向かえば良いかなんて分からないあの世が存在するのかしないのか?死後の事も分からないお金や欲に身を焦がすのも良いのかもしれない何が良く何が悪いのか?僕は感動し心を動かされ 僕はそう行きたいなにかをみる時に必ず私と相手ですれ違い。それの本質はある意味奪い合いだったり、執着だったりモットモット奥深く相手のために言うとはなんなのか?私の経験が何になると言うのか?この苦しみと同じことさせるのか?だから、こんなの意味はなくてでも、それには意味がありなら、相手はいつか分かるこれも真実分からないのも真実でも、真実はあり人は殺しあい強いものが勝つなんて だから、奥深く真実を知り人を知り行動や行いの意味を知り、それさえも無意味でだとしても、椅子に囚われること無く誰もが笑える世の中のために。そう思う時に僕は上記の入菩提行論やイエス様に感動する。自分のみさえも投げ出して誰かのために願い、それにいささかの嘘もない僕はそうなりたい。