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mog

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貼れるうちに貼っとけ! DAY20

このトラブルが始まった日にライブに行った
小西康陽さんの新しいアルバムも貼れる!

この曲、ピチカート・ファイヴの名曲を
ドラムと歌だけでセルフカバーしてて
凄みが凄い!(語彙🤣)
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陽の当たる大通り

Yasuharu Konishi

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shin

shin

3月19日(水)発売の雨良さん初の全国流通版CD「ダイダイダイダイダイキライ」
ボカロver.セルフカバー、インストを含む3曲のシングルCDになってます
それのコーラスに参加させて頂きました!
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うさぎのみみ

うさぎのみみ

きんぐぬ Blu-ray
マスカラて何かと思ったら
SixTONESのセルフカバーだと…!!!!!
耳ちぎれちゃう
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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

シティポップ大全  # 8

☆故 村田和人 . 2

しかし、デモテープを聴いた山下達郎は村田和人を高く評価しており、「もし、このシンガーが世に出なかったら「電話しても」は自分で歌おう」と思ったほど惚れ込んだのだった。
結局村田は大学卒業を機に、ヤマハに入社して四年ほど営業でお茶を濁していたが、バンドデビューへの意欲断ち難く、バンド「ALMOND ROCCA」を再結成して再びデビューを模索する。
ライブで再びRCAのディレクターの目に留まりこのときはすんなりと山下と繋がり、再会する。
その時に山下から…自分で歌おうとしていた!という話を聞かされたが、「出てきたのなら自分で歌いなさい」と言われたがデビューに当たり当然山下がプロデュースするものと思われたが、ディレクターは山下イディオムの村田に山下をぶつけたら単に焼き直しに終わるから、と言うことから村田の好きなアレンジャーを立て、A面を鈴木茂、B面は井上鑑に依頼することにした。
ディレクターからアルバムの進行状況を聞いた山下は試聴してみたが、村田に「村田君はこれで本当に満足してるの?」と訊いた。
村田は曲によってはこれでいいのかな?って思うものがある、と正直に言ったら「じゃあ、気に入ってない曲を、僕がやる。」と言い♫電話しても はそんな経緯から鈴木茂Ver. と山下Ver.の二つが存在することになってしまった。
1982年6月にデビューアルバム「また明日」がリリースされる。
1984年には3作目となる「My Crew」がリリース。
このアルバムはシティポップが語られる時、必ず取り上げられるアルバムである。
村田が他人に提供した曲を中心にアレンジ迄こなしたセルフカバー集としてファンの間では人気が高い。
これを聴くと既に村田は山下に頼らずとも自分で編曲できるだけの力が備わっていることが感じとれる。
♫Summer Vacation は最初川島なお美Voc.で録音されたが村田は詞も編曲も大幅に変えて竹内まりやとのデュエットがファンのみならず話題になった。尚、この曲には山下達郎と竹内まりやのデュエットVer.と言う貴重な音源も存在してユーチューブで聴くことができる。

つづく…。

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電話しても - Demo Version; 2006 Remaster

Kazuhito Murata

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レモン

レモン

マスカラのセルフカバー楽しみ!
#KingGnu
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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

シティポップ列伝 ♯ 2


☆ブラックムーン : ラジ (1981) と朝妻一郎のこと②

 バブル期、朝妻はアメリカで世界最大のインディーズレーベルを立ち上げた。1988年にはフジテレビと共同出資でアメリカ合衆国にWindswept Pacific Musicを設立。スパイス・ガールズなどを抱え、全米でトップ10、インディーズとしては最大の音楽出版社に育て上げた。また、1999年には、Windswept設立時に行った6000万ドルほどの借り入れが銀行から不良債権として返済を迫られ、その大半をEMIに約2億ドルで売却したが、売却した残りの楽曲を元にWindswept Holdings LLCを設立、ビヨンセなど人気アーティストを輩出した。こうした世界視野での音楽ビジネスを常にリードしてきたのが朝妻だった。

RajiはソロとしてはCBSソニーから8枚のシングルと5枚のアルバムをリリースして1982年に惜しまれて結婚引退した。当時のニューミュージック界隈では彼女の"VOICE"は引く手幾多だった。加藤和彦が作った♫気分を出してもう一度 はモデルの立木(秋川リサ)と評論家今野雄二と云う異色のデュエットで話題になったが、他に小林啓子や加藤和彦のセルフカバーなどもあるのだが、この曲の魅力を最大限に表現していたのはラジであろう。又、この曲が収められたアルバム『HEART to H EART』(1978)は傑作揃いで、南佳孝とデュエットした♫THE TOKYO TASTE は、同年リリースのサディスティックスのアルバムの中でラジがメインボーカルを務め、同年の自己のシングル♫クール・ダウン のカップリングにも同曲を入れたがこれを編曲職人 萩田光雄アレンジで大幅改変、又絶妙な効果を上げており、最上のドライブミュージックに仕上がっており、夜の首都高速を流しながらこれを掛けたら高速道路は…まるで滑走路…である。
1984年にラジは復帰し、以後はバッキングボーカリストとして活躍した。
YouTubeで視聴可能な♫ブラックムーン は1981年リリースのラジの5枚目のアルバム「アコースティックムーン」A-2に収録されたが、これはシングルカットもされた。マクセルカセットテープのCM曲でもあったから或いは御記憶の方もいらっしゃるかもしれない。
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THE TOKYO TASTE

Rajie

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むつき

むつき

Eveくんのアルバム届いた!
特典のセルフカバーはテスト明けのお楽しみです…
こうやって自分に何か少しでも楽しみを与えないとやっていけない。
#Eve
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花星

Eve

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