昭和流行歌総覧 ♯ 34#GRAVITY昭和部 灰田勝彦.29 「これは私の戦闘服よ。ボサボサ髪の素顔で舞台に立てますか?兵隊さんが鉄カブトを被るように、歌手のステージでの化粧は贅沢などではないわ」とやり返した。 昭和17年6月5日 日本軍はミッドウェー海戦で敗れてから戦局が悪化していく。それに比例して国内に於ける文化統制は苛烈な厳しさを増していく。今から思えば滑稽なること甚だしい。外国語の規制は強化され、レコードも音盤とし、レコード会社名もキングレコードは富士音盤へ、ポリドールは大東亜音盤、コロムビアはニッチク(日本蓄音器の略)、ビクターは日本音響とそれぞれ改称。 更に楽器の呼称もトロンボーンが抜き差し曲がり金長喇叭、サックスが金属製品曲がり尺八、コントラバスに至っては妖怪的三弦。ギャグを地でいく措置が日常化していった。 昭和18年1月13日 ジャズレコードの販売禁止。この年になると撤退は転進と名を変え、ガダルカナル島は転進と呼ばされた。4月には連合艦隊司令長官 山本五十六元帥戦死。日本が責めてこの段階で和平を取ってくれたら…と想像してしまう。山本元帥は軍人からも、そして国民からも慕われ崇められた人格者だった。その精神的支柱を失って日本は迷走してゆく。6月 東京周辺のゴルフ場は国により畑となった。9月 上野動物園の大型動物の殺処分が実施。この夏に投稿した「かわいそうなぞう」の話はこの頃のことだ。そして12月1日 雨の神宮外苑で第一回目の学徒出陣式が挙行された。昭和19年に入ると3月4日に宝塚歌劇団が休演に追い込まれる。11月24日 初めてB29が80機東京に飛来し空襲が開始された。 日本は防戦一方でこの戦争に勝つ見込みなど全く見出せない。それは一般国民の統一感情でもあった。 昭和18年3月に嘗てのヒット曲♫燦めく星座 に今更ながら陸軍省からクレームが付いた。歌い出しの…男純情の 愛の星の色 と云う部分の星は陸軍の象徴にして神聖なる星🌟に対して軽々しく使用するとは何たることか、国家に命を捧げるべき日本の赤子がたかが女ひとりに…思い込んだら命懸け(1番の歌詞) とは怪しからん。と云う誠に無理無体、勝手屁理屈な理由で改訂を指示してきた。だが作詞の佐伯孝夫は「発売禁止じゃなくて良かった。」と嬉々として改訂詞を書いた。つづく…。