私が歩行困難になってから、もう8年になる。障がい者手帳も取得し、様々な恩恵も受けている。身体が不自由なのだから「身体障害者手帳」かと思いきや、心の問題で歩行困難になっている為「精神障害者手帳」なのだが、表紙は同じなので不可解に思われることはない。9年前までは世論調査のアルバイトで、一日15000歩ほど歩き、足には自信があった。それが急に30キロの鉛を背負ったかの様に身体が重くなり、シルバーカー無しでは歩けなくなってしまったわけだが、まさか、その原因が心の問題であろうとは思いもよらなかった。原因は30年に及ぶ夫からのモラルハラスメントであり、そのストレスが積もり積もって定年退職を契機に身体症状として現れたというのが、最終診断であった。離婚はしたものの、長年のストレスは身体を蝕んでいて、中々元には戻らない。それにしても歩行困難になってから、どれほど多くの人にお世話になったことか。そして、手を貸してくれる親切な方の多さには感謝しかない。普段は高齢者用の歩行器を使い歩いているが、困るのはバスに乗る時。私の住む町は様々な施設が点在していることもあり、どこに行くにもバス乗車は必須。歩行器をバスに乗せてから、両手で手すりに捕まり、勢い付けて乗り込む。もたもたしていると通りがかりの人が手伝ってくれるし、乗客が手を貸してくれることもある。ほんのちょっとのサポートが実に助かる。驚くのは手助けしてくれる人の中に「身体の不自由な高齢者」が結構いるということ。特に男性が多い。不自由ながらも他人の役に立てたという満足感もあるのかもしれない。お礼を言うと実に嬉しそうな顔をされるので、こちらも嬉しくなる。助けてもらうばかりで申し訳なく思っていたら、友達にこう言われた。「助けてもらって嬉しいのもちろんだけど、助けた人も良いことしたなぁと、幸せな気持ちになってるはずだから、助けてもらうことも社会貢献なんだよ」 そう言われて心が軽くなった。私は今日もまた感謝を込めて言う「ありがとうございます。助かりました!」